第1部第2章 桃色家族
翌朝。
「モモ、オハヨー!」
「……お前、いつの間に日本語覚えた?」
駐在所の庭で、俺は思わず頭を抱えた。
縄をほどいて一晩世話をしてみたら、モモちゃんはやたら人懐っこく、俺が使った言葉をすぐ真似し始めたのだ。
「オハヨー! オハヨー!」
「いやそんな元気よく……隣近所に響くだろ!」
「マモル、ネボスケ!」
「だーっ!? 誰にそんなこと教わった!?」
どうやら昨日、子供たちが好き勝手に喋っていた言葉を覚えたらしい。覚えが早すぎる。三歳児レベルとはいえ、確実に言語能力がある。
「……まさか、本当にただの鳥じゃないのか?」
「モモ! トリ! オイシイ!」
「いや食うな! 自己申告で食材になるんじゃねえ!」
朝からこの調子だ。
とりあえず餌をやらねばと米を出したら、あっという間に平らげてしまった。
「うわ、食費かかりそう……」
「オカワリ!」
「ねえよ!」
すでに俺の生活に深刻な影響を与え始めている。
⸻
昼過ぎ。
「駐在さん! モモちゃん元気?」
「モモちゃーん!」
子供たちが学校帰りに駐在所に押し寄せてきた。モモちゃんは嬉しそうに羽を広げて迎える。
「モモ! アソブ!」
「わー、すごい! 今日も言葉覚えてる!」
「かしこいなあ! 駐在さんより頭いいんじゃない?」
「おいそこ、言葉選べ!」
子供たちと一緒にサッカーボールを追いかけるモモちゃん。巨大な脚で蹴られたボールは、信じられないスピードでゴールに突き刺さった。
「わああ! モモちゃんすげえ!」
「サッカー選手になれるよ!」
「駐在さんより運動神経ある!」
「……二度も言うな」
俺の立場はますます危うい。
⸻
夕方。
近所のおばちゃんが差し入れを持ってきた。
「駐在さん、この子がいると庭が賑やかねえ」
「まあ……うるさいだけですけどね」
「でもかわいいじゃない。ほら、魚のアラ持ってきたから食べさせてあげなさい」
「ありがとうございます……」
魚のアラを差し出すと、モモちゃんは「モモー!」と喜んで一気に平らげた。
「……こりゃ本気で食費がやばいな」
「マモル、ビンボー!」
「誰が貧乏だ!!」
完全にからかわれている気がする。
⸻
夜。
「……モモちゃん、そこで寝るのか?」
「モモ、ネンネ!」
布団を敷いた俺の隣に、当たり前のように丸くなっている。
羽毛がふかふかで、冬になったら暖房代わりに重宝しそうだ。
「……まあ、いいか」
俺はため息をつきながら電気を消した。
こうして、モモちゃんと俺の同居生活は本格的に始まったのだった。
数日後。
「駐在さーん! 大変、大変だよ!」
駐在所に飛び込んできたのは小学生のユウタだった。汗だくで息を切らしながら叫んでいる。
「どうしたユウタ、落ち着け」
「畑のスイカが盗まれたって!」
「……またか」
この島では、夏になると畑荒らしがよく発生する。たいがい野良イノシシかサルだが、島民にとっては大問題だ。
「モモ! イッタラ?」
「いや、お前は行かなくていい!」
モモちゃんは羽をバサバサさせてやる気満々だ。
しかし今回は念のため連れて行くことにした。何しろ島の子供たちの信頼はすでに厚い。
⸻
畑に着くと、確かにスイカの蔓が踏み荒らされていた。
「足跡……これはイノシシだな」
「イノ? オイシイ?」
「違う! お前食材にするな!」
俺が畑の被害を確認している間に、モモちゃんが首を伸ばして地面を嗅ぎ回っていた。
「……モモ?」
次の瞬間、モモちゃんは一声「モモー!」と鳴いて畑の奥へダッシュしていった。
「おい待て!」
慌てて追いかけると、藪の中でガサガサと大きな音がする。
やがて飛び出してきたのは、一頭の巨大なイノシシだった。
「うおっ、デカい!」
だがイノシシの進路を塞いだのはモモちゃんだった。
体格はほぼ互角。イノシシが牙を剥いて突進してくる。
「モモーッ!!」
モモちゃんは大きな脚を振り上げ――ドガッ、と信じられない音を立ててイノシシを蹴り飛ばした。
イノシシはそのまま転げ回り、森の奥へ逃げて行った。
「……お前、強すぎないか?」
「モモ! スイカ、マモッタ!」
誇らしげに胸を張るモモちゃん。
その姿に、畑の持ち主である農家のじいさんが目を丸くした。
「駐在さん、この鳥……いや、このモモちゃんて子は……すごいな!」
「……鳥かどうかも怪しいですけどね」
⸻
それからというもの、島では「モモちゃんのおかげで畑が守られた」と評判になった。
子供たちだけでなく、大人たちからも「駐在所の守り神みたいだ」と親しまれるようになった。
「マモル! モモ、エライ?」
「……まあ、そうだな」
「モモ、ヒーロー!」
「ヒーローじゃなくてただの鳥……いや、もう鳥じゃないか」
俺は頭を掻きながら苦笑するしかなかった。
⸻
ある夜。
駐在所の机で日報を書いていると、モモちゃんがトコトコ歩いてきた。
「マモル、ネンネ?」
「まだだ。書類があるからな」
「……」
モモちゃんはじっと俺の手元を見つめ、それから羽で不器用に鉛筆を掴んだ。
「モモ、カク!」
「おい無茶するな!」
案の定、紙にぐちゃぐちゃな線を描いてしまった。だがそこには偶然、丸と棒が組み合わさって「マモ」という文字に似た跡が残っていた。
「……お前、これ」
「マモ! スキ!」
「……っ」
思わず言葉に詰まった。
まだ幼い子供のような存在だが、確かに心を通わせようとしているのだ。
「……お前、もう完全に俺の家族だな」
「カゾク?」
「そうだ。お前は駐在所の……俺の家族だ」
モモちゃんは嬉しそうに羽を広げて「モモー!」と鳴いた。
その声は、駐在所の静かな夜に優しく響いた。




