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深淵の章 第五話 -大規模工事中ー

おばさん

「あたしの店は、この先の旅館街の中にあるんだ」

聞いてもいないのに、おばさんは大きな声で話し始めた。

観光客相手のスナックを経営しているらしい。

不景気で客がしょぼいとか、店の若い子が世間を知らな過ぎるとか、勝手に話して歩いているうちに、小さな古めかしいアパートの前に立っていた。

「ここよ、散らかってるけど、文句は無しよ」

言いながら、キーホルダーの沢山付いた鍵をセカンドバッグから取り出して鍵穴に差し込んだ。ゴリゴリと削るような音を立てて鍵を回すと、音に気が付いた猫達が中で鳴き出した。

「はいよ、ただいまね、はいはい」

歌うように猫に話しかけながら靴を脱ぐ。

「ホレ、あんたも入らんかね」

オドオドしながら、彩香も続いて中に入った。

康代よりかなり年上で、体格もかなり違うが、なぜか安心できる人に見えた。

「あんた、高校生?・・・言いたくなきゃ言わなくて良いけど。両親に感謝しなさいよ、そんなに綺麗な顔に生んでもらって」

決して広いとは言えないリビングで、正座したまま所在無く待つ彩香に、インスタントのコーヒーを二つ、小さな黄色いトレーに載せて持ってきた。

「良いから、コタツに入りなって」

「ア、はい。どうも、いただきます」

「まぁアンタぐらいの器量になると、苦労や揉め事も人一倍ナンだろうね。わたしゃ別の意味で苦労しっぱなしだけどね、がははは」

彩香は笑って良いものか分からなかったので、少しだけ苦笑いした。

古ぼけたドレスは、はちきれんばかりに体に張り付いていて、両脇からは大根のような腕が伸び、指先には黄色に近い金色の指輪が幾つもはめられていた。

「これは商売道具なのよ。余り明るい所で見せるもんじゃないけどね」

コーヒーを啜りながら、おばさんは彩香の視線に答えた。

「・・・」

「思い詰めてる顔ね」

「え?」彩香はドキッとして顔を上げた。

「商売柄、人の背景が分かるのよ、勘だけど、大体あたってるのよね。表面上どんなに笑っていても、心の奥が死んだように暗い人もいれば、暗い、思い詰めた素振りで人を騙すヤツもいる。でもね、本当に性根の悪いやつなんて居ないのよ。もしそんな人が居たとすれば、その人の腹の虫の居所が、たまたま悪かっただけ。気にしちゃイケナイの。分かる?」

「・・・」

彩香はカップに口をつけたまま、小さく頷いた。

「さっきチラッと聞こえたけど、千葉まで帰るのかい?・・・お金、無いんだろ?」

彩香はカップをコタツの上に静かに置くと、ゆっくり俯いた。

「ほれ」

おばさんは、セカンドバッグからエナメルの財布を取り出すと、中から紙幣を出して彩香に差し出した。

「これ持ってけ」

「・・え?」

「いいから持ってきな、片道分なら足りるはずだ。何があったか知らねーけど、ちゃんと家に帰るんだよ」

躊躇している彩香の手に、無理やり5千円紙幣を握らせると、おばさんはにんまりと微笑んで、それ以上何も言わずコーヒーを啜った。

予想外のことに、すぐには言葉が出なかった。

「あ、ありがとうございます!」

「勘違いしないでね、これはあげたんじゃなくて、貸すだけだよ!」

「あ、はい」

「後で、いつになっても良いから必ず返しにおいで」

彩香はどんな顔をしていいか分からず、紙幣を見詰めた。

おばさんはカップをテーブルにおいて彩香に向き直るとニヤッとした。

「そうしたら店で一番旨い、この辺で取れる野菜のサラダをご馳走してやるよ」

彩香は顔を上げて、おばさんの顔を見た。

「でもその時は、もっといい表情してくるんだよ。せっかくの綺麗な顔が台無しだよ」

「はい・・あ・・ありが・・とう・・」

彩香は涙が止まらなくなった。

拭っても拭っても溢れ出してくる。

初めて会った人にこれほどの温情をかけてもらうとは思いもよらなかった。

その優しさに母の面影が重なり、堪えていた気持ちが吹き出した。

「お母さんに会いたい、菜月に会いたい」

悲しみか悔しさか、自分でも分からない。

おばさんはただ黙って彩香を見詰めていた。

一頻り泣くと、胸の痞えが抜けていた。

「ごめんなさい、もう大丈夫です」

「あやまることは無いだろ、人は泣くようにも出来てるんだ。そうだこれ!帽子と鞄、中身は無いけど、これがあれば旅行の途中に見えるし、顔も隠せる。不自然じゃなくなるから持ってきな」

おばさんの丸い顔の中、大きなクリクリした眼が優しく笑いかけている。

彩香は、何度も何度もお礼を言ったが、しゃくりあげて言葉がハッキリしなかった。

でもおばさんは、終始笑顔だった。

体が温まった頃、遠くで電車の走る音が聞こえてきた。

駅への道順を教わると、彩香は気持ちを入れ替えた。

おばさんは玄関先で、彩香が見えなくなるまで手を振っていた。

一寸誤解もあったようだが、本当のことは話せない。

「後で、必ず返しに来ます」

こんな人もいるのだ、しみじみと感謝しながら彩香は心にそう誓って、駅へ向かって走り出した。


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