17) いちばんぼしとガラスの箱
カバンどころか、トゥリは人間のお金もたいして持っていないことに気づく。
本棚から四角い缶カラをとってきて、ベッドの上で蓋をあける。なかにはアステルにもらった栞、ガラス玉、綺麗な石、貝殻、チョーク、それから金貨、銀貨、銅貨、紙幣が数種類入っている……お金はどれも一枚ずつだ。
アステルが物語を読みながら、トゥリにお金について教えてくれたときに貰ったものだからだ。
(良いことをしたら、お金がもらえる物語が各地にあることは、教えてもらった)
けれどトゥリには、どれがどの国のお金なのかがわからない。どれほどの価値があるのかも。
トゥリのテンションはしぼむ。
すぐすぐ出かけるのはあきらめる。
缶をしめて、広い部屋を見回す。
(アステル様は、ここで生活するのに何不自由ないものを与えてくれる)
(でも、出かけるのに必要なものでくださったのは、靴とコートだけだ)
靴とコートは、魔王城の庭を散歩するのにだって必要だ。
写生大会以降、トゥリはアステルの仕事をちょこちょこ手伝っている。初回に、「報酬に何が欲しい?」と聞かれた。
「なんだって、きみの欲しいものを用意するよ」
けれどアステルは、先回りしてなんでも用意してしまうから。トゥリは、そのときには欲しいものが見つけられなかった。
(今から言ってみても大丈夫だろうか?)
「カバン? どうして?」
ふたつ返事で「うん、いいよ」と笑顔が返ってくると思ったのに、理由を聞かれてトゥリは言葉に詰まった。
「えっ……と……」
トゥリは、嘘をつく。
「や、山で毒草をとるので」
「はい、カゴ」
アステルは執務室に飾ってあったカゴをとって、渡す。アステルがくれるにしては、なんだか少し不恰好なカゴだ。
「う……」
「ぼくの手作りだよ……なんてね」
アステルはくすくす笑った。
「わかった、カバンね。リュックみたいなものでも良いかな? 用意しておくよ」
「ありがとうございます」
お礼を言ったトゥリのことを、アステルはじっと見つめ、微笑む。
「でもね、トゥリ。まだ魔物として若いうちは、城の外へ行くときは、ぼくと一緒に行こうね」
「どうしてですか?」
アステルと一緒だと、トゥリは残酷なことをさせてもらえない気がした。
「きみは昔、人間のころ、魔物を討伐する側だった。でも今や、討伐される側だ」
「大丈夫ですよ」
「成熟した魔物だって、帰ってこなかった者はたくさんいるよ。トゥリなんて、魔物だとバレるのもすぐ、討伐されるのもすぐだよ。それこそ赤子の手を捻るようなものだ」
トゥリは、納得ができない。
「アステル様は、人間との平和の道を築いていると、お聞きしましたが」
「そうだよ。でも、ぼくが人間が好きで、人間たちを信じていることと、危険な魔物が人間に討伐されるされないは、別の話だ」
危険な魔物、とアステルは言った。
トゥリはふくれっつらで、部屋に戻る。
アステルにもらった、価値を知らない硬貨と紙幣をいくつか、服のポケットにつっこみ。
昨日訪れた街に転移しようとする。
バチッ
トゥリは、失敗する。
(私は、目視できる範囲にしか転移できない)
昨日の大きな街はあきらめて、タフィの町を目指してみようと思いつく。
歩いて3日くらいと聞いていたからだ。
春だが、夕方から夜にかけては寒くなるはずだ。トゥリは部屋に書き置きを残し、コートを着ると、庭に出る。魔王城のまわりをぐるっと囲む、森から続く道を目指す。
トゥリは森のなかに、今まで知らなかったものをいろいろ見つける。神聖力をまとっている木、大きな倒木、毒の沼、小さな洞窟、タフィ教の祭壇らしき場所、首のとれたアサナシアの像。
しかし、いつまでたっても森から出られない。
(疲れた)
日が暮れてきたところで、トゥリを呼ぶ声がした。
「おーい、トゥリ〜 トゥリフェローティタ〜」
アステルの声だ。
「ばんごはんだよ、戻っておいで〜」
トゥリは声よりも少しばかり、高台にいる。
木々の隙間から下を見ると、アステルの姿が見えた。その先に、芝生が見えた。ルアンがよく駆け回っている芝生だ。
(こんなに歩いたのに、魔王城の庭に出るなんて、おかしい)
トゥリフェローティタは、気づく。
アステルと反対方向へ森を走り。
呼び声が聞こえないくらい離れると、目をつむる。
(失敗しろ、頼む)
トゥリは、アステルのもとへ転移しようとする。
「トゥリ!」
トゥリは、魔王城の庭にいる。
アステルはトゥリを見つけて嬉しそうに、腕を広げる。
「ハグしてもいい?」
「……ええ」
抱きしめられると、アステルのにおいがする。ひだまりのようなあたたかなにおいだ。
トゥリは、魔王城に張り巡らされた結界に、外への転移を阻まれていることに気づく。
森から歩いて出ることもできない。
トゥリフェローティタは、ひとりでは外へ出られない。
なんて複雑な魔術なのだろうか。
(そんなことができるのは、ひとりだけだ)
アステルの腕が体から離れ、トゥリはアステルを見上げる。
トゥリの顔を見て。金髪碧眼の魔王は、寂しそうに微笑み。手を差し伸べる。
差し伸べられた手は、震えている。
トゥリが黙って手を繋ぐと、大きな手の震えは、次第におさまった。
ふたりは魔王城に向かい歩く。
アステルは心なしか、力を込めて、トゥリと手を繋ぐ。
「今日ね、ぼくの家庭菜園でね、美味しい葉物野菜がとれたんだ。春の野菜だよ。だから料理長に、トゥリフェローティタのサラダに入れてもらうように頼んできた。
トゥリは、お肉よりお魚より、野菜が一番好きだものね。きっと気にいるよ」
「楽しみです」
「今度トゥリも、ぼくの家庭菜園においでよ。夏になったら、いろいろ採れて楽しいよ」
「それも、楽しみですね」
ふと、気になってトゥリは聞く。
「ミーロとも、ミーロが少年の頃に、こんなふうに手を繋ぎましたか?」
「ううん、しなかった。
ミーロは早熟で、きみの体の年齢くらいのときには、ぼくを避けていたよ。
でもね、それまでのぼくの行ないが悪かったんだ」
「避けていた?」
アステルは微笑んだ。
「200年くらいかけて、お互いに歩み寄って、仲直りしたんだ」
トゥリフェローティタは、考える。
ルアンは、狼の魔物だ。
シンシア妃は最初は人間だったが、以降、人間には転生していない。
トゥリは最近、生まれてはじめて手を繋いでいるけれど。目の前のひとも、もしかしたら、400年ぶりくらいに手を繋いでいるのかもしれない。
そう思ったら、トゥリはなんだか怖くなった。
さっき自分から、アステルの手をとったこと。アステルが力を込めて、トゥリの手を離さんというように握っていることも。
トゥリは細く長く息を吐く。
空を見上げる。
「アステル様、星が見えますよ」
「本当だ、一番星だね」
「アステル様みたいな星ですね」
「? 綺麗ってこと?」
アステルははにかみ、笑う。
「ありがと」
夕方から夜に移り変わる空に。
輝く星には、まわりに他の星がいない。
(ひとりぼっちで、アステルみたいな星)
アステルの周りにはいつも魔物たちや彼を信仰する者がいて。
「アステル様、アステル様」と慕っている。
けれど、彼らはアステルの手の震えを知らない。彼らはアステルを神様と見ているから、手の震えに気がつかない。
アステルがトゥリに失望されるのを怖がるような、普通の人間らしさを残しているのを知らない。何百年ぶりに誰かと手を繋げることに、喜んだり、それを受け入れられて安堵する姿も知らない。
(ひとりぼっちだから……)
トゥリは夕飯に好物の美味しいサラダを食べて。あたたかい温泉に入って。私室に戻って。
もう一度、部屋のなかをみまわす。
眠り心地の良いベッド、書き心地の良い机、座り心地の良い椅子、たくさんの本の納められた本棚。着心地の良い服と、少年の死体。
美しい花の入った栞。
アステルがトゥリの生活、教育のために用意してくれたものと、ご褒美としてくれたもの。
(ひとりぼっちだという理由で、アステルを許せるだろうか)
あの瞬間。
腕のなかから逃れてアステルを見上げた瞬間、きっとトゥリは怯えていた。
それを見たから、寂しそうな顔をした。
震える手を差し出した。
(ずるい)
震えたかったのは、トゥリのほうなのに。
アステルはずっと、トゥリに、罪を償って自由になったかのように錯覚をさせてきた。
けれどその実態は、あの白い部屋が、魔王城の庭まで、まわりの森の一部まで、広がっただけのことなのだ。
トゥリは、シンシア妃のガラスの箱を思い出す。
(私も、あのねずみと一緒だ)
トゥリは心の中でシンシア妃をバカにしていた。アステルにガラスの箱に閉じ込められている、大昔に人間だったというだけのねずみだと。
(けれど私だって、同じではないか。大昔に人間だったというだけのナメクジだ)
(同じだ)
(ずるい。アステルは、ずるい)
だから、トゥリがいじめることを「いいよ」というのだ。アステルは、アステルがずるいことを、知っているから。
トゥリは悔しくて悔しくて、涙をこぼす。今すぐ、あの美しい首をもう一度絞めに行ってやりたいと思いながらも。
それすらアステルの手のひらの上の気がして、触り心地の良い毛布にくるまって耐える。
部屋の毛布も、牢屋でアステルに差し出された毛布も、いつもトゥリを癒してくれた。
けれどこの日、トゥリは毛布が憎かった。
あったかくて、やわらかくて、憎かった。
まわりにあるやさしいものがすべて、トゥリフェローティタがガラスの箱の中にいる、証明のようで。




