幕間
桐島は、都内の本部ビルの廊下を歩きながら、胸の奥で苛立ちを押し殺していた。
あの離島の駐在所失踪事件からすでに数ヶ月。捜査本部は縮小され、公式には「迷宮入り」とされつつある。だが、桐島の頭からあの更地の違和感は消えなかった。
「お隠し様って、聞いたことあるか?」
ある晩、同期でサイバー犯罪対策課の遠藤光輝から、内線が入った。
遠藤は学生時代からの同期で、ハッキング事件やディープウェブ関連では本庁随一の腕前を持つ。無精髭を生やし、常にジャケットを椅子にかけっぱなしの癖があるが、その頭脳は鋭い。
桐島は手帳を閉じ、受話器を耳に当てた。
「なんだ急に。都市伝説か?」
遠藤は受話器の向こうで笑った。
「まあな。でも妙に引っかかる。『犯罪者はお隠し様に連れ去られる』って書いてあるサイトを見つけた。掲示板形式で、失踪事件と紐づけてるやつらがいる」
「神隠しの亜種か……」
「違う。これ、ただのオカルトサイトじゃない。失踪した奴らの個人情報、警察内部しか知りえない細部が書き込まれてる。誰かがリークしてるか、内部と繋がってるかもしれない」
桐島の眉が動く。
「それ、見せろ」
「ディープウェブだから、僕の安全な端末でしか見れねえ。明日、うちに来いよ」
⸻
翌日、桐島はサイバー犯罪対策課の奥まった一室に足を踏み入れた。
暗いブラインドの隙間から街の光が線になって差し込む。モニターには黒背景の掲示板、歪んだアイコンと文字列。
【お隠し様は見ている】
【罪人はお隠し様に捧げよ】
ぞっとするような文言が並んでいる。投稿日時はごく最近。しかも、実際に起きた失踪事件のタイムスタンプと符合しているものがある。
「こいつは……本物かもしれん」
遠藤は背後から、手にしたマグカップを机に置いた。
「お隠し様ってのはただの名前にすぎない。運営元を辿ったが、世界中に飛び飛びのサーバー。痕跡は消され、プロキシが何重にもかかってる。わからんことだらけさ」
桐島は目を細めた。
確かに事件はどれも常軌を逸している。防犯カメラ捜査も意味がないのだから。
そもそも、建物が一晩で無くなるなんてあり得ないだろう、昔の秀吉の一夜城じゃないんだから
「ただの偶然かもしれないがな。でも、お前が追ってる失踪事件、あれも内閣の連中が現場に現れてたんだろ?」
桐島はその瞬間、心臓の奥がざわつくのを感じた。
「……確証はないが、そういった別の視点も必要ってことか」
遠藤は肩をすくめた。
「俺も今夜は徹夜で調べてみるよ」
⸻
その夜遅く。桐島は別件の聞き込みから戻る途中、遠藤に連絡を入れたが繋がらなかった。
深夜0時を過ぎ、オフィスビルは静まり返っている。サイバー犯罪対策課のドアは半開きで、蛍光灯がひとつだけ点滅している。
「遠藤……?」
中に入った桐島の靴音が、異様に響く。机の上には遠藤の使っていた端末がそのまま置かれているが、椅子には誰もいない。
マグカップは倒れ、まだ温かいコーヒーが少し残っていた。
嫌な汗が桐島の背筋を伝う。
そのとき、机の下に何かが貼られているのに気づいた。
付箋だった。
黄色い、遠藤がよく使っていた付箋。乱雑な字で、こう書かれている。
《内閣府が関わっているかも?》
その右下には小さな赤いマークが描かれていた。お隠し様の掲示板にあったアイコンと同じものだった。
桐島は唇を噛んだ。
「遠藤……どこに行った……?」
背後の廊下で、エレベーターの音が鳴る。
誰かが降りてくる気配。
だが、振り向いたときには、廊下は無人だった。
胸の奥に、あの離島で感じたのと同じ「空虚」が広がる。
桐島は付箋を握りしめ、心に誓った。
必ず掴む。
この“お隠し様”の正体を。
そして、内閣特命室の闇を――。




