第4部15話 勇者と少女と牛?と⑵
銀灰の朝靄が道を薄く覆っていた。
凪は牛?の歩みに合わせてゆっくり進む。
背中に揺れる小さな重さ――その体温と、かすかな呼吸にだけは神経を集中させる。
少女の肩にはまだ煤が残り、くぐもった声で時折言葉を漏らした。
凪はそれを遮ることなく、ただ手綱を軽く引き、視線は前方の林と平原と、続く道の先だけを追う。
王都の城壁が見えたとき、凪は初めて深く息を吐いた。
燃えた村を離れてから幾つかの夜を越え、冷風に晒されながらも少女は生きていた。
生きている。
それだけがこの瞬間の救いであり、凪の胸を湿らせる理由だった。
だが、胸の底にひっかかったものは消えない。
王都に着けば、この国の事情が少しは見えるはずだ。何が起きているのか。
なぜ詐欺の噂が街を覆っているのか。
守の街は今、どんな状況にあるのか。
門をくぐると、王都はその規模にふさわしい雑多な音をざわめかせていた。
しかし会話の端々に、いつもと違う尖った匂いがある。
商人の怒鳴り、貴族を噂する低い声、兵士の厳格な足音。
凪の刑事の勘がそれを拾い上げる――ただの治安悪化ではない、組織的な匂いだと。
聞き込みをへて、様々な情報を整理しつつ路地を抜け、街道に出てさらに進む。
少女の疲れもあり、休憩を挟みつつ歩みを進める。
昼過ぎに王都を出たが守達の街に繋がる検閲場が現れたのは夕方頃だった。
木の柵と粗末なテントが並び、王都と比べると見窄らしい服装の兵が列を整えている。
大きな立て看板には、簡素な図示でこうある。
「入街者は手荷物検査・身分票記入。街の中では抜刀、無用な諍いを禁ずる。」
立て看板の下、三つの台が並び、三種類の身分票が整然と置かれていた。現地語のもの、英語併記のもの、そして日本語表記の紙。
置かれた理由は、表向きには「旅人に選びやすいように」と説明されているが、凪は瞬時にその意味を読んだ。
——“転移者判定”。
この国の辺境では、転移してきた者たちを別扱いする仕組みができつつある。
言葉や文字を手がかりに「現地民」と「外来」を分けるためだ。
凪の心は冷たく引き締まる。
彼は迷いなく日本語の欄にペンを走らせた。
理由は単純だ。
自分が何者であるかを隠すつもりはない。
隠すことで少女が危険に晒される可能性があるなら、正面から事を進めるほうがいいと、どこかで判断したのだ。
だが、検閲場の運用は巧妙だった。
日本語票へ字が走るや否や、紙に仕込まれた微細な符式と接触し、表面のインクが微弱な魔法波を発する。
肉眼では見えず、凪に違和感はない。
だがその信号は裏回線に吹き込まれ、検閲場の装置から警察署へと届く。
出力されるのは断片的な情報だ――名前、使用言語、発行地不明の出自。
兵士の目は表情ひとつ変えず、凪に「武器は街中で抜かないように」と穏やかに告げる。
これが検閲の表の顔だ。
だが裏では守と遠藤に「転移者の可能性あり」とだけ伝わる。
知らせる側も、知らせを受ける側も、露骨な動きを避ける。
相手に悟られれば、有益な先手が打てなくなるからだ。
凪はまるでそれに気づかず、ゆっくりと牛?を引き、少女の手を軽く抱いて通過した。
屯田兵は丁寧に票を回収し、必要な処置を施す。
だがその背後で、詰所の古い木の扉が静かに閉まり、蝋燭の明かりが揺れる小さな室内で、守と遠藤は受信した断片情報に目を通していた。
「日本語かぁ、転移者だよねぇ」
遠藤は淡々とメモを繰りながら言った。彼の指先は常にキーボードを叩く者のように正確だ。小さな石盤の光が点滅し、検閲場の符式が残したデータが文字となって並ぶ。名前は見た事があり、使用言語に「日本語」の文字が光る。遠藤はおもむろに無線機をとる。
「異世界警察からけいし88」
「けいし88です、どうぞ」
急に無線が聞こえてきて守は慌てて応答する。
何ごとだろうか?
「現在地しらせ、連絡事項あり、どうぞ」
「現在地にあっては、駐在所です、どうぞ」
「それでは本署に帰署願いたい、どうぞ」
「けいし88了解」
何ごとだろうか?問題発生なのはわかるが、なんだか胸騒ぎがする。
モモちゃんに乗り、急いで警察署に向かうのだった。
外の検閲場では、屯田兵が他の旅人に向け丁寧に告げている。
「街中で剣を抜くな。トラブルは街の秩序を乱す。違反者は即座に拘束だ」。
その言葉は表のルールだが、同時に凪のような“異分子”を平静のうちに受け入れるための演技でもある。
彼らは背後で密かに詰所を動かし、受信した情報に即応する準備を進める。
だが表面は常に柔らかく、「歓迎する旅人」の顔を保つ。これが、守達が選んだ“防衛策”だ。
凪は街の中心へと歩みを進める。
彼の身体は緊張を保ちながらも、表情は極めて落ち着いている。
だが、背中の重さ――少女の存在は、彼を不思議な落ち着きへ引き戻す。
弱さを守るための戦いは、凪にとって救いでもあり、呪いでもある。
彼はすべてを言わない。
死に戻りのこと、村で見た全ての光景、そして王都の噂。
それらは胸の内に伏せられる。
守とモモちゃんは警察署に到着し、遠藤から事情をきいた守は息を詰める。
胸のどこかがきしむ。
目の前の光景が脳裏に戻る――あの夜、互いに血を交え、彼が凪を殺してしまい、村人に罵声を浴びせられた感覚は忘れたい記憶だった。
「迎えに出るか?」
遠藤の声は冷静だが、瞳の奥に緊張がある。
守は首を振った。
「ここで待つよ。多分こっちに来るだろうからさ。遠藤さんは引き続き、詐欺の手口と王都の噂を突き合わせよう。勇者がこの街に入ったのは偶然ではないよ、きっと何か裏がある」
しばらく警察署の前で、モモちゃんと一緒に立番をしている守の視線は、よくわからない白いものへ集まる。
そして、白いものに少女を乗せた凪を発見したのだ。
普通なら、よくわからない白い動くものに興味がいくはずだが皮肉なことに、相手を「殺した」側の心理は、
ただ、理解できない現象が心を乱すだけだ。
凪が“生き返る”など、理屈で説明できない。
守は己が持つ異能の効果を思い、絶対に死んだのだと思っていたが、遠藤から聞いた話は自分を慰めるためのものだろうと思っていた。
しかし現実だった、本当の安堵が守を襲う。
理由は全くわからないが「あの男がここにいる」という事実は確かだ。
「……おまえが、どうしてここにいる」
守の声は震えた。
怒りでも歓迎でもない。
問いかけの奥には、罪を問う者の震えがある。
凪は答えた。
「説明は後だ。まず、この子を保護してくれ」
その言葉には余計な熱がない。
堅い音だけがする。
二人の間に短い、しかし濃密な静寂が落ちる。
城壁の向こうに冬の光が差し込む。小さな街の一角で、目には見えない駆け引きが静かに始まった。
両者ともに相手の本当の力を知りつつも、表面上は常識の範囲で振る舞わなければならない。
だが誰も、こうして舞台の幕が上がる瞬間を祝福はしない。
来るべき会話と、それがもたらす可能性のすべてが、重い靄のように街に垂れていた。




