第4部第7話 静寂の中の白衣
あれから三か月。
辺境の村は、もはや“村”という言葉では足りない規模にまで膨らんでいた。
堅牢な防壁と見張り門、整然と並ぶ家々。芋畑は倍に広がり、商人たちが荷を下ろすための石畳の広場も整備された。
かつて泥道だった街道は踏み固められ、夜でも灯りが絶えない。
オセロは成功した。
王都の貴族から庶民まで、その盤を囲み、家族の団欒に加わるほどに浸透した。
だが、流通が行き渡ると同時に――供給の意味は薄れ、収入は激減した。
商人が笑顔で買ってくれる時期は、永遠には続かない。
「ものを売る」世界の厳しさが、村の財政を直撃していた。
守は駐在所の机に腰かけ、集計表を前に唸る。
「三か月前は、笑いながら数えてたのにな……。」
帳簿の隅に並ぶ赤い数字。
オセロの利益が尽きれば、防衛資材の補充も難しくなる。鉄も火薬も、ただで入るものではない。
遠藤は無線魔道具を調整しながら、無感動な声で言った。
「物資問題はどこも似たようなもんだよ。
異世界側の戦況も、一進一退だしからね。犯罪者が多い分、戦力はあるけど、こちらの世界側が躊躇なく殺しにかかるせいで消耗が激しい。
命の扱いが違う。……“現代とこっち”とはな。」
「現代」――それは、自分たちがいたこの世界。
どんなに物資が足りなくても、飢えを感じても、誰かを殺して奪うようなことはしないことが日常だった世界。だからこそ強盗なんて起きた日にはニュースで大々的に取り上げられるのだ。
この“普通”が、どれだけ尊いかを、守は誰より知っていた。
「……平和だな、日本は。こっちと比べると」
「暇なんですか?」
「いや、忙しい。慣れないことはやるもんじゃない。
でも……暇なんだよな。」
守は立ち上がり、腰の拳銃を確認する。
「パトロール行ってくる。モモちゃん、行くぞ。
けいし88、通常警ら出向します。」
ここにきても、警察用語でやりとりするのは変わらないのは仕事柄か。
遠藤も守に敬礼返しで送り出す。
外に出ると、金属製の引き戸が軽やかに閉まる。
パトカーのエンジンをかけると、隣を走るモモちゃん――羽の生え替わり時期なのだろうか?羽を広げると、バサバサの抜け落ちるが、力強く大地を踏みながら並走した。
夕陽を背に、街道を東へ。
舗装されたとはいえ、まだ砂利と土の混じる道。タイヤが石を弾く音が乾いた空気に響く。
森の影が見え始めたころ、守はブレーキを踏んだ。
街道脇の東の林、その手前に――何か、白いものがあった。
最初は布かと思った。
風にたなびく白。
近づくにつれて、その正体が人影であることがわかる。
「……けいし88から、駐在指揮所。」
「...駐在指揮所です。どうぞ。」
「東の森付近で人倒れ発見、対処にあたる。」
無線魔道具に手を伸ばし装着して、無線は短く完結告げる。
「指揮所了解。事故防止に合わせて、必要有れば応援要請願う。」
遠藤とのやりとりを終え、ため息を漏らす。
最近は人倒れなんて滅多にないから久しぶりの感覚だ。
「人間っぽい。白衣を着てる。……倒れてるが、死んでるかもしれん。見てみないとわからないな。」
エンジンを切り、拳銃に手をかけたまま慎重に車を降りる。
モモちゃんが低く唸った。警戒の合図だ。
草むらをかき分けると、そこに――
白衣姿の中年男が座り込むように倒れていた。
痩せぎすの体、手には古びたメモ帳。白衣の胸元には「医療機関」のようなロゴが見えるが、泥と血で判読できない。
頭には小さな外傷。
呼吸はある。だが意識はない。
「……なんだこいつ。」
守は反射的に制服のポケットから手錠を取り出した。
「おい、聞こえるか? おい!」
軽く揺さぶると、男の唇が微かに動いた。
「……や、ま……が……」
それだけ言って、また意識を失う。
発音は明らかに日本語――。
守の胸に冷たい感覚が走った。
この世界で、日本語を話す者に何人も会ってきた。
だが、白衣を着た者は初めてだった。
「医者……か?」
遠藤の声が無線越しに聞こえる。
「駐在指揮所からけいし88、状況知らせ。」
「了解、現在要救助者一名確保、日本語を話しているため日本人と思慮される。あー、意識は混濁するも出血などの外傷は見られない。えー、安全の為、後ろ手錠の後、指揮所搬送とする。どうぞ。」
「駐在指揮所了解。受け入れ態勢をとります。」
無線は簡潔明瞭であれと大ベテランに言われたが、中々言葉は出てこないものだ。
守は森の奥を見た。
風が木々を揺らし、葉の隙間から夕陽がちらつく。
どこかでカラスのような鳴き声が響く。
「放っとくわけにはいかんのよなぁ。街の害になるかもしれないし。」
そう呟いて、守は男の身体を背負い上げた。
重い。
だが、妙に――懐かしい感じがした。
“この世界じゃない感じ”。
車に戻りながら、守はふと呟いた。
「春人みたいに善良ならいいが、どうなんかなぁ」
「守、悪い人?」
モモちゃんが嘴で突きながら聞いてくる。悪い人と言ったら丸呑みでもするのだろうか?怖すぎる想像を頭を振って掻き消す。
遠くの空では、風が雲を裂いていた。
まるで、誰かの気まぐれがこの世界に手を伸ばしているように。
白衣の男は意識が朦朧としており、手が出る可能性は低い。だがこの世界では「予防」が全てを左右する。背後手錠は手早く、確実に装着した。手首を後ろで合わせ、小さな鉄の輪が軋む。男はうめき声を上げるだけで抵抗の気力はなかった。
「後ろ手錠だ。念のためな」
守が低く言うと、遠藤が頷きながら白衣の男の肩を支え、パトカーに乗せて搬送を開始するのだった。




