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42  作者: カムロ
14/14

第14話 反転

夜が、静かすぎた。

 照明を落とした部屋は、まるで最初から誰も住んでいなかったかのように整っている。

 家具の配置。

 床に落ちる影。

 すべてが“正しい位置”に収まっていた。

 だが、その正しさが、一樹には不気味だった。

 ソファに座り、スマホを握ったまま動けずにいる。

 さっき見た映像が、まだ網膜の裏に残っている。

「次は、お前の番だ」

 あれは、警告だったのか。

 宣告だったのか。

 それとも——交代の合図か。

 テーブルの上に置いたマグカップに、薄く水滴が残っている。

 使った覚えはない。

 だが、確かに“使われた形跡”があった。

(……俺は、どこまで俺なんだ)

 そう考えた瞬間、胸の奥がひくりと痛んだ。

 ふと、部屋の照明が消えた。

 一瞬の暗闇。

 だが、慌てるほどではない。

 すぐに非常灯が淡く点いた。

 その薄明かりの中で、

 リビングの向こう側に“立っている影”が見えた。

 自分と同じ背丈。

 同じ輪郭。

 同じ立ち方。

 顔は、はっきりしない。

 だが、それでも分かる。

(……俺だ)

 声は出なかった。

 恐怖よりも先に、理解が来ていた。

 影は一歩、こちらに近づく。

 足音はない。

 ただ、空気が静かに押し分けられる感覚。

「……いつからだ」

 やっと声を絞り出す。

 影は答えない。

 だが、こちらを見る“気配”だけが伝わる。

 その瞬間、胸の奥に、沙織の気配が重なった。

 声ではない。

 姿でもない。

 ただ、確かな“判断”。

――今じゃない。

 一樹は、影から目を逸らした。

 影はそれ以上、近づいてこなかった。

 代わりに、部屋の空気が少しだけ軽くなる。

 まるで、何かが“待機状態”に戻ったかのように。

 照明が復旧し、部屋は元の明るさを取り戻す。

 影は、もういない。

 だが、一樹は分かっていた。

 消えたのではない。

 戻っただけだ。

 その夜、眠りは浅かった。

   *

 朝。

 目覚めた瞬間、違和感があった。

 体が重い。

 だが、それは疲労とは違う。

 まるで——

 昨日まで“借りていたもの”が、返されつつあるような感覚。

 洗面所で顔を洗い、鏡を見る。

 映っているのは、自分の顔。

 だが、どこか“完成していない”。

(……俺は、後から来たのか?)

 考えが、言葉になる前に胸が苦しくなる。

 スマホを手に取り、無意識に録画アプリを開いた。

 動画は、増えていない。

 だが、昨日まであった一本が——消えている。

 代わりに、メモがひとつ残されていた。

 テキストだけの、短い記録。

「選んだのは、お前だ」

 文字の癖は、自分のものだった。

 だが、書いた記憶はない。

 そのとき、時計を見る。

 9:42

 胸の奥が、静かに反応する。

(……分岐点)

 初めて、その言葉がしっくり来た。

 沙織は、守っていたわけじゃない。

 導いていたわけでもない。

 ただ、

 “間違えない側に立つための境界”だった。

 そして——

 あの影は。

 危険を避けるために先回りし、

 事故を引き受け、

 夜の時間を使って生活を整えていた存在。

 もしそれが“俺自身”だとしたら。

(……じゃあ、今の俺は)

 問いは、最後まで形にならなかった。

 スマホが震える。

 通知はない。

 ただ、画面が一瞬だけ点灯する。

 黒い画面に映る、自分の顔。

 その奥で、

 もう一人の自分が、こちらを見て微笑んだ気がした。

 一樹は、目を逸らさなかった。

 逃げる必要が、もうない気がしていた。

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