第11話 「残された動き」
夜は、思ったよりも長かった。
照明を消して横になっても、目を閉じるたびに、あの映像が浮かぶ。
ソファに座る“自分”。
マグカップを持ち上げる“自分”。
だが、決して今の自分ではない動き。
何度も寝返りを打ち、天井の暗がりを睨んだまま、いつの間にか眠りに落ちていた。
*
朝、目覚めたとき、部屋は妙に整っていた。
掛けた覚えのないブランケットが、ソファの背にきれいに畳まれている。
テーブルの上に置いたはずのスマホが、端から少し内側へ寄せられていた。
(……俺、やったか?)
そう思いかけて、すぐに考えるのをやめる。
最近は、自分の行動に自信が持てなくなっていた。
洗面所で顔を洗い、鏡を見る。
目の下に薄く影が落ち、疲労がはっきりと刻まれている。
「……大丈夫だ」
誰にともなく呟く。
在宅勤務の朝。
ノートPCを立ち上げ、メールを確認する。
特別な連絡はない。
だが、作業を始めてしばらく経った頃、違和感が積み重なっていく。
保存したはずのファイルが、微妙に違うフォルダに入っている。
昨日書いた覚えのないメモが、デスクトップに残っている。
内容は、仕事の走り書き。
雑で、急いだ文字。
だが、その筆跡は――
確かに自分のものだった。
(……昨日、こんなの書いたか?)
頭を振る。
記憶を探るが、空白しか返ってこない。
昼過ぎ、コーヒーを淹れようと席を立つ。
キッチンへ向かう途中、ふと足が止まった。
玄関の前に、靴が一足揃えて置かれている。
自分の靴だ。
だが、今履いている靴とは違う。
古い方。
ここ数週間、まったく履いていなかったはずの靴。
(……なんで、出てる)
胸の奥が、じわりと冷える。
その瞬間、背後で小さな音がした。
布が擦れるような音。
ほんの一瞬。
振り返る。
誰もいない。
リビングは、いつも通りだ。
だが、空気だけが、ほんのわずかに“動いた”気がした。
その夜、仕事を終えた一樹は、シャワーも浴びずにソファへ沈み込んだ。
テレビをつける気にもならない。
ただ、暗い天井を見つめる。
(……俺は、どこまで起きてるんだ)
昨日見た映像。
今日見つけたメモ。
揃えられた靴。
どれも決定的ではない。
だが、偶然と呼ぶには、数が多すぎる。
ふと、テーブルの上のスマホに目が行く。
画面は消えている。
だが、その黒い表面に、うっすらと何かが映っている。
――自分の顔。
そして、その隣に、
もうひとつ、輪郭の薄い影。
一樹は、ゆっくりと瞬きをした。
次の瞬間、画面に映るのは、自分ひとりだけだった。
喉が鳴る。
(……気のせいだ)
そう思おうとした、そのとき。
スマホが、ひとりでに点灯した。
ロック画面に表示された時刻。
21:42
理由はない。
通知も、着信もない。
ただ、その数字だけが、そこにあった。
一樹は、ゆっくりとスマホを伏せた。
部屋のどこかで、
自分と同じ呼吸の音が、
半拍遅れて重なった気がした。




