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黒の章 第八話 検死官 

消毒液の香りが充満する地下の手術室の中には、換気扇の無機質な音が絶え間なく響いている。


無影灯の下に1つ、その横に体ひとつ載せるだけの移動式ベッドが4つ並べられ、それぞれに遺体が載せられていた。


つい先日まで、シートの下の体は元気に動いていた。


長い手足を思いのまま動かしてボールを追いかけたり、誰かと競走したり、学校生活をそれぞれ楽しんでいたに違いない。


それはごく普通の子供達が送る、ごく普通のことだ。


しかし、はちきれんばかりの艶めかしい肌が、今は見る影も無い。


小田桐はそれを直視できなかった。


「一言で言うと、生きたまま死んでいる」


「どっちだよ?」


「すまん、かなり混乱している」


大井は白髪交じりの髪をかき乱しながら続けた。


「不謹慎だが、興味が尽きない。全く・・、お陰で夕べは一睡もしてないよ」


「歳を考えナよ。でも、生きていると言える所があるってのはどういう事?」


「この五人は血液が酸化して、いや、要は血が焦げついて循環が無くなった。呼吸もなければ、心臓の鼓動も脳波も無い、いわゆる死亡状態だ。それなのに体温が無くならない。つまり生命活動は極僅かだが残っているんだ。恐らくは血液中に残っている微量な養分と、皮膚呼吸。それと・・」


大きくため息をつく大井の次の言葉を、小田桐は黙って待った。


「もう一つ、不可解なことがあるんだ、見てくれ」


大井は腕時計を見ながら、少女の腕を持ち上げる。


「多分そろそろ・・・」


言っているうちに、持ち上げている少女の指先が青白く光った。


瞬きする間にその光は瞬時に腕を駆け上がっていく、ふと見ると、両足のつま先からも同じ様な光が胸に向かって移動していくのが見える。


光の通った後の血管は僅かに光を残していて、瞬間的に体全体が発光し、とても神々しい輝きを放っていた。


小田桐は呆然とそれを見詰めた。


「そんな顔するなよ、俺にもナニがなんだかわからないんだ、ただ」


「・・ただ、なに?」


「この位の子達の平均心拍数は、通常1分間に90前後あるんだ。さっきも言ったように、この子の心臓は止まってるんだけど、大体30分から40分に1回、今みたいに光が全身を流れるんだ、血管に沿ってナ」


「なんだ?」


小田桐の声は裏返った。


「電気だよ、多分・・、これが拍動の代わりに生命を維持させているんだろうな。こんな状態、どんな医学書を見たって載ってない」


「じゃあ、これからはこの子達に電線を付けるのかい?」


冗談で言った訳ではないが、語調が軽いのと場違いな発想が大井の眉間に皺を作らせた。


「冷凍保存って知ってるか?」


「いくら俺でもその位知ってるよ、かみさんに言われていつも家でやってる」


「食料のことじゃなくて、人間のだ」


小田桐の表情が固まったのを確認して大井は続けた。


「米国じゃ何年も前からすでに実行されている。解凍は未だ不可能とされているがね」


「あぁ何か、テレビで見たことあるね」


「アメリカの技術、いや、今の技術ではナマモノを保存するのには冷凍させるしか方法は無いが、この子達は皆、常温でしかも何の機材も使わないでその状態になってる」


「薬か?」


「薬品反応は無い。中和されたのかもしれないが、もしそんな薬があれば世紀の大発明だよ。」


「・・・」


「しかし、さっきのピカっ、も徐々に間隔が長くなってきている、このままいつまで持つのかさっぱり分からん。我々の科学では処置のしようが無い。お手上げだよ」


「上には報告したかい?」


「いや未だだ。正直言って、どう報告したものか分からんでな、お前さんの意見を聞きたい」


「俺を呼んだって駄目だよ。分かる訳ないっしょ」


「医学的にではなく、どう思う?」


大井の目は少し血走っていて、言いようの無い迫力があった。


「どうって、俺から見れば薬害殺人にしか見えないよ。まさかこれで生きてるなんて思いもしない。他の先生に連絡してみたの?」


「それがな、お前さんに連絡した後、電話が壊れてしまったようで通じないんだ。助手の桜井くんが警備室に確認しに行ってる」


大井は肩を落として椅子に座った。


「俺に最初に電話するっツーのも先生らしくないね。雪でも降るんじゃないか?」


小田桐はリラックスさせるつもりだったが大井には聞こえていないようだ。


タメ息しか出ない、そんな感じだった。


換気扇のモーターの音がトーンを下げた。


かと思うと続いて手術室の照明が消えた。


「おや?」


大井が照明を見上げた。


窓の無い其処は真っ暗闇になる。


「停電なんて初めてじゃないかい?」


「電話の次は照明か、いよいよ建て替え時かな、ここも」


ガシャーン!


突然、暗闇の中で何か重い金属が倒れる音が響き渡り、中年二人は驚いて肩をすくめた。


「なんだぁあ?」


大井が悲鳴のような声を上げたとき、予備電源の照明が付いた。


さっきまでの半分ぐらいの明るさで、影の部分が多くて視界が悪い中、ストレッチャーが一台倒れているのがまず見えた。


幸い何も乗っていないものだったがシートが吹き飛ばされたように覆いかぶさっている。


小田桐は、背後で何かが動く気配を感じて振り返ると、裸の少女が一人、真後ろに立っていた。 


さっきまでストレッチャーの上で検死を待っていたはずの少女だ。


その全身には、浮き上がった黒い血管が蜘蛛の巣のような模様を作っていて、小田桐たちを見詰める眼は真っ黒だった。


「ちょっと待てよ、おい」


小田桐は瞬時に身構えた、横では大井が腰を抜かしそうになりながら薬品の乗ったワゴンに寄りかかって唖然としている。


少女は、ぎこちなく動く脚で小田桐たちに近づくいてくる。


「先生、これはどういうことだ?」


「分かるわけなかろう!」


とその時、少女は奇声を発して小田桐に飛び掛った。


小田桐は咄嗟に腕を振り回して、押し退ける様にそれを弾いて躱したが、弾かれた少女は俊敏なサルのように着地した床を蹴ってまた襲い掛かってくる。


躊躇いのある小田桐は手が出せないまま、風を切る音とともに大きく振り回される少女の腕を、身を捩って躱すのがやっとだ。


「うわぁ、やめろ!」


隣で大井が別の少女に押し倒され、片手で首を押さえ付けられたまま身動きが取れなくなっている。


中学生の少女とは思えない腕力だ。


「先生!」


小田桐は思わず拳銃を取り出し発砲した。


弾丸は覆いかぶさる少女の脇を掠めて壁にめり込んだ。


少女の脇に銃創がくっきり出来たが、一滴の血も流れない。


小田桐は目を疑った。


少女は何も感じていないようで大井への攻撃を緩めない。


振り上げた拳を尋常でない速さで顔面に振り下ろす。


大井は紙一重でそれを躱したが、床に叩きつけられた拳の衝撃音は、何かが潰れるような嫌な音だった。


再度振り上げられた拳は原型を留めていない、千切れかかった歪な指からは針のように尖った骨が突き出している。


大井の恐怖に歪む眼にそれが映った次の瞬間、少女の肘から先が吹っ飛んだ。


小田桐が2発目の拳銃を撃ったのだ。


それでもなお少女は大井の首を絞め続ける。


小田桐は最初の少女に背中から飛びつかれて床に倒れ込んだ。


衝撃で手をすり抜けた拳銃が、回転しながら薬品の乗ったワゴンの下に滑り込んでいく。


「しまった!」


肩に近い上腕に激痛が走った。


うつ伏せになっている小田桐の背中に乗り、スーツの上から少女が噛み付いたのだ。


「うがぁっ・・なんてこった」


少女の犬歯がスーツ越しに肩に食い込んできた。


顔をゆがめて搾り出すような声を上げる。


少女は猛獣がするように、噛み付いたまま首を振り、腕を食い千切ろうとしていた。


腕に歯が食い込んでいくのが解かる。


「ギャゥオ」


人間とも動物とも付かない声が響くと、小田桐の腕は開放された。


背中の少女が倒れたのが重さの変化で分かった。


振り向くと大井が心臓除細動器AEDを持って、目を見開いた鬼のような形相で激しく肩を上下させている。


「何をしたんだ?」


「現代医療をなめたらいかんぜよ」


そう言って手に持っている加電流パッドを投げ捨てた。


小田桐はゆっくり少女をどかして立ち上がり、床に転がる二つの遺体を見比べた。


「どうなってんだい全く、他の2人は?」


大井は思い出したように残りのストレッチャーに眼を向けたが、そちらは特に動き出す気配は無い。


思わず肩が下がり床に座り込んだ。


小田桐と大井は息を整えながら、しばらく無言のまま呆然としていた。


大井はゆっくり立ち上がり、片腕をなくした少女の横にしゃがみ込んで電流を流した部分の皮膚を撫でる。


皺くちゃになって固まっていた。


「人間の体は微量の電気で動いている、脳内での神経伝達然り、心臓もそうだ」


大井が独り言のように呟いた。


「フランケンシュタインって知ってるだろ?あれは遺体に雷のような電気を流すことで筋活動を人工的に作り出すって言う設定なんだ、御伽噺だがね」


「じゃあこれは?」


小田桐は首を傾げる。


「現実になったってことだ、仕組みは分からんがね。仮説では、それが可能になった場合、人間の潜在能力を100%引き出せると推測されていた。でも適度な電量じゃないと細胞が壊れてしまう、いわゆるオーバーロードだ。この娘のようにナ」

「なんでそれが俺たちを襲うんだい?」


小田桐はスーツの埃を叩き落しながら口を曲げた。


「それは分からんよ、でも、もう動くことは無い」


大井はそう言って動かなくなった少女達に向かって合掌した。


小田桐もそれを真似た。


2人は神妙な面持ちで少女達を死体袋に入れた。


動かなかった少女の一人を袋に入れるとき、閉じられているその瞼から一滴の水がこぼれた。


それはまるで涙のように見えて大井は深くため息をついた。


「すまんが我々にはどうすることもできんのだ、すまんな」


そう言いながら袋のチャックを閉じた。


「報告は死亡で出すが、この件も入れた方がいいんだよな?」


「そうしてくれ、説明するのは嫌だ。でも、こんなことが他でも起こるようなら、おれ達はどうすればいいんだ?」


「うーん・・電気ショックを与えるか」


「じゃあスタンガンを装備しないといけないな」


小田桐はそう言ってから、ふとドアを振り返ってみるとドアの向こうで誰かが走り去って行ったような気がした。


「おやっさん、助手はどうしたんだろうね」


「うむ、そういえば遅いな」


「・・しばらく身を隠してた方がいいかもな」


「あぁ?何でまたおれが隠れなきゃならんのだ?」


「刑事の感だ、報告書を纏めたら休暇を取るといい、誰にも行き先を言わずにね」


「良く分からんが、お前さんがそう言うなら、そうしよう」


小田桐は目で頷くと胸元で携帯電話が振動した、園茨だった。


「報告があります、今から時間取れますか?」


開口一番、出し抜けに発せられた園茨の言葉に小田桐は顔をしかめた。


「丁度良かった、おれも君に伝えなきゃならないことできてね、今 大井先生のとこなんだけど、こっちに来られるかい?できれば何人か連れてきてほしいんだ、鑑識も一緒に」


「分かりました。すぐに向かいます、少女の遺体はまだありますよね?ちょっと確認したいので・・」


感の鋭い園茨は、小田桐の言葉から何かを感じ取ったようだ。


小田桐は電話を閉じながら険しい顔になった。


20分程して、園茨は警官数人と鑑識班を連れてきた。


大井が事情を説明している間に、小田桐は警備室へ行って電力供給と大井の助手について確認を取ってきた。


「助手は警備室に行ってないとさ、ブレーカーも電話も問題は無いって」


「まさか・・」


大井はその後の言葉が続けられない、大概の予測が付いたのだろう。


「前にもあったな、こんな感じ」


小田桐は鼻の頭を擦った。


「小田桐課長、ちょっと」


園茨は小田桐を廊下へ連れ出しベンチに腰掛けると、重い表情で芦土詩織のことを全て説明した。


「そうか、そんなことがあったのか。てことは?一倉彩香は?」


小田桐はそう言ったきりしばらく黙り込んだ。


「こちらの状況を見ても内部情報は間違いなく漏れています。話にあった組織の者でしょう」


開かれたままの手術室の中の様子を伺いながら、園茨が言った。


「他には誰も彼女のことを知りません。本部にも報告は上げない方が良いかと」


「同感だな、でもよく俺に話したな。正直なとこ・・意外だ」


「最初に謝っておきます。すみません」


「なんだそれ?」


「あなたにこの話をした理由は、あなたがその組織の人間には成り得ないと思ったからです」


「なぜだい?」


歯に衣着せぬ物言いに心中穏やかではなかったが、冷静を装った。


「連中は狡猾だ、おそらく国内の犯罪としては前例のない規模で、綿密なうえ周到に計画を進めている。そんな組織にあなたのような人間が居るはずがない。そう思いました」


真面目な顔で言っているのが腹立たしかったが、警察官としての信頼は高いと言う裏付けにもとれる。


喉まで出てきた本音を無理やり呑みこんで話しを進めた。


「ふん、一倉彩香と芦土詩織の保護を最優先する。今も何とかかわしたトコだが、必要最低限の人数でやるしかないな」


「すぐに芦土詩織を移動させます。適宜連絡はいれます」


園茨は言い終わるが早いか立ち上がり玄関へ向かった。


小田桐は園茨の背中を見送りながら呟いた。


「敵は内部にもあり、か」


其処へ入れ違いに浅野が走ってくる。


「園茨さん、今までに無く硬い顔してましたね」


小田桐は浅野を見上げると方眉を上げた。


「そういえば君さ、学校での事件のとき、最初何してた?」


「え?ナニ言ってんですか、ずっと後ろに居たじゃないですか」


「そうだっけ?」


浅野のキョトンとした何も考えていない顔を見て、鼻でため息をついて立ち上がる。


「まぁいいや、先生、俺ら行くけど、さっきの件と報告書、頼むね」


「何だよ、まだ居てくれよ」


手術室の中から大井の情けない声が返ってきた。


「じじいが何言ってんの、こっちも忙しいんだから、じゃぁね」


片手をひらひらさせて見せ向きを変える。


廊下を闊歩しながら小田桐の顔は引き締まっていく。


「上手くかわしてくれよ、先生」


祈るように呟いた。


灰色の空の下、車の窓を少しだけ開けてタバコに火をつた。


「また降るのかな?」


「今夜は雨の予報ですね」


「そうか、雨は嫌いだな」


「ホシの臭いが消えそうだから、ですよね」


「前にも同じこと言ったけ?」


「何回か聞いてます」


「それじゃ・・・」


顔をしかめて口を開いたが、無線に呼び出しに止められた。


「千葉307、至急戻ってください」


「俺らじゃんか、千葉307了解」


小田桐がマイクを掛け直すと、浅野は何も言わずハンドルを切った。





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