幕間
出発の支度は簡素なものだった。
村人から渡されたのは食料の籠と、道を示す手だけ。
武器は……持たなかった。持っていけなかった。
もし相手が本当に神を従えるような存在なら、剣一本でどうにかできるものではない。
村を救ったというその“人間”は、影から異形を呼び出し盗賊を空に吊るし上げ、神が引き裂いたと噂されている。
だが、その男とまともに会話を交わせる可能性があるのは――村で唯一「完全翻訳」のスキルを持つ自分しかいない。
足を前に出すたびに、心臓が大きく跳ねる。
完全翻訳――確かに便利なスキルだが、戦う力はない。
もし交渉に失敗すれば、それで終わりだ。
(……俺には刃も魔法もない。ただ言葉を繋ぐだけ……王都にいっても魔法は一切使えなかった。最上級生活魔法の翻訳だってただのスキルでしかないんだよなぁ、この世界って土下座通用するのかな...)
脳裏に浮かぶのは、盗賊を引き裂いたという惨状。
同じ“人間”だと聞いてはいるが、神を従えるような存在に近づくなど、本能が拒否する。
それでも――村人たちの期待が背中を押した。
やがて、木々の隙間から異様な建物が姿を現した。
角ばった屋根、この世界では見たこともない材質。
村人の話にあった“あの人”が住まう拠点だ。
だか、知っている。
僕はこれを知っている。
この世界に前にたまに目にしていたもの。
なぜここにこれがあるんだ?
アデルの目が、玄関に掲げられた板に吸い寄せられる。
そこに刻まれた文字――交番。
「……まさか」
かつて日本で目にした、あの看板。
街角にあたり前のようにあった治安の象徴が、この異世界にぽつんと存在している。
それはつまり――あの人物もまた、自分と同じ異邦から来た人間であることを意味していた。
しかし安堵よりも先に、背筋を這い上がる恐怖があった。
(俺と同じ“転生者”……けれど、神を従える存在……なんでこんなに差があるんだよっ)
足が止まりそうになる。
だが、ここで引き返すわけにはいかなかった。
村人が望んでいるのは、自分のスキルで彼と繋がることだ。
「……行くしかない」
震える声で自分を奮い立たせ、アデルは駐在所の扉へと歩み出し




