1) シンシア妃を見て、半殺しにされたい
カラカラカラカラ。
大きく透明なガラスの箱の中で、回し車がまわっている。まわしているのは、子どもの手のひらの上にも乗るほどの小さなねずみだ。
白く美しいねずみの名前は、シンシア。
魔王城ではシンシア妃と呼ばれている。
トゥリフェローティタは、ガラスの箱の前で、先ほどからずっとシンシア妃を見ている。
トゥリフェローティタは、ねずみなんて見たくなかった。ただ、シンシア妃をこんなにも長く見つめ続けるのが罪であることをわかって、それをしている。
トゥリフェローティタ、通称トゥリは、サラサラとした銀色の髪を、耳にかかるくらいで切り揃えている。紫色の瞳で、14歳ほどの少年の姿だ。魔王城には不釣り合いな、まるで聖職者見習いのような白い服を着ている。
魔王城で働く魔物たちが、トゥリが夜にシンシア妃の部屋に入り込んでいるのに気づき、「うわ!」と声をあげて焦ったような動きをしているが、誰も入ってはこない。
誰も巻き込まれたいと思っていないからだ。
シンシア妃は回し車を回すのをやめる。
そしてなんと、ガラスに近づき、トゥリフェローティタのことを見にきた。ねずみの青みがかった灰色の瞳が細くなり、トゥリを冷たく見つめた。
シンシア妃から興味を示されると思っていなかったトゥリは、驚く。
(いいぞ、ねずみ! もっと私を見ろ!)
トゥリはねずみを睨み返す。
(おまえの興味を惹けるほど、私はあの方の興味を惹けるのだから)
「トゥリフェローティタ」
トゥリは、肩に置かれた手の感触と、声を聞いて、背筋がぞくぞくとした……嬉しくて。
期待しながら振り向く。しかし、アステルは『とくべつ』な顔をしていなかった。
怒りも冷たさも、アステルの青い瞳には宿っていなかった。顎先まで伸びる、ふんわりとした金色の髪にも、取り乱した様子はない。黒いローブにも乱れはない。
ただただ、平静であった。
(何故!? シンシア妃と見つめ合っていたなんて、絶対に怒るはずでしょう!?)
カラカラカラ……と回し車の音が聞こえる。
アステルが来た時点で、シンシア妃はササッと身を隠したようだ。
(あのねずみ!!! 許せない!!! あとちょっとで、アステル様をものすごーーく怒らせることができたのに!!!)
永遠に20歳を生きる、金髪碧眼の美しい魔王城の主は、トゥリの耳の横、銀色の髪に触れた。
「トゥリ、ぼくの嫌がることをするのは、楽しい?」
なぜ触れる、と横目で見たあとトゥリは答えた。
「はい! アステル様」
良い笑顔だ。
アステルはため息をつく。
「ほら、この部屋に長居はしないよ。シンシアは運動しているわけだから、邪魔したら悪いよ」
トゥリの背を押して部屋から出すと、アステルは金色の髪を揺らし、振り向く。
「またあとで、シンシア」
白いねずみはまた、ガラスの近くへと来た。アステルを見つめ、アステルもシンシアを見つめる。目と目だけで会話しているような夫婦の姿に、トゥリはもう一度、ねずみを憎たらしく思う。
シンシア妃は、昔は人間の美しいお姫様だったそうだ。白くふわふわの長い髪に、青みがかった灰色の瞳。白い肌に、白いドレスを着た。金髪碧眼で美しいアステルにお似合いの、美しい姫君。
(でも、今はねずみだ)
トゥリは部屋を去る前に、シンシア妃を睨む。
後日、『トゥリフェローティタがシンシア妃を見たが怒られなかった』という話を聞いた愚かな魔物が、夜行性のシンシア妃の姿を一目見ようと、シンシア妃の部屋に足を踏み入れた。その瞬間に、アステルに半殺しにされた、という話をトゥリは聞いた。
(羨ましいいいい!!!! 何故!?!?)
トゥリは、半殺しにされた魔物に話を聞きに行く。らんらんと輝く紫色の瞳を向ける。
「アステル様は、どうやって貴方を半殺しにしたんですか? どんな表情をされていましたか? 怒っていたんですよね? 貴方は、痛かったですか?」
「トゥリフェローティタ! 俺は、おまえを半殺しにしてやりたいよ」
「え? どうしてですか? 私は、羨ましすぎて羨ましすぎて、貴方を半殺しにしたいのに……相思相愛ですね!」
魔物は、トゥリの笑顔にドン引きして、舌打ちして去っていく。
(ああ、アステル様……)
トゥリは私室でしくしく、と悲しそうにしている。
(なんで、私のことは半殺しにしてくれないんでしょう……)
トゥリがシンシア妃を見ていた日の深夜。
部屋の扉を閉め、アステルはシンシアを手のひらにのせている。
「シンシア、きみは本当に酷いひと」
アステルが白い首もとを指でかくと、シンシアは心地よさそうに首を傾け、もっとかいて欲しそうにする。
「きみ、ぼくにあの子を傷つけさせようとしたね?」
ねずみは、アステルの話をたいして聞いてなさそうだ。もっとかいてほしそうにキュッキュッと鳴いている。
「話をはぐらかさないで、シンシア」
アステルは指で触れるのをやめて、シンシアを見つめる。シンシアは意味ありげに見つめ返した。
「きっと、無駄だって思っているんでしょう? あの子に愛がわかるはずないって、そう思っているんでしょう」
アステルの青い瞳には、強い想いがある。
「そんなことないって、ぼくは証明してみせるよ、きみに」




