11) ルアンのシャンプー
一度見つけた面白いことを手放すのは難しい。
トゥリ、3回目の懲罰牢だ。
アステルが何か言ったようで、スープが日替わりになった。入るたびに待遇が上がる牢屋だ。
深夜、トゥリは靴音に目を覚ます。
黒いローブをまとった、20歳ほどの青年が牢の前を通り過ぎる。首のあたりで揺れる金色の髪が、地下牢の廊下を照らすほのかな灯りに鈍く光る。
「あ、アステル様……?」
トゥリは毛布の中で身を起こし、寝ぼけながら声をかける。
金髪碧眼の美男子は、横目でトゥリを冷たく、チラリと睨んで。去って行ってしまった。
トゥリの心臓が早鐘のように鳴った。
(アステル様が、私を無視した)
あんなに冷たい目で見て欲しかったはずなのに、トゥリは怖くなった。
怖くなったことにも怖くなった。
(さ、3回も牢に入っているからか!?)
トゥリは頬をつねろうとして、勇気がでずに毛布をかぶる。なかなか眠れなかったが、そのうちに眠ったようだった。
昼過ぎ、牢屋から出されたあと。
トゥリは寝不足でぽけーっとしている。
冬だが地下牢はたいして寒くない。
魔王城温泉の真上に位置するためだ。
いにしえの先代魔王カタマヴロスが温泉好きで、温泉の上に城を建てたらしい。
(お風呂入って帰るか……)と、トゥリが温泉に向かうと、珍しく見張りの魔物がいた。
「アステル様の湯浴みの時間だからおまえは入れないよ」
「そんなことないよ」
ひょこっ と、温泉の入り口からまだ服を着ているアステルが顔を出した。
「ですがアステル様、こやつは何をするかわかりません」
「今日はルアンのシャンプーも兼ねているから大丈夫だよ。ルアンもいるから。
おいでよトゥリ、一緒にお風呂はいろう」
(いつものアステル様だ……)
牢屋に毛布を差し入れる姿と地続きだ。
トゥリは昨夜の、トゥリを虫けらか何かのように見たアステルの姿を思い出す。
(やっぱり夢だったのか?)
温泉の手前の、服を脱ぐ場所で。ルアンは、トゥリが来たのを見て(はあ?)という顔をしている。トゥリは、ルアンの冷たい視線を嬉しく思って、ホッとした。
(私がアステル様に冷たく見られるのが嬉しくないなんて、何かの間違いだ)
「あははっ あははははは」
しばしのち、ルアンがシャンプー後に細くなったのを見て、トゥリは大笑いしている。
ルアンはトゥリを噛もうとして、トゥリは裸で逃げ回る。
「トゥリ、温泉は走っちゃダメだよ〜」
アステルはゴツゴツした岩でできた温泉からのんびりと顔を出して、ニコニコとふたりが走り回るのを見ている。
ルアンが寒くなったのか温泉に戻ったのを見て、トゥリも温泉に戻る。
紺色の狼は、すいーっと温泉の中を泳ぐ。
アステルは機嫌が良さそうだ。
魔術で温泉にさまざまな柑橘類を呼び寄せ、浮かべて遊んでいる。トゥリの不思議そうな顔を見て、「先代魔王はこうやって遊んだらしいんだ」と言い訳をした。
「ぼくね、こんなふうに息子とのんびり温泉入るのって、夢だったかもしれないよ」
トゥリは、カチンとくる。
「アステル様にとって、私は子どものようなものだと?」
「えっと……もちろんトゥリは、ぼくの大切な友人だよ。だけどほら、ぼくたちって歳が離れすぎているでしょう?」
トゥリは嫌なのだが、どうも魔物たちには、魔物になったところから年齢を数える慣習があるようなのだ。その方法をとってしまうと、トゥリがあの部屋に閉じこめられていた分だけ、アステルとの間に年齢の開きがある。
トゥリはまだ、赤ちゃんということになってしまう。
「私だって人間のときから数えたら、五百歳をすぎています」
「そうしたらトゥリは、ぼくより年上ってことになるね」
アステルはやさしく微笑んだ。
そのあと温泉の天井を見つめた。
「人間のシンシアとの子どもともお風呂に入ったりしたけど、もうほとんど記憶にないよ」
「アステル様ってご子息は、いらっしゃるんですか?」
「うん。でも、人間の血族はどこに誰が残っていて、どこに分布しているのか、もうちょっとわからないよ。玄孫くらいまではわかっていたんだけど……魔王の血縁だと知らない人も、出てきてるんじゃないかな?」
「ぶんぷ? やしゃご?」
「人間のシンシアとの子どもはね、みんな魔物の特徴が薄くて。人間だったからね、世代交代が早くって……もちろん直系の子どもなんて、とっくのとうに亡くなっているよ」
トゥリは疑問に思う。
(ご子息は居た。でも400年くらい前に亡くなっているのなら、それは『ご子息がいる』といえるのか?)
(あれ、じゃあ、この国には王子がいないのか? そもそも、不老不死に後継者って必要なんだろうか?)
「だから、トゥリは友人だけどね。親しい友人だから……家族が増えたみたいで、嬉しいよ」
温泉をでたところでアステルが「あ、わすれものした!」と言い出した。トゥリにふわふわもこもこのタオルを2枚渡す。
「トゥリ、ルアンをタオルで拭いておいてくれる? よろしくね!」
トゥリは急に、ルアンとふたりで残される。
このあいだ、殺されたばっかりだっていうのに……。
(そんなことを言われても)
トゥリだって体が拭けていない。
トゥリは、トゥリの体を先に拭く。
するとルアンは近くで、ブルブルッと体を振るって水気を飛ばす。トゥリの体はまた濡れた。
(この、バカ犬――!)
ルアンは、トゥリを嘲るような顔をしている。
『拭けるもんなら、拭いてみな』と顔に書いてある。『おまえはどうせそんなことはしないだろう』と。トゥリを見くびっている。
トゥリはルアンに対して、(もう一生、寒いままでいろ!)という気持ちと、夜中に見たアステルに無視される幻覚とがない混ぜになる。
ぐう……! となりながら、トゥリはタオルを手に、ルアンを拭こうとする。
こんいろおおかみの顔をふわもこタオルではさみ、ルアンとにらめっこしていると、アステルが戻ってきた。
「ごめんごめん、お待たせ……あ、いいところだった? どうぞ続けて!」
トゥリは、真っ赤になる。狼の顔に乱暴にタオルをかけて去る。少し離れたところで、ぷんぷん怒りながら、もう一枚のタオルで自分の体を拭く。
アステルはくすくす笑い、ルアンと目と目で会話する。
(トゥリは、可愛いでしょう?)
アステルは、呆れ顔のルアンをタオルで拭く。そのあとあたたかな風の魔術で、ルアンをふわっふわの狼にした。
着替え終わったアステルの手に、鎖のついた小さな鍵があるのをトゥリは見る。取りに行った『忘れ物』だろう。
アステルはそれを、黒いローブの内ポケットにしまった。
何の鍵かと考えて、トゥリはハッとする。
きっと、シンシア妃の、ガラスでできた家の鍵だ。
(魔術だけで施錠しているわけじゃ、ないのか)
「トゥリ、服を着たらこっちにおいでよ! シャンプー後のルアンの毛並みってすごいんだから、少し触ってごらんよ!」
「触りませんっ」
「えー? なに怒ってるの?」
アステルは着替え終わったトゥリの近くにやってきた。
「トゥリの髪も、乾かしてあげようか?」
「え?」
アステルは、銀色の髪に触れる。
途端にトゥリの髪は乾いて、さらさらになる。
「トゥリの髪も、触り心地が良いね」
アステルは笑って、すぐ、慌てた。
「あ! 触れて良い? って聞かずに触っちゃった……トゥリとお風呂入れたのが嬉しくてつい……ごめんね」
「べつに、構いません」
「そう? じゃあ、」
アステルはもう少し触りたそうに、トゥリの髪に手をのばす。が、紺色の犬が吠える。
「うー わん! わんわん!」
「ひっ……」
トゥリには意味がわからない。
どうして番犬が飼い主に吠えるのだろうか。
アステルもアステルで、どうしてそんなに怯えるのだろうか。
(吠えるなら私に対してじゃないのか? 犬……)
トゥリはアステルの髪に触れてみたい気もした。けれど触った途端に引っぱりたくなるのは明白だったし、昨夜のアステルの幻覚も消えないし、
(今日はもういいか……)
という気持ちでその場を終えた。




