第4部31話 嵐の夜⑴
夜の帳が、街を静かに包み込んでいた。
異世界駐在署を中心に再設計されたこの街は、もはや辺境の集落ではない。
高く積まれた防壁。
防壁の上には、侵入者を排除する迎撃装置が並んでいる。
夜は暗かったこの街はすでに、魔導灯が照らす死角のない通りが出来るまで発展していた。
小人達が造り上げた監視塔は、夜目の利く兵士の代わりに周囲を見張っている。
襲撃が起きた所で、万全に対応出来る。
少なくとも——誰もがそう思っていた。
守は夜風に当たりながら、警察署の屋上に立っていた。
「……静かすぎるな。東京の街じゃ考えられないよなぁ。」
隣にいた遠藤が肩をすくめる。
「平和でいいじゃないか。うちの仕事は暇な方がいいんだよ。それにあの島はここと同じくらいに平和だったんじゃないのかい?」
懐かしい島の存在、みんな元気だろうか?
目を瞑って、島のみんなを思い浮かべてみる。
今はこの街の人々の、何げない笑顔を守りたい。
風がない。
虫の声すら、聞こえない。
まるで世界が息を潜めているようだった。
その時だった。
カン、と乾いた音が響く。
振り返ると、小人が一人、工具を落としていた。
いや——違う。
落としたのではない。
倒れたのだ。
「……おい?」
守が近づく。
小人は動かない。
眠っている?
しゃがみ込んだ瞬間、背後で音がした。
カタン。
コトン。
次々に工具が落ちる。
振り返る。
小人が、糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた。
一人だけじゃない。
視界の端で、また一人。
さらにもう一人。
誰一人として声を上げない。
ただ、同時に沈黙した。
遠藤の声が低くなる。
「……守」
言われるまでもなかった。
これは偶然じゃない。
守の脳裏に、一人の少年が浮かぶ。
「春人はどこだ」
その瞬間だった。
街の魔導灯が、一斉に落ちた。
闇が来る。
要塞都市は——たった数秒で、ただの暗い街に変わった。
遠藤が舌打ちする。
「これは先手をうたれたかんじかねぇ」
「呑気な事言ってないで、春人を探そうっ」
遠藤は静かに言った。
「狙ってくるのが絡めてだね。しっかり相手さんは作戦あるみたいだし、被害がないといいんだけどねぇ」
一拍。
守は走り出していた。
春人の部屋へ向かう廊下が、やけに長く感じる。
扉が開いている。
嫌な予感しかしない。
中は荒れていなかった。
争った形跡もない。
ただ——
ベッドの上に、毛布だけが残されていた。
遠藤が呟く。
「手慣れてるな。完全に春人を攫いにきたんだ」
守の拳が震える。
その時、机の上に何かがあることに気づいた。
紙だった。
たった一行。
——警察ごときが何ができるのかな?と
遠藤が乾いた笑いを漏らす。
「挑発か。親切な連中だ」
守は紙を握り潰した。
奥歯が軋む。
遠藤は目を細めた。
「検索スキルで前に調べたことがある。春人のスキルは自律型だが、根源は春人の意識依存型だ」
守は初めて聞いたという顔をする。
「……なんだそれ」
「春人が意識を失えば、小人も強制停止する。気絶も、同じだ」
一瞬、言葉が理解できなかった。
「そんなデメリット……聞いてないぞ」
「言ってないからねぇ。本人も軽くしか認識してなかった。便利な力は、だいたい裏がある。僕にも反動はある。情報に見合った代償がねぇ」
守の背筋が冷える。
「つまり……」
「春人を無力化すれば、小人は停止する。都市機能は即死だ。……その情報は、僕の検索以外で辿り着けるとは思っていなかったんだがねぇ」
「……俺達は守ってたつもりだったけど、春人のスキルに依存していたんだな。」
そう、頼り切っていた。
春人に。
街の機能を、安全はこのまま続くという未来を。
全部。
遠藤が静かに言う。
「便利な力に依存した都市は、その力が消えた瞬間、ただの張りぼてになった。映画に出てくる終焉みたいだねぇ」
守が睨む。
遠藤の目は笑っていなかった。
「悠長なことは、してられないねぇ。こういうのは一課の専門だからどうしたもんか」
外から怒号が聞こえる。
防壁の一部が攻撃を受けているのだろうか?
小人の自動補修は今は機能していない。
防壁の兵士達が慌てているだろう。
だがもう遅い、これは訓練ではないのだから。
遠藤が呟く。
「とりあえず、守と凪に頑張ってもらっちゃうしかないねぇ。戦争なんだから僕みたいな文系スキルじゃぁ役に立たない。」
まるで合図のように。
夜の彼方で、狼煙が上がった。
一本。
また一本。
守の背中に、冷たいものが走る。
敵は理解している。
この街が今、どれほど脆いかを。
遠藤がゆっくりと拳銃を抜いた。
「さあて……」
その声は、奇妙に楽しげですらあった。
守は夜を睨む。
連れて行かれたのは、ただの高校生だ。
声も出ないほど怯えているはずの少年。
だが——
守の胸に、不思議な確信があった。
必ず取り戻すという確信が。
「待ってろ、春人」
他署の無線を聞きながら、本土は大変だなと他人事のように思っていたあの夜とは違う。
今度は自分の街だ。
自分の仲間だ。
そして、自分が守るべき少年だ。
嵐は、もう始まっている。




