第4部14話 勇者と少女と牛?と⑴
風向きが変わったことを、凪は血の匂いで悟った。
吹きすさぶ寒風が、まだ温度を失いきっていない死体を撫で、湿った土と焼け焦げた木材の臭気を混ぜ合わせる。頭の奥を刺すような刺激臭。だが凪はそれに眉ひとつ動かさなかった。慣れてしまった――というより、“これを越えなければ生き残れない世界”を、何度も死に戻って体感してきたからだ。
雪化粧を始めた地面に、犯罪者たちの死骸が点々と転がっている。
皮鎧の裂け目からこぼれた血が蒸気を上げ、白い息と混じって空に消えていく。
剣先から滴る血を振り払いながら、凪は低く息を吐いた。
「……終わった。今回は、戻らずに済んだ」
その言葉は、安堵というより、深い疲労に近い。
死ぬたびに巻き戻され、また戦いに放り込まれる。
戻るたびに身体は無傷でも、記憶は殺された痛みで満たされる。
だからこそ、戻らなくて良かったというだけで、感情の波が大きく揺さぶられる。
けれど、喜びではない。
ただ、胸の奥がどこかぽっかりと空いたような感覚だけが残る。
凪は剣を納め、焼け落ちた村を見渡した。
家々は骨のように白い柱をむき出しにし、瓦礫となって重なり合う。
雪の中で黒煙が揺らぎ、炎の残光が赤く点滅していた。
家畜小屋は崩れ、食料庫は焼け、中は空っぽ。
村としての機能は完全に消失している。
この寒冷地で、屋根も暖炉もない状態で生き残れるはずがない。
凪の視線が、冷たく沈黙した家屋の隙間をかすめた。
(……誰も、生きちゃいないか)
そう思いかけたとき――。
「……ひっ、ひ……」
聞こえたのだ。
風ではない。
獣でもない。
微かだったがそれは人間の――幼い少女の泣き声だ。
凪は筋肉が自然と緊張するのを感じながら、音の方向へ向かう。
剣は抜かない。ただ、いつでも抜ける位置に手を添える。
崩れた商家の裏側。黒焦げの梁と煉瓦の山の間。
そこに、小さな影が丸まっていた。
凪の影がかかると、その影――少女がびくりと肩を震わせ、涙で濡れた顔をあげた。
「……お、にい……ちゃん……?」
凪はすぐに周囲を確認した。罠ではない。敵の気配もない。
雪に混じった血の匂いと、少女の震えだけがある。
「動くな。すぐ助ける」
凪は瓦礫をどかし、少女の身体を丁寧に引き抜く。
左足に擦り傷。右膝に打撲。だが骨折はない。
むしろ、これで済んだのが奇跡だった。
抱き上げると、少女の体温が凪の胸に伝わる。
細い体が、ひどく震えている。
「寒い……こわい……お父さんも、お母さんも……」
その声を聞いた瞬間――
凪の胸奥に、古傷のような痛みが走った。
(……やめろよ。そういうの。
放っとけたら、どれだけ良かったか)
凪の脳裏に、現実世界での事故がよぎる。
自分のわずかな油断が引き起こしたことを。
ひとりの少女を死なせ、生き残った子が泣きじゃくっていた光景。
その後、有罪判決。
守られないまま社会から切り捨てられた自分。
それでも警官として弱い者を守りたいと願った矛盾。
少女の震えが、その全てを刃物のようにえぐり出した。
「……大丈夫だ」
凪は上着を脱ぎ、少女を包んだ。
少女が小さく息を呑み、顔を布にうずめる。
その軽さが、逆に胸を刺す。
(助けられるなら助ける。
理由なんか後付けでいい)
凪はそう呟くように息を吐いた。
そして、少女の手を取り、歩き始めた。
しばらく歩き、村の外れに広がる放牧地まで辿り着く。
そこには、雪に足をとられながらも生き残った牛たちが十数頭、固まっていた。
人間がいなくなったことに不安を覚え、互いに寄り添っている。
少女は少し歩いたが、さすがに子供だ、すぐに歩けなくなる。
凪はしかたなく少女を抱き上げる。
少女が凪の腕の中でぽつりと言った。
「……牛さんたち、このままだと……死んじゃう……」
「そうだな」
この地域の冬は苛烈だ。
屋根も餌もない状況では、人間より先に家畜が倒れる。
凪は少女の頭を撫でた。
「助けるだけ助けよう」
「……できるの……?」
「できる」
凪はそっと少女を降ろすと、周囲に誰もいないのを確認し、
深く息を吸って――
《インベントリ》
空気が波打ち、視界が一瞬だけ歪む。
牛たちの身体が光に包まれ、次々と凪のスキル空間へ吸い込まれていく。
少女は目を見開き、口元を覆った。
「わ……わぁ……! 牛さんが……」
「怖がるな。ちゃんと生きてる」
最後に一頭だけ――なんだか良くわからない白斑の入った穏やかな牛?を外に残した。
凪は少女に言った。
「こいつは牛なのか?よくわからないが一番無害そうな顔してるから、お前を乗せて移動するために残しとくな」
少女の顔がぱっと明るくなった。
「この子……なんか可愛いね!」
凪は牛?の首を軽く叩く。
「いい子だ。頼むぞ。落とすなよ」
牛?は低くブモォと鳴き、少女に鼻先を寄せた。
涙で濡れた少女の頬に、あたたかな息を吹きかける。
その優しさに、凪は少しだけ肩の力を抜いた。
「行くぞ。ここにいたら、吹雪で本当に死ぬ」
凪は少女を牛の背に乗せ、自分も横に立って手綱を握る。
「どこへ行くの……?」
「まずは王都だ。
人が集まる場所なら、生き残る術もある」
少女は涙を拭いながら、小さく頷いた。
「……わたし、お父さんと王都に行ったことあるの。
道、覚えてる……」
「助かる。頼りにしてる」
その言葉に、少女は震えながらも少し胸を張った。
二人と一頭は、吹雪前の白い街道へと進み始めた。
背後には、雪に飲まれようとしている焼け野原。
前には、長く続く道。
凪は一度だけ、振り返った。
(……守れなかった。今回も。
でもせめて、この子だけは)
胸奥で凪は、誰にも聞こえない呟きを漏らした。
「……もう、同じ後悔は要らない」
少女が不安げに振り返ったので、凪は微笑むふりをして頭を撫でた。
「前見てろ。道案内、頼んだぞ」
「……うん!」
少女の小さな返事が、荒れた空気の中で強く響いた。
凪は歩き出す。
守るために。
前に進むために。
それしか、できないのだから。




