幕間
王都に呼び出されたのは、ある日突然だった。
「急ぎで翻訳が必要だ」――それだけを伝える使者の言葉に従い、アデルは村を離れる決断をした。
駐在所の前では、守が少し困ったような顔をして見送ってくれる。
「何かあったら、すぐ戻るよ」
そう告げながら、アデル自身も胸の奥にわずかな不安を抱えていた。
馬車に揺られ、王都へと向かう。窓の外に広がるのは収穫を終えた後の畑や、人々の穏やかな暮らし。しかし、王都に近づくにつれ、その光景は変わっていった。
――崩れた石壁。黒ずんだ焦げ跡。瓦礫と化した街角。
いつもは荘厳で威容を誇る城下町が、どこか沈んだ空気に包まれている。
(これは……一体、何があったんだ?)
王宮の前で馬車を降りると、迎えの兵士たちの表情は硬い。戦場から帰った兵のように、言葉少なにただ歩を進める。アデルはその背を追いながら、不穏な気配を肌で感じ取っていた。
通されたのは、宮廷の地下にある重厚な扉の前。幾重にもかけられた封印の魔法陣が青白く輝き、そこにただならぬものが閉じ込められていることを示していた。
「アデル・フォン・リースナー卿」
王直属の魔術師が声をかける。その声は張り詰め、まるで震えているようにすら聞こえた。
「中に封じられている者は……我々では理解できぬ言葉を話す。おそらく、貴殿の力が必要であろう」
ゆっくりと扉が開かれる。冷たい空気が地下室から流れ込み、アデルの頬を撫でる。
そこにいたのは――ぼろ布をまとい、鎖につながれた一人の青年だった。
髪は伸び放題で乱れていたが、その瞳は確かに理性を宿している。
「……たすけて、くれ」
耳に届いた瞬間、アデルは全身が凍りついた。
――日本語だ。
思わず胸の奥が締め付けられる。ここにいるのは、自分と同じ、あの世界から来た人間なのだ。
青年は必死に言葉を紡ぐ。
「俺は……気がついたら、ここに閉じ込められていて……! 何を言っても通じない、誰も聞いてくれない!」
アデルは震える声で応じた。
「大丈夫、僕にはわかる。……僕も、同じ場所から来たんだ」
鎖に縛られた青年の瞳が大きく見開かれる。
「……本当に?」
「ああ」
アデルは頷いた。だがその瞬間、背後で魔術師が声を上げる。
「何を話している? 危険な呪文ではないのか?」
アデルは振り返り、強い口調で言い放った。
「違います。彼は……異界からの“人間”です。呪いではなく、言葉が異なるだけなんです!」
しかし、王命を受けた兵や魔術師たちの視線は重く、疑いに満ちていた。
壊れた城壁。焦げ跡。王都を襲った脅威の正体。そして、それとこの現代人がどう関わるのか――。
アデルの胸には疑念と同時に、奇妙な確信も芽生えていた。
(これは……守に伝えなければならない。きっと、この世界にとっても重大な意味を持つ)
地下室の冷たい空気の中、アデルは拳を握りしめた。




