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2) よりしろと客室


 トゥリフェローティタのはじまりの記憶は、地獄のようなものだ。まだ名前を持たない頃のトゥリは、数多の生き物が死んでは生まれくる小さな部屋に閉じ込められていた――およそ、五百年ほど。


 白くてちいさなナメクジのような魔物であるトゥリは、その部屋でのヒエラルキーは1番下のようだった。しかし、うじゃうじゃとありとあらゆる生き物がいる部屋で、体を生き物が喰んでも、なぜかトゥリだけが死ななかった。



 ある日、『生き物が生まれては死ぬ魔術』が急に止み、すべての生き物が塵のように消えたかと思うと、『あすてる』が訪ねてきた。


 あすてるは魔王だと名乗り、アサナシア教の聖典をトゥリに渡し、トゥリが名前を持たないと知ると「トゥリフェローティタ(慈しみ)」と名づけた。



「ずっと、きみのことを友人だと思ってきた」

 あすてるはそう話し、トゥリが覚えていないのを知ると、

「ぼくと友達になってほしい」

と願った。



 のちに、あすてるが語ったのは、トゥリはもともと人間だったということだ。『生き物だらけ』の拷問を経て、魔物として生まれ直したのだと。


「トゥリが生まれてきてくれて、ぼくはとっても嬉しいんだ」



 ナメクジ姿のトゥリフェローティタは、しばらくのあいだ、そのまま白い小さな部屋で過ごした。


 あすてるは毎日かかさずやってきた。トゥリは、毎日とても楽しみだった。

 あすてるは草食のトゥリのためにいろいろと美味しい葉っぱを持ってきて、それから、物語の本を読んでくれた。


 さまざまな物語を聞き、トゥリはどんどん賢くなっていった。地獄のようだったちいさな部屋は、あすてるが整えて、居心地の良い部屋になっていった。



 あすてるはトゥリに教えるためにいろいろなものを持ってきたが、ある日、奇妙なものを持ってきた。


 人間の死体である。

 14歳くらいの、銀色の髪の少年の死体だ。


「きみの生まれ故国でちょっとした争いがあって、王子様が1人亡くなった」


「もらってきた」

「何を?」

「死体」


 それはすごく綺麗な死体だった。

 外傷ひとつなく、まるで眠っているかのような。


「毒殺されたんだ、先王の血をひいていたものだから。きっと死ぬだろうと思って、何年か見守っていた」

「助けなかったのですか?」

「ぼくは他国に干渉しないと決めているからね」


「もちろん、レプリカを置いてきた。死んですぐに、レプリカと交換したんだよ。

 この死体には、保存魔術をかけた。

 きみへの贈り物だからね」



 トゥリは死体の口から少年の中に入った。依代がトゥリに馴染むと、あすてるは言った。


「そろそろ行こうか」

「どこへ?」

「部屋の外へ。魔王城へだよ」


 あすてるはトゥリの顔を見つめた。

 真剣な眼差しを向ける青い瞳の中に、見慣れない銀色の髪の少年が映っていた。


「トゥリフェローティタ、覚えておいて欲しいんだけど」


「この先、誰が何を言おうと、どんなことがあろうと、ぼくはきみを愛しているよ。

 大切な友人だと思っているからね」



 ちいさな部屋は、魔王城の最下層にあったようだ。あすてるの魔術で表の魔王城へと出て、謁見の間というところへ向かった。


 扉が開かれて、あすてるが中央の通路を進むと、謁見の間に集まった魔物の全員が頭を垂れた。

 そこではじめてトゥリフェローティタは、あすてるは本当に魔王で、とても偉いらしいということを知った。


 魔王アステルは、魔物たちに宣言した。


「トゥリフェローティタは罪を償った。彼はもう魔物で、ぼくたちの仲間だ」


 謁見の間はざわついた。

 ひそひそ声が「恩赦であろう」と囁いた。

 まわりがトゥリを見る目、目、目。

 嫌悪、敵意、憎しみ――


 トゥリフェローティタは、震え上がった。

 もうすでに『あすてる』と過ごした小さな部屋に戻りたかった。

 しかし、アステルはトゥリを逃さず、そばを離れなかった。そのことでも、魔物はトゥリに対する反感を強めたようだったのに。


 

 アステルはトゥリフェローティタを賓客として扱った。お客さま用の広い部屋を与えて、魔物たちにトゥリの世話をさせた。


 アステルと会える機会はぐっと減ってしまった。トゥリは『あすてる』が葉っぱをくれていた頃を思い、戻りたい、と思った。




 ある夜。

 トゥリは暗い城の廊下を歩いていて、灯りの漏れる部屋からのひそひそ話を聞いてしまう。


「魔王様にも困ったものだ。

 ご自分で封印された者の封印を、ご自分で解くなど」


 あの地獄に。

 あの地獄にトゥリを落としたのは、アステルだという。

 アステルは五百年のトゥリの地獄を、作った張本人であり、それを解除した張本人でもあるという。


 トゥリはアステルが矛盾を孕んだ存在だと知る。

 しかし、そんなことはどうでもよかった。

 地獄に落とした。地獄から救った。

 アステルは神様なのだから身勝手でも仕方がない。


 でも、その先。

 どうしてあの部屋で、ふたりで居てくれなかったのだろうとトゥリは思った。


 あの部屋にいた頃のトゥリは、アステルの『特別』だった。けれど外に出てきて、知った。


 アステルは魔物の王であり、この魔物の世界での絶対的なトップだ。アステルひとりが絶対で、そのアステルの寵愛を一心に受けるシンシア妃が絶対で、他のすべての魔物は有象無象だ、トゥリを含めて。



 トゥリは、トゥリとアステルだけの部屋にいて、かまわなかったのに。シンシア妃を愛している、ねずみに惚れているアステルなんて見たくなかった。ルアンという犬を可愛がる姿なんて見たくなかった。仕事のできる者を重宝する魔王の姿も見たくなかった。


 トゥリは、ナメクジの姿で良いから、美しい人間の姿も、食欲も睡眠欲も性欲もいらなかったから、アステルから葉物をもらって、撫でられて、それだけでよかったのに。と思った。


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