黒の章 第六話 詩織の告白
カーテンが引かれたままの薄暗い病室の中、詩織は昨日と同じように、ベッドの上で枕を背中に当てて座っていた。
ドアから一歩入った所で、園茨は神妙な面持ちで立っていた。
ベッドの枕元にある時計は9時11分を表示している。
「朝から不躾で申し訳ないが、君の血液検査の結果が出た。薬品反応陽性だ。よってあなたを現行犯逮捕する」
詩織は園茨を見ながらベッドから足を下ろした。
「顔を洗ってきてもいいですか?」
園茨は無言で頷き、病室内にある浴室へ入っていく詩織を眼で追った。
水の流れる音を確認すると、ベッドの横の椅子に座り、持ってきたメモ用紙に並んだ数字を再度読み直した。
暫らくして浴室のドアが開いた。
園茨はメモを見たまま詩織が戻ってくるのを待っていたが、開いたドアはなかなか閉まらない。
「こっちで話を・・な!」
振り向くと言葉を詰まらせ慌てて視線を逸らした。
ドアの前に立ち尽くしている詩織は、バスローブを片手に持ったまま、何も身に着けていなかった。
「ふざけてないで、それを着ろ」
「これが何か分かりますか?」
「なにがだ?」
眼だけチラリと動かして見ると、詩織は後ろ向きになり、髪を束ねて持ち上げていた。
「何だ、それは・・」
園茨は言いかけて息を呑んだ。
白い肌の中、左側の首筋から右脇腹にかけて刺青のような、青紫色のアザが滲んでいる。
それは腫れ上がっているように見えた。
「首の付け根の辺りに、何度か薬を打たれて、その副作用でアザができました。これは今も広がっています」
「麻薬の類じゃないのか?」
「見逃してくれとは言いません。ですが、助けては頂けませんか?」
ため息と一緒にその言葉を吐き出すと、詩織は背中を小さく丸めた。
助ける?助けるってなんだ?誰かに追われているのか?園茨は唖然とした。
先日の件といい、体の痣といい、只者でない事は何となく感じていたが、それがどんな種類のものなのかまるで見当がつかない。
背中に嫌な汗が流れる。
本能で危険を感じ取ったのか、心臓の鼓動が早まる。
ただの薬害被害者じゃない。
しかし
「知っていることを全て聞かせて頂きたい。助けるにも守るには情報が必要だ」
詩織は肩越しに潤んだ瞳で園茨を見つめた。
「言ったら助けてくれますか?」
唇が滑らかに動く。
園茨は固唾を飲んでから静かに頷いた。
大きな瞳は心の奥まで見通す様にじっとこちらを見詰める。
胸が高鳴るのを必死で押さえつけて、詩織の次の言葉を待った。
「・・・わかりました。あなたを信じます」
詩織はバスローブを羽織ながら、ゆっくりべッドを回り込んで反対側の椅子に腰掛けた。
視線をベッドに落としたまま、胸の下でローブの紐を結び深呼吸すると、静かに膝の上で手を重ねた。
互いの顔の高さは殆ど変わらない。
が、視線が合うことは無く、静寂が室内に充満していく。
園茨は微動だにせずその姿を見詰めていると、僅かに彼女の呼吸音が聞こえてきた。
微妙に乱れるそのリズムから、内心の動揺が伺い知れる。
詩織が短く息を吸い込んだ。
「私はあの画廊の秘書でした」
「画廊?」
「画廊と言っても名ばかりで、内容は全く別の商品を販売している秘密結社です」
「秘密結社?何を販売しているのです?」
詩織は思いにふける顔をしたが、向き直ると突き上げるような真剣な目で園茨を見詰めて唇を開いた。
「私たちが販売しているのは、人の寿命です」
「何だって?」
園茨の眉が寄った。その意味をすぐには理解できなかった。
「真面目に、答えて貰いたい」
「信じてはもらえませんか?」
きっぱりと、少し強い口調で言い切る詩織の眼は至って真剣なものだった。
その眼光には揺らぐことの無い迫力すら感じられた。
「いや、続けてくれ」
押し返すような視線を僅かに落として詩織は続けた。
「画廊のオーナーは政財界に強力なつながりを持っています。
顧客の殆どが、政治家や官僚といった方々で、中には海外の富裕層の顧客もありました」
「オーナーの名前は?」園茨は足を組み直した。
「倉賀野 蓉恒」
「クラガノ、ヨウコウ・・」
「彼は奇妙な術を使います。顧客に寿命を販売する傍ら、その中から人物を選択して組織に取り入れ、組織の基盤を大きくしてきました」
「奇妙な術?オカルトの類か?」
「原理はわかりませんが、倉賀野は自らが発する『生命波』と呼ばれる特殊な静電気のようなものを水に流し込みます、組織幹部や顧客はそれを注射や飲用することで寿命を延ばすのです。また、その販売による利益は莫大な額で、組織は既に、国が一つ買えるぐらいの資金力を持つ程になりました」
「独裁国家でも作る気なのか?」
園茨はあきれた顔で足を組み、背もたれに体重を乗せてため息をついた。
「彼にそんな考えは全くありません」
そう言うと詩織は、まるで園茨の心を読取った様にベッドの向こうでバスローブの袖をまくり左腕を露にした。
「何だそれは?!」
園茨は思わず身を乗り出し、差し出されたその腕に視線が釘付けになった。
詩織の左手の指先から肘の辺りまで、先程までの水々しい張りが失われ、筋と血管が浮き出し、肌が象の皮膚のようにシワくちゃになっていた。
まるで風船が萎んだように腕自体が細くなっている。
「今まで潤沢にあった倉賀野の生命波は、ここ2週間足らずの間に、急速に弱くなってきています」
「・・・」
園茨は言葉も無く、目を見開いて詩織の腕を凝視した。
「生命波とは一度受けた人体にとっては食料の接種と同じです。
ただ無くなっても死にはしませんが、ミイラのようになって半永久的に動けなくなります」
そう言うと、詩織は両手を差し出して、左右を見比べさせた。
明らかに別物、同じ人間の手には見えない。
「・・あなたは、一体?」
園茨は、信じられない光景を目の当たりにして、普段の流暢な言葉が出てこなくなった。
「良く覚えていませんが、私が彼と最初に会ったのは第二次大戦の直後です。
身寄りが無く、餓え死にしそうだった私を、彼が生命波で救ってくれました。
しかし・・」
「ちょ、ちょっと待ってくれ、第二次って・・何を言って・・、あなたの戸籍は?あれは何なんだ?」
「寿命を延ばす訳ですから、履歴も書き直さなければ、社会的な生活はできません。私の戸籍も意図的に作成されています」
静かな口調で淡々と続ける詩織の腕と顔とを交互に見比べながら、園茨は閉まらなくなった口を手で隠した。
「幹部達はどうなんだ?皆、その腕のように」
「進行に個人差はありますが、みな同じです。組織は今、崩壊の危機にあります。
倉賀野の生命波を取り戻し、恒久的な安定を維持するには、倉賀野本人が唯一特定の人物と接触する必要があります。
組織はその人物の確保に躍起になっています」
「それは誰だ?知っているのか?」
「・・・」
黙っている詩織を、しばし恨めしく睨んでいたが、止めていた息を吐き出すように園茨はため息をついた。
にわかに信じられる話ではないが、異変は目の前で実際に起きている。
「電解水は、生命波の濃度を調整して、使い方を二通りに分けます。
一つは今説明した通りの寿命を延ばす方向。
もう一つは身体能力を限界以上に引き出す方向です」
「身体能力の限界?」
「はい。通説では、人間の持つ身体能力は、最高出力の半分も使われていません。
これは脳の休眠部分と同じ比率だと言われています。
スポーツ選手などはトレーニングによって、その領域を拡大するよう訓練しているのは、あなたもご存知かと思いますが」
「聞いた事はあるが・・」
園茨は眼を細めた。
「組織の中で、後者は『兵』と呼ばれ、機密行動に使われます。
超人的な体力と引き換えに、人格が失われていきますが、もちろん兵に志願する人に、そんな事実は知らされません。
お金に困った、社会的地位の低い人々が多いので、失踪しても事件にもなりませんし」
「ナンだと!我々を、警察を侮っているのか?!」
「事実を申し上げています」
園茨の僅かに震える声を、詩織の高い声が制した。
「そ、そうだな。すまない、黙って聞く。続けてくれ」
園茨は定まらない視線を悟られないように落とした。
「兵は体に流れる生命波を過大に放出し、通常の人に流し込むことによって証拠の残らない殺人を行えます」
生命波?人の寿命?身体能力の限界?何だそれは?そんな概念、聞いたことも無い。
でも『火事場のクソ力』のような潜在能力を指すのもで、実在するとしたら?
「生命波?・・!そうか、あの矛先!」
園茨は思わず立ち上がった。
眼差しは詩織の眼を見詰めたままだが、学校での事件を思い出して呟いた。
「唯一特定の、その人物って・・まさか」
詩織は顔を曇らせて頷いた。
「なぜ、彼女なんだ?」
「誰でも良いわけではないのです。倉賀野の『闇の魂』と共鳴しなければ、生命波は得られません」
詩織の言葉は、園茨の理解の限界を超えていた。
生命波、闇の魂・・。
何度も頭の中で言葉を繰り返し、噛み砕く。
「・・・彼女はどうなる?」
「今までの少女達の場合は、皆、強引な吸収をしましたから・・」
「また、犠牲者がでるのか・・」
園茨は力なく椅子に腰を落とした。
放心状態だった。
「組織は永遠を求める人達だけで無く、莫大な利益に魅了された亡者のような人々もメンバーとなって構成されています。
彼らはいたる所に存在します。
政治の世界、官僚の中にも、企業や、世界的な団体の中にも」
詩織は一頻り喋ると口を噤んだ。
園茨も何も話さなかった。
言葉が出て来なかった。
「過去数百年かけて作り上げられた組織は、現代社会の構成に多大な影響力を持っています。
今の世の中の構造基盤を作ったと言っても良い位。
あなた方が普段当たり前のように使っている貨幣の価値観は組織が増幅させた経緯もあります」
園茨は眼を細めたまま、ゆっくり首を振った。
「まさか、そんなことが・・」
「このまま彼女が見つからなければ、組織は崩壊します。
でも、私はその方が良いと思っています」
園茨はゆっくり顔を上げて俯いたままの詩織を見た。
「なぜだ?君も組織の一人じゃないか」
「私は、これ以上見たくないんです。
一部の人間の勝手な都合で、組織になんら関係の無い少女達が犠牲になっていくのを!
もしかしたら、組織はもう壊れているのかも知れません、やり方が異常になってきています。
先日の画廊の火災もそう。
用がなくなれば、辺り構わず処分します。
でも、もうこれ以上は・・」
そう言うと、詩織は顔を伏せて肩を震わせた。
左手はさらに上腕までが細く、黒く変わってきている。
園茨はその腕を見ていて、ふとグリーンガーデンでの事件を思い出した。
「あのビルでの少女は・・」
「そうです、私が連れ出しました。でも間に合わなかった」
詩織のか細い声を聞いているうちに、園茨はその境遇を想像してみた。
詩織は敵ではない、そう思った。
胸の奥から何か熱いものがこみ上げてくる。
「もう時間がありません。
組織は全力で少女を探し出すでしょう。
お願いです。止めてください。
彼女を助けてあげてください」
詩織の手の上に、涙が零れ落ちた。
園茨は俯く詩織を見詰めたまま貯めていた息を大きく吐き出し、眼を細めた。
「あんたはどうなる?」
「私は、もう十分生きました。
これ以上人の死は見たくありません。
親しい友人も無く、欲望の塊のような人達に囲まれ続けるのはウンザリ・・もう嫌なんです・・お願い、助けて・・ください」
俯いたまま、こもる声が震えている。
しばらくの間、園茨は肩を震わせる詩織を、成す術もなく見詰めていた。
園茨はスッと立ち上がると呟く様に言った。
「冗談じゃない、そんな勝手な話があるか」
驚いて顔を上げた詩織に、園茨は闊歩して近づき乱暴に腕を掴みあげた。
「あんたの話しはまるで信じられない!
しかしこの腕は紛れも無い事実。
取り敢えずやれるだけやってみる。
だから、あんたはもう少し生きくれ」
その声は低過ぎず高過ぎず、詩織の耳に心地良く響いた。
自然に表情が和らいで安堵の息が漏れる、と突然、左手が熱を持った。
シワだらけで細くなっていた腕が、風船が膨らむように血色の良い、張りのある肌へと変化していく。
「これは・・」
詩織はその変化に目を見張った。
園茨もそれを見て眉を開いた。
ほんの僅かな間に、詩織の腕は元に戻った。
「生命波・・か?」
漏れるような声で園茨が言った。
「電解水も無く、しかも、あなたから?」
園茨と詩織は、驚いてお互いを見た。
「でもこれは、間違いなく生命波です」
「おれは、いや私は何も・・」
「随分前に聞いた事があります。
人が人を想う感情、体から自然に発する感情の具現化、それが生命波だと。
こんな形で発現するのは始めて見ましたけど・・」
二人は詩織の元に戻った腕に眼を瞠った。
「あの人はこうも言っていました。
人の出会いに偶然は無いと。
お互いの『闇の魂』が引き合って、私たちは出会うべくして出会った。
これはその証かもしれません」
詩織の腕を見ながら、園茨はあっけに取られていた。
詩織の言葉が自然に胸に響く。
確かに、詩織には捜査以上の感情を持っていたが、こんなにもはっきりと表面化するとは。
自分の今まで知りえた常識や、科学では説明が付かない。
詩織の言葉を信じるほか、合点のいく現象ではない。
詩織の腕は艶めきを取り戻し、しなやかな指が動きを確認していた。
「闇の魂とは、何だ?」
「人の肉体を司る精神、魂、それらの陰の部分、自分では決して意識することの出来ない、もって生まれた運命を司る部分だと聞いています。
人の行動は全てそれに支配されているとも・・幹部はそれをダークンソウルと呼んでいます」
「ダークンソウル・・」
園茨は口の中で繰り返すと、背筋を伸ばして詩織の背中を見詰めた。
「認識を改めなくてはならないようだ。
仕事だからではなく、個人の感情として、あなたにはまだ聞きたいことが山ほどある。
だから、あなたにはもう少し此処にいて貰います。
それがどの位になるか皆目見当も付かないが、暫らく付き合って頂く」
そう言った園茨の顔と声は、決して暗く無かった。
詩織を守る為の詭弁とも取れる。
むしろ、そのものか
。
「・・・はい」
詩織が眼に涙を蓄えたまま振り向くと、園茨は部屋を出て行こうとしていた。
「どこへ?」
「警護の万全を整える。
すぐに退院の準備を・・いや、着替えておいてくれればいいです」
園茨はそう言い残して部屋を出て行った。
廊下に出るとすぐに、携帯電話を取り出してボタンを操作した。
が、ゆっくり息を吐き出すと、携帯を閉じて舌打ちした。
園茨はエレベーターホールには向かわず、足早に非常階段へ出ると、コンクリートの手すりに拳を叩きつけた。
「どうする!?」
もはや詩織の言葉を疑う余地は無い。
彼女の為、そして失踪中の一倉彩香の身の安全の為、早急に手を打たなければならない。
詩織の言う組織の行動が気になる。
何をしてくるのか想像も付かないが、一つハッキリしているのは、近いうちに詩織を奪い返しに此処へやってくる。
いつかは判らないが、時間が無いことだけは確かだ。
手すりを掴んだ腕を伸ばしながら俯く。
警察内部にも組織のメンバーがいるならば、連絡を取る先を間違えたらそれまでだ。
しばらく、そのままの姿勢を保っていたが、吹っ切ったように顔を上げると、再びポケットから携帯電話を取り出して、ボタンを押した。
数回コールして電話が繋がると相手の反応も聞かずにぶっきらぼうに話し始めた。
「園茨です、緊急の相談があるのですが、今何処ですか?」




