第4部22話 烏合の王国⑵
王国会議から場所を移し、旧ヴァルディス領、
王都から見放された山間の要塞都市に彼等はいた。
夜更け。
灯りは最低限。
城壁の外から見れば、すでに半ば廃墟のように見える街だ。
そこにあるとある倉庫の中で、壁画に拳を打ち付けていた若いヴァルディス貴族――
ディートリヒ・フォン・ヴァルディスは、一人の女と向かい合っていた。
女はフードを深く被り、細身の体躯。
声音は柔らかく、どこか甘い。
「……改めて名乗るわ。私はリディア。そうね、身分としては“交渉役”かしら?」
ディートリヒは口元は今まで見た事がない、艶やかな色の唇に見惚れるも、すぐに冷静になる。
ディートリヒは無言だ。
王国会議での怒りはまだ冷めていない。
だが、冷めない怒りほど、誘導しやすいものもない。
「あなたの言葉、王国会議で聞いていたわ。捨て石、ですって?」
ディートリヒは怪訝な顔をする。
王国会議について知っているこの女、一体何者なのかと。
リディアはくすりと笑う。
「正しいわ。彼らは最初から、あなた方を切り捨てるつもりだったんでしょうね。でも、私達と手を組めばそいつらを見返す、いえ、使う立場にだってなれるわ。」
地下倉庫での会合から、三日後。
ディートリヒは、眠れずにいた。
リディアの言葉は想像以上甘かった。
(王国を揺るがす?十数人の者で?)
言葉だけで信じるほど、貴族として長年化かし合いをしてきたわけではないからこそ、疑念は消えない。
彼は条件を突きつけた。
「貴様らを信じるに足る理由がない」
リディアは肩をすくめる。
「でしょうね」
「証明しろ。貴様らに“力”があるという事を。」
ディートリヒは、一枚の地図を机に置いた。
森に囲まれた、基本的に温暖な国だが、一年のほとんどが雪の降る珍しい辺境の村。
凪のいる村だった。
「ここに、“勇者”がいる。アバシリという要塞が村を占拠し、それを単独で制圧したらしい。」
空気が変わった。
開けた窓から目玉が覗き込む。
外で体操座りをしていた覇流駆が、興味が出たのか初めて視線を上げる。
「……勇者、か」
ディートリヒは続ける。
「王国に属さず、単独で軍を凌ぐ戦力。それをもし、お前達がそれを倒せば——その時は、お前達を“同盟者”と認めよう。」
沈黙が流れる。
ディートリヒはこの無謀な条件を叩きつけ、どう反応するのかを淡々と見つめていた。
「いいだろう。だが一つ、言っておく。邪魔はするなよー?」
覇流駆はニコニコと笑い、おもむろに立ち上がると、どこかに歩いて行った。
リディアもにこやかに笑みを浮かべ、立ち去る。
残ったディートリヒは何ごともなかったかのように、その場を後にし、倉庫は元来の静けさを取り戻した。
あの日から数日後。
夜明け前。
ヴァルディス領に、緊急の報告が届く。
――辺境の村、壊滅。
――炎上。生存者不明。
――勇者らしき人物、行方不明。
ディートリヒは、報告書を握り潰した。
(……本当に、やったのか)
胸に湧いたのは、達成感ではない。
寒気だった。
だが、こいつらの力を使えればという気持ちも同時に生まれるのだった。
そして、その夜。
あの時の倉庫にディートリヒはいた。
倉庫の扉が開きリディアが、煤のついた外套を脱ぎながら入ってくる。
「終わったわ」
覇流駆は倉庫に入れないから、この前のように外壁にもたれている。
だが、その存在感は、異様に放たれていた。
「勇者は?」
ディートリヒの声は、震えていた。
毅然とした態度で臨むはずだったが、恐怖心は、人間の本能をくすぐるのだ。
それを見て、リディアは微笑む。
「討ち取った。と言いたいところだけど、正確には——生死不明ね。でも、街は燃えて象徴は壊したわよ?王は“勇者が負けた”と受け取るでしょうね。」
ディートリヒは、深く息を吐いた。
(……王国の切り札となり得る存在が消えた。そしてそれを超える武力が目の前にある。)
その瞬間。
彼の中で、一線が越えられた。
「……わかった」
「以後、必要な情報は流す」
リディアの目が、細くなる。
そしてそこからは、早かった。
・魔導部隊の移動日時
・補給路の変更
・前線の兵力の実数
情報は、“偶然のように”そして当然に犯罪者達に渡った。
侵略国家と、犯罪者集団は結びつかない。
だが、王国は負け続けた。
前線は膠着から崩れ、少しずつ、確実に、犯罪者側が主導権を握っていく。
ディートリヒは、自分に言い聞かせた。
(これは必要な犠牲だ。王国を変えるための——)
だが、ある日。
報告書の中に、目を見張る一行が混じった。
――商隊襲撃
――難民発生
――民間人、死傷多数
場所は、ヴァルディス領。
自分達の収める場所は今まで襲われなかったから、安心しきっていた。
「……違う」
ディートリヒは呟いた。
これは、軍事でも、政治でもない。
ただの略奪だ。
街道で泣く子供。
焼けた家。
吊るされた遺体等、凄惨な内容の報告書を震えながら読む。
何かの間違いだっ、きっとそうに違いないと書類の作成元に尋ねるも、被害は正式なものであった。
「こんなはずは...奴らに問いたださねば。」
その夜、彼はリディアを呼び出した。
「約束が違うぞ!平民に被害が出ている!軍のみを攻撃するのではなかったのか!?」
リディアは、静かに答える。
「何言ってるの?戦争よ?あなたが始めた」
「ふざけた事を!!もう、終わりだ!!これ以上は、協力できない」
ディートリヒは激昂し、リディアに詰め寄ろうとする気持ちを抑える。
外にいる覇流駆の事を警戒してのことだ。
沈黙が流れ、リディアはため息をつく。
「……残念ね」
リディアは、懐から一通の書簡を取り出す。
「これは?」
ディートリヒが見ると、それは彼の署名入りの密約文書だった。
「反逆の証拠。王に渡せば、あなたは即刻処刑かしら?」
さらに、別の紙を見せつける。
「奥方と、お子様の居場所」
ディートリヒは背筋は凍りつく、そして自分の血が引くのがわかる様な感覚に襲われた。
「……脅すのか」
リディアは、首を傾げた。
「“現実を教えている”だけ」
覇流駆が、低く告げる。
「もう、戻れない。君は、俺達と同じ側だ」
ディートリヒは膝をつく、あの時感じた怒りはもうない。
底なしの沼に足を突っ込んでしまってすでに遅かったのだ。
その底なし沼は、ディートリヒの精神までゆっくりと飲み込んでいった。




