第3部第11章 そこにある悪は悪なのか
「守、一方的に送るぞ。現状網走刑務所で生き残っているのはたった一人。勇者だけだ。1191名は明確に死んでいる。」
男から目を離さず、通話ボタンを押す。
「目の前の惨状を見たら、予感はしたけど生き残りはこいつだけなのか」
「おー、その感じは会敵してる感じかぁ。生き残りは勇者だ、基本的にゲームに出てくるオーソドックスな勇者だな。魔法も物理も何でもござれ、痒いところに手が届く器用貧乏だ。」
「名前は宍戸凪。父親殺しで服役中だった男だ。」
通信を聞いている間も、こちらを待ってくれているのだろうか?凪はこちらを伺っているように動かない。
均衡を破る様に背後から農民が叫んだ。
「やめてくれ!!」
老人が守の前に立ちはだかった。
顔は涙と雪に濡れ、声は震えていた。
「この人は俺たちを守ってくれたんだ! 王国も、兵士も来なかった!
勇者様がいなければ、俺たちは死んでた! ……なのに、なんであんたは!」
守の手が震える。
王様に村を人質に取られ、正義の名の下に掲げた心が折れそうになる。こいつは村を守るために網走刑務所の他の犯罪を殺した。村人は何も罪がない。急に現れた犯罪者に虐げられたという現実を突きつけてくる。
「俺は……ただ、村を――」
その一瞬の迷いを、凪は逃さなかった。
「——遅いんだよッ!!」
轟音と共に、鉄球が飛んだ。
空気が悲鳴を上げる。
守は反射的に身を躱す。
打つぞと叫び、引き金を引いた。銃声が雪原を裂き、モモちゃんが羽ばたいた。
だが、鉄球は止まらない。
この世界では拳銃は威嚇にもならないのだ。
迫る鉄球の衝撃波が雪を弾き飛ばす。
瞬間——地面から黒い影が噴き出した。
それは形を持たぬ闇。
人の形を模したようでありながら、実態はただの“意志”。
凪の足元を縛り、腕を絡め取り、逃走を阻む。
「……ッ、なんだ、こいつらは!」
凪が叫び、鉄球を振り抜く。
影が切り裂かれ、霧散する。
しかし次の瞬間、さらに多くの影が地を這い、凪にまとわりつく。
それはまるで——罪を決して逃さぬ“執念”そのものだった。
凪は光の魔法を放ち、影を焼き払う。
黒い残滓が蒸発し、周囲の雪を溶かす。
一度は、完全に拘束を破った。
勇者の力は圧倒的だった。
「……これが、お前の“正義”の形か。だがな、俺はお前達みたいな偽善者には屈しねぇ!俺は俺の正義を貫くだけだっ!」
凪の咆哮が響き、光を帯びた鉄球が再び振るわれる。
影の群れが次々と吹き飛ばされ、空に舞う雪に黒いモヤが混じる。
しかし——。
「……やはり、この程度では無理か。」
低く響く声が雪原を震わせた。
空が歪み、風が止む。
凪が顔を上げた瞬間、異形の神が姿を現した。
その形は人とも獣とも言えず、ただそこにあるという概念の塊のように存在していた。
「なんだ、黒モヤの親玉かっ」
「......」
凪の問いかけには無言で、異形の神の腕が静かに持ち上がる。
影たちが一斉に後ろの農民に覆い被さると同時に、地へ伏し、凪は身構えた。
鉄球が唸りを上げ、勇者の力が輝く。
だが次の瞬間、異形の神は凪がいる方向の虚空に腕を振り抜いた。。
——衝撃。
大地が割れ、雪原が弾け飛ぶ。
凪の身体が、音もなく吹き飛んだ、上半身と下半身がバラバラになりながら。
彼は血を吐き、死を悟るのだった。
「……かはっ……」
雪が降り積もり、血の色を覆い隠していく。
守は拳銃を下ろし、ただ立ち尽くした。
影も、神も、跡形もなく消えていた。
残されたのは——死と静寂。
だが次の瞬間、村人たちの怒号が雪原を埋め尽くす。
「勇者様を……殺した……!」
「お前が! 村を救ってくれた人を!!」
「帰れ! 王国の犬め!!」
守は何も言えなかった。
ただ、拳銃の冷たさが指先を麻痺させる。
白銀の風が静かに吹き抜け、勇者の亡骸に雪を積もらせた。
その時、魔導具が再び鳴る。
遠藤の声が響いた。
「守……聞こえるか。とんでもねぇ事実がわかった。勇者は元警視庁捜査一課、警部補。俺達と同じ、警察官だった男だ。」
守は目を見開いた。
雪の中、凪の死体が静かに横たわる。
その顔には、悪を許さないという誇りが残っていた様な気もした。
守は誰にも聞こえぬ声で呟いた。
「……あんたも、あんたなりの正義を信じていたんだな。」
雪が降り続く。
その白の中で、守の心にもまた、ひとつの“罪”が刻まれた。
村人に石を投げられる前に退散する守の背中は、絶望感に打ちひしがれていた。




