幕間
転移初日目。
雪原に黒い影が蠢いていた。かつて網走刑務所に収監されていた千を超える囚人たち。
彼らは、突如としてこの異世界の大地に投げ出され、右も左もわからぬまま、生存のために互いを疑い、奪い合っていた。
「……ちくしょう、どこだここは……」
「食いもんもねぇ。寒くて凍えちまう……」
「もう刑務所より酷ぇじゃねぇか……!」
恐怖と混乱が蔓延する中、一人の男が立ち上がった。
名を国領 一誠。元暴力団組長。冷酷な眼光を放つその男の頭上に、異様な光が宿る。
『スキル発現:《王者》』
その瞬間、空気が変わった。
囚人たちの視線が、無意識に彼へと向かう。息を飲む者、跪く者、目を逸らせぬ者。
国領の声は静かだったが、その響きは脳髄を直接撫でるように甘く、絶対の服従を強制する。
「俺の言葉が、お前らの生きる指針だ。従え。俺が“王”になる。」
抵抗しようとした者たちは、次の瞬間、膝を折り、土に額を擦りつけていた。
スキル《王者》――精神耐性を持たぬ者を強制的に服従させる絶対支配の能力。
刑務所という小さな地獄で王を夢見た男が、異世界において本物の“王”として覚醒した瞬間だった。
⸻
次の日には網走刑務所での国領の支配は完全なものとなっていた。
臣下となった犯罪者達に周囲の小村を制圧させ、村人を奴隷として扱い、監獄牛――網走刑務所で飼育されていた黒毛の牛を使って牧畜を始めた。
「俺の家臣と奴隷。世界全てが思うがままだ」
と意気揚々に言い放ち、村人には牛の世話と食料の確保を命じた。
冬の吹雪の中、子どもが泣き叫び、女たちは怯え、男たちは沈黙した。
この地は文字通り地獄と化していったのだ。
だが、ただ一人――。
その支配に屈しない男がいた。
「……人の心を縛る力、ね。くだらねぇ。」
冷たい牢の奥で、宍戸凪は薄笑いを浮かべていた。
王者の命で“精神耐性を持つ危険分子”として地下牢に幽閉されたのだ。
だが、鉄格子の中でも、凪の心は折れない。
その頭上に、淡い光がともった。
『スキル発現:《勇者》』
凪は思わず苦笑した。
「勇者、ねぇ……俺がそんなタマかよ。」
次の瞬間、意識の奥に流れ込む膨大な“知識”と“感覚”。
剣を握れば、幼少期に遊んだRPGの剣技が手に馴染む。
魔法を思い描けば、ファンタジー映画で見た光弾が掌に宿る。
倒されても、“教会で復活”するという確信すらある。
《自分の記憶にある“勇者像”を再現する能力》
――それが凪のスキルだった。
だが同時に、胸の奥で黒いものが蠢く。
(勇者ってのは、本当に“正義”の象徴なのか?)
目の前で村人が鎖に繋がれ、泣き叫ぶ姿が脳裏に焼き付く。
王者の支配は完全だった。
だが、彼のスキルが通用しない凪は、唯一の“異物”だった。
国領はその存在を理解し、恐れた。
だからこそ幽閉したのだ。
凪は閉ざされた牢の中で、剣を握る仕草をした。
光の刃が、何もない空間に微かに生まれては消える。
「――王者ね。なら、勇者が叩き潰してやるよ。」
雪の夜、凪の眼が光を帯びた。
その瞳に映るのは、暴君でも救世主でもない。
ただ、己の“正義”を貫く元警察官としての意志。
こうして、網走刑務所転移者の中に——
後に“殺戮勇者”と呼ばれる男が、静かに目を覚ました。




