第2話 なんでこっちに向かってくるんだよ!
トロールは、俺たちを視認した瞬間、巨体を揺らして吠えた。
「ぐぁぁぁぁぁ!!」
空気を震わせる咆哮とともに、岩塊のような身体が突進してくる。
「散れ!」
カリスの声と同時に、俺たちはその場で四方へと飛び散った。トロールの濁った視線が、真っ直ぐ俺を捉える。
「俺の方かよ……!」
怒号を上げながら迫ってくる巨体。地面が揺れ、足音が腹の奥に響く。
冷や汗が、頬を伝った。
俺は反射的に左手を前へ突き出す。
「……〚ブル〛!」
詠唱と同時に、左手から圧縮された風が放たれる。不可視の衝撃がトロールの胴体を叩き、巨体がわずかによろめいた。
だが、怪物は倒れない。
(……だよな。初級魔法じゃ、こんなもんか)
次の瞬間、トロールの右腕が振り上げられる。岩の柱のような腕。
───まずい。
俺は剣を構え、必死にガードの姿勢を取る。心拍数が一気に跳ね上がった、その時。
「〚ポグル〛!」
小型の火球が一直線に飛び、トロールの背中へ直撃した。爆ぜる炎。肉の焦げる音とともに、皮膚の隙間から黒煙が立ち昇る。
「今だ!」
カリスが飛び出した。
鞘走りの音が空気を裂き、銀の刃が一閃。月光を反射した剣が、トロールの太ももに深く食い込む。
鈍い感触。
骨までは届かないが、動きは確実に鈍った。
「ぐぉぉぉっ!」
トロールは怒りの咆哮を上げ、拳を振り下ろす。カリスは地を蹴り、紙一重で回避。
直後、背後の地面が砕け、礫が雨のように降り注いだ。
「〚ブン〛」
シャノンの声。
圧縮された風が、不可視の刃となって走る。それはトロールの顔面を切り裂き、血が弧を描いて飛んだ。
視界を奪われた怪物が、よろめく。
その前に、カレンが立った。指を銃の形にして、無邪気な動作で構える。
「〚ボル〛!」
指先から放たれた電撃が、一直線に撃ち込まれる。
「がぁぁぁぁぁ!!」
雷撃を受けたトロールは、巨体を痙攣させ、その場に膝をついた。
「……!」
その隙を、カリスは逃さない。踏み込みと同時に、剣身へ魔力が流れ込む。
淡く、紅く輝く刃。
「これで終わりだ!」
カリスは叫び、前へ回り込む。
渾身の一撃。
喉元から胸元へ一直線。
直後、最後の詠唱が重ねられた。
「〚ポガル〛!」
剣と炎が一体となった瞬間、轟音が響く。トロールの体内から爆発が起こり、巨体が大きく揺れた。
声にならない呻きを残し、やがてその身体は、岩の崩れるような音を立てて地面に倒れ伏した。
焦げた匂い。微かに残る雷の余韻。
カリスは刃を下ろし、シャノンは大きく息を吐く。
カレンは、笑顔を浮かべた。
「……思ったより、硬かったな」
「ええ。でも、倒せました」
「えへへ〜、やったね〜!」
俺は、何も言えなかった。何も、できなかった。
「ダレン……大丈夫か?」
カリスが振り返る。本気で心配している顔。その表情が、逆に胸を抉った。
「あぁ……」
茂みの奥から、フィーラー先生が姿を現す。
「これでテスト終了だ」
そう言って、魔法で通話を繋ぐ。
「トロールを討伐。回収を頼む」
短く告げ、通話を切った。
「帰るぞ」
俺たちは、来た道を戻り、自動車へと乗り込んだ。
「いや〜、疲れたなぁ〜」
「カリスは、少し突っ走りすぎです」
「そ〜だよ〜、カリス君、危ないよ〜」
車内では、三人の会話が弾む。俺だけが、黙って窓の外を眺めていた。
森が、後ろへ流れていく。
その景色が、やけに遠く感じられた。




