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5) イリオスの夢


「おお〜い、待ってよお」


 アステルは16歳だ。

 前を歩く銀髪の青年に声をかける。青年はアステルよりもだいぶ歳上で、20代の後半から30代の前半くらいに見える。

 裾の長い、白い聖職者の服を揺らして、ゆっくりと振り向いた。


「きみって、たまに歩くのがはやすぎるんだ」

「失礼、アステル。考えごとをしていたものですから」


 イリオスは、やわらかく微笑む。

 イリオスの所作のひとつひとつは、どこまでも上品で、美しい。


 ふたりは春の小道を散歩している。

 アステルはさっき転んで、手を怪我している。


「神聖力で治しましょうか? アステル」

「だ、大丈夫だよ! これくらい!」


 イリオスに神聖力を使われると痛い。

 アステルは人間でいたいが、その実、魔物だからだ。



「……だって、きみが転ばせたのに、ひどいよ」


 アステルはイリオスの背中に、本当に16歳であれば、絶対にかけなかったであろう言葉をかける。


「でもぼくは、きみにもっと酷いことをしたから、なにも言えないね」


 イリオスは振り向かない。

 ぼんやりと春の花を見ているようだ。



「きみと春の花を見ながら散歩するのって、不思議な気持ちだ」


 アステルは歩きながら、話す。


「きみはぼくを許すとか、許さないとか、そんな話ではもうないことはわかっているのに――許された気持ちになる」


「きみはもういないんだから、そんな話にはならないのにね」


 イリオスはアステルの話に……アステルに、興味がなさそうだ。



「……きみはもう、楽園へは行けない。罪を洗い流すために、魂が流転することもない」


「だって、きみの魂はぼくの手のなかにあるんだ、ごめんね」


 アステルは友人に謝る。

 友人からの返答はない。


「ねえそれから、ぼくは、きみはなんでもできると思っていたけれど――料理は下手なんだね?」

「え?」


 友人は紫色の瞳を丸くした。

 トゥリフェローティタみたいな顔だ。




(良い夢を見た)


 アステルはベッドのなかでぽやぽやと良い夢を噛み締めていて、ハッとした。


 ガバッと起き上がり、ベッドサイドのテーブルの上にある小さなガラスの箱のなかをのぞきこみ。ねずみのシンシアがぐーすか眠っているのを見て、ホッとひと心地ついた。


 昔、ミミズのシンシアが踏み潰されて死んでしまってから――小さな生き物になるたびに、心配がたえない。


 ルアンはおおきい。潰す心配がない。

 シンシアはちいさい。潰す心配がある。

 同じベッドで眠るときに、この差は大きい。


 

 シンシアの無事を確認してから、もう一度、ひとりでベッドに寝そべり。

 アステルはイリオスのことを考える。

 

 気が遠くなるほど昔、憧れていたひとのこと。

 


(五百年の間に何回、イリオスの夢を見たことだろう……)


 イリオスが白い部屋に封印されて、はじめの数百年は、だいたいが悪夢だった。


 友人に地獄の苦しみを与えることに加担した。計画の全体図を描いたのがアステルではなかったとしても。抗ったとはいえ、最後の最後に、アステルもそれを選択した。


 だから、暗い夢だったし、夢に出てくるイリオスはたいてい恨み言を語った。



 アサナシア教の聖職者であった友人のために。


 アステルは、白い部屋の前にアサナシア教の小さな祭壇をつくった。女神アサナシアの像を大切にして、季節ごとにお花を供えた。魔王アステルは、少しでも友人の苦しみが和らぐように祈った。そして、いつか魔物になった友人と会えるようにも祈った。


 それらのことに、自分の心をなぐさめるだけの効果しかないことはわかっていても。



 時が経つにつれて、イリオスに許される夢ばかりを見るようになった。アステルの願望にすぎない夢で、虚しくなった。未だ友人は地獄の底にいるのに、と、アステルは自分を責めた。



 何かが変わったのは、トゥリフェローティタが生まれてからだ。


 昔と今が混ざったような夢を見る。

 だいたいが、良い夢だ。



 アステルが封印の解けた白い部屋の扉を、おそるおそる開いたとき。


 白くてふわふわとした、まあるい魔物だけが部屋に残っていて。2本のやわらかなツノをもつ、手のひらに乗るほどちいさな魔物は、泣いていた。

 

 彼は、アステルの目には、光り輝くように感じられた。



 友人は恨みや憎しみに支配されていなかった。支配されているとしたら、かなしみだった。


 人間であったときの記憶をすべて無くし、

「消えるのが怖い」

と泣く姿に。


 アステルは慈しまれるべき姿を見た。

 だから、「慈しみ、慈しまれる存在になりますように」と、「トゥリフェローティタ」と名付けた。


 トゥリフェローティタはアステルの宝物だった。

 五百年も待って、ようやく得た、宝物。

 



 かつて、イリオスという人は、孤独なひとだった。穏やかに微笑み、美しく、多くの人に慕われて、なんでもできて完璧に見えたのに、その実、どこまでも孤独だった。


『残酷なことが好き』という本性を持ちながら聖職者の家に生まれ。自分の存在を自分で否定し続けてしまうような環境に育ち。


 理解しようとする人がまわりにいなかっただけではなく。

 触れることも触れられることも苦手で、誰とも触れ合えず。わかりあえもしなかった。



 アステルが「イリオスは魔物のほうが向いている、仲間になってほしい」と言ったとき。


 友人はこう言った。


「もう、生まれてきたくなんてない」



 アステルは考えた。


 魔物に生まれ直せば。

 べつに残酷なことが好きだろうが、加虐趣味があろうが、死体性愛者だろうが。

『だって魔物なのだから』で片がつく。


 アステルのまわりの魔物にそこまでの趣味趣向のものがいるかと聞かれると、決して、そんなことはなかったが。


 少なくとも、強く否定され続けることはないし、自分で自分を否定し続ける必要もない。


 だから、アステルは。



 トゥリフェローティタに手を差し伸べる。

 孤独だった友人の魂に。

 

 それは「そうしたい」という気持ちがあるからだが、そもそも、アステルには責任がある。


 友人の魂を半ば強引にこの世にとどめた責任が。


(願わくば、生きることを楽しんでほしい、彼にも)



 白いふわふわの魔物のトゥリは、本当に本当に可愛らしかった。

 

 アステルに慣れてくると、アステルの手のひらの上で物語を聞き、葉っぱを食べて。


「ありがとう」

と笑ったトゥリフェローティタのことが、アステルは本当に愛おしかった。



 もう一度、生きることを楽しんでほしくて、人間の依代をプレゼントして……少年の姿をとっている今も、もちろん可愛らしいのだが、アステルは少々……びっくりしている。


 本性を隠さない友人が、あまりに唐突に残酷なことをするので。



 シンシアとルアンはアステルにとって誰より大事なふたりだ。


 だから、事前に予想していなければ。

 トゥリが、シンシアの死体を描いたとき。

 ルアンに毒餌を盛ったとき。

 アステルの心はもっと乱れたはずだ。


 アステルは人間の頃の友人の残酷さを知っている。優しくおだやかな顔の裏で、拷問するのが大好きで、死体性愛者で、殺したり、いじめたり、痛めつけるのが好きなこと。


 知っていた。


 でも、(トゥリはこういうことをするかもしれない)という予想はついても、タイミングを予測することが難しい。


 ルアンの背中の毛を引っ張ったときだって、どういう心理が働いてそれをしたのかがアステルには見えてこない。


 嬉しそうに撫でていて、急に。


 びっくりする。



(イリオスも幼少期、こんな感じだったのだろうか)


 とてもそうは思えなかった。

 本性に蓋をして生きていたはずだから。



 トゥリフェローティタが残酷なことをするのは、本性を隠さずに、生き生きとしている証拠でもある。

 とはいえされたら困ることもある。


 友人にどこまで、どう寄り添えるのかは、アステルの課題だった。そして友人の残酷さ以外の部分を、どこまで見つけて、引き出せるのかということも。


(でもトゥリを、ひとりぼっちになんてさせない。させたくない。

 彼はぼくの、宝物だ)


 そこまで考えて、アステルは微笑む。


(ぼくの五百年と、彼の発想力で勝負だね)


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