第3部第5章 自分勝手の末路
放火魔は肩を揺らしながら笑い、再び掌に炎を灯した。赤々とした塊が空気を撓ませ、渦を巻いて膨れ上がっていく。
「おらァ! 焼け死ねええっ!」
火球が一直線に守へと放たれた。反射的に地面を転がり、泥と草にまみれてかわす。耳元を掠めた炎は背後の納屋を焼き裂き、轟音とともに爆ぜた。熱波が背中を押しつけ、視界が揺らぐ。
次の瞬間、黒い影がすっと伸び、火球の軌跡を切り裂くように立ち塞がった。炎は影に触れた瞬間に吸い込まれ、赤色が闇に飲まれて消滅する。放火魔は目を剥いた。
「チッ、鬱陶しい……!」
その隙を狙ったのは殺人鬼だった。背後から気配もなく迫る。守が気づいた時には、既に腕が振り下ろされていた。
「おまわりさん、その服……どこまで切れるかな」
薄い声と同時に、刃のような音がした。──ズリ、と。
耐刃防護衣の繊維が裂け、守の胸にひやりとした空気が流れ込む。
防護衣が……切れた? 現実では一度も切断されたことのないそれが。
「……ッ!」
守は反射的に身を捩じり、脇を狙った二撃目を間一髪でかわした。足を滑らせ、背中から土に倒れる。目の前に殺人鬼の歪んだ顔が迫る。
「いい目をするじゃねえか。もっと恐怖を見せてくれよ」
だがその刹那、地面から溢れるように黒い影が守を包み込んだ。まるで母親が幼子を抱くように全身を覆い、刃が触れる寸前で弾き返す。金属音にも似た不気味な反響が響いた。
殺人鬼は狼狽する。
「なに、これ……切れねえだと?」
影はじわじわと広がり、彼の腕を拘束する。もがけばもがくほど、粘りつく闇が身体を絡め取る。
一方、放火魔は炎を連射し続けていた。家々が崩れ、木材が爆ぜ、村は赤黒い光に照らされる。だがその炎すべてを影が呑み込む。燃え盛る球が次々に吸い込まれ、闇の中で光が潰えていく。
「ふざけんなッ! 俺の炎は! 俺のスキルは止まんねえはずだろ!」
喉を枯らした叫びもむなしく、両腕ごと影に絡め取られる。
──その時。
空気が凍った。風が止み、音が吸い込まれる。黒いモヤが空から滴るように降り注ぎ、地表に一つの輪郭を結ぶ。人とも獣ともつかぬ異形。腕の数は定かでなく、目の位置も判別できない。ただ、影の奥から数えきれない眼が「見ている」と感じさせる。
村人たちは息を呑み、誰一人声を出せなくなった。
その異形の神は、まず放火魔を掴んだ。影が彼の口に入り込み、悲鳴を喉の奥でねじ切る。炎が暴発するが、その火すら黒に塗りつぶされる。次の瞬間、全身が燃え上がり、骨も臓腑も灰と化した。
──焼却死。
殺人鬼の方は暴れに暴れる。
「やめろ、やめろッ! 俺はまだ……!」
影が刃のように無数に伸び、四肢を裂き、胴を切断し、さらに細切れに刻んでいく。切断面は赤ではなく、闇に吸われるように消え、肉片は残らない。最期に目だけが守を見つめ、血走ったまま闇に呑み込まれた。
──四散し、影に吸収される。
守は全身を硬直させたまま、その一部始終を見せつけられた。
銃を構えることも、声を上げることもできなかった。ただ、眼前で繰り広げられる「処刑」を見届けるしかなかった。
異形は動きを止め、ゆっくりと顔らしきものを守へと向けた。無数の眼が一斉に細められる。ぞわりと背筋を撫でられる。
その瞬間──異形の口元らしき影が、かすかに「笑った」。
守の顔が恐怖に引き攣る。次の瞬間、異形は闇ごと溶け、夜の中に霧散していった。




