烏合の王国⑷
夜明け直前の空は、最も色を失っている。
鳥は鳴かず、虫の音も止み、
世界が一瞬だけ息を止めたような時間帯。
ディートリヒ・フォン・ヴァルディスの私邸は、
山の中腹に静かに横たわっていた。
外観は、質素ですらある。
高い塀も、誇示する紋章もない。
まるで小説に出てくる典型的な貴族の屋敷といえよう。
「外観は小説に出てきそうな豪邸ではあるが、警備は多くないんだな」
囁くように言いながら、凪は手を上げた。
合図一つで、空気が変わる。
守と遠藤は、すでに配置についている。
正面、側面、背面。
逃走経路はすべて潰してある。
交渉は前提にない。
ここは話し合う場所ではない。
犯罪者を「確保」する場所だ。
「行くぞ」
凪の声に、躊躇は一切なかった。
迷いのない侵入で破壊は、最小限かつ迅速。
扉は魔術錠で固められていたが、
解除を待つという選択肢はなかった。
「破る」
凪は短く言い、鎧武者を顕現させる。
金属が擦れる音がしたと思えば、斬撃で木製の扉が内側に弾け飛ぶ。
同時に、凪が踏み込んだ。
「動くな!」
警告ではない。
命令だ。
廊下にいた使用人が悲鳴を上げる前に、
守が床に押さえつける。
「手を上げろ、動くな!」
現代ではやったことがない突入、これであっているのだろうか?
この状況はどうみても銀行強盗のそれだ。
守の声は、必要以上に大きかったのは彼の中に迷いがあったのだった。
凪は横目でそれを見たが、何も言わない。
この世界では、力が無く自分を通すことが出来ない者から死ぬ。
邸内は、予想以上に整っていた。
罠も、伏兵もない。
それが、逆に不気味だった。
「……静かすぎる」
守が小声で言う。
「黙って周囲を警戒してろ」
凪は魔法で使用人達を拘束しながら状況を確認する。
そのまま流れるように階段を上がり、執務室のある区画へ向かう。
廊下の曲がり角。
一人の護衛が、剣を抜いた。
——判断は一瞬だったが、凪は距離を詰め、鎧武者は護衛の武器ごと斬り伏せる。
乾いた音。
剣が真っ二つになり床に落ち、護衛はうめき声をあげつつ倒れ込む。
「ぐっ……!」
守の目が見開かれる。
「凪っ……!」
「生きてる」
凪は淡々と言った。
「それで十分だ」
守は何も言えなかった。
正しい。
だが、正しすぎる。
守の中で、何かが軋んでいた。
——話せば、止められたのではないか?
——本当に、ここまでやる必要があったのか?
だが、次の瞬間。
奥の部屋から、何かが聞こえた。
「伏せろ!」
遠藤の叫び。
何かが廊下を薙ぐ。
壁が抉れ、石片が飛ぶ。
守は反射的に身を伏せながら、悟った。
——ためらえば死ぬ。
ここは、そういう世界だ。
凪は、すでに次の動きをしていた。
距離を詰め、男のが手にしていた剣を叩きおとし、喉に刃を突きつける。
「終わりだ」
それだけで、すべてが止まった。
執務室の扉の前。
男は動く気配はない。
「……お前がディートリヒか?」
凪は静かに言った。
守の喉が鳴る。
「凪……」
「言うな」
凪は振り返らなかった。
ディートリヒ・フォン・ヴァルディス。
彼は、抵抗しなかった。
叩き落とされた剣を見つめるが、すぐにこちらに向き直り、逃げようともしない。
ただ、凪を見ていた。
「……だれだ、お前達は」
その声には、疲労と後悔が滲んでいた。
凪は一歩踏み出し、無言で拘束具をはめていく。
「立て」
ディートリヒは、拘束の苦痛に顔を歪めている。
守は、その背中を見ながら思う。
——この男は、本当に悪なのか?
だが、次の瞬間。
凪の声が、その迷いを切り裂いた。
「村が燃えた」
低く、冷たい声。
「お前の条件のせいでな」
ディートリヒの肩が、わずかに震えた。
「そうか……お前が勇者か、村のことは...すまなかった。」
その言葉は、この場では、あまりにも遅すぎた。
凪の表情は、一切変わらない。
「話は、あとだ、場所を変える。」
拘束したディートリヒの移送を開始した。
執務室から——尋問に、最も相応しい場所へ。




