第2部第10章 非日常の中でも
翌朝。
疲れは溜まっているが、まず、電源関連の確認から始まった。
駐在所の屋根には、転移前から設置されていた一体型のソーラーパネルがある。守は制御パネルを点灯させ、今どれだけ発電しているか、蓄電池の残量はどうかを確認する。
液晶に表示された数字は安定しており、日差しもあるため電力には余裕があった。
「……今はまだ大丈夫、か」
パネルを閉じ、次に発電機を点検する。
非常用ディーゼル発電機は、倉庫裏に据え付けられている。守は燃料計を覗き込み、タンクを軽く叩いて中身の響きを確かめた。半分以上は残っている。
「よし……減りはないな」
ただし、これはあくまで最後の切り札だ。燃料が尽きれば補充の手段はなく、動かすこと自体が命綱を削る行為になる。
――これは本当に最終手段。使わないに越したことはない。
そう肝に銘じ、守は倉庫の鍵を確かめて閉じ直した。
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次に、駐在所前に停めたパトカーの点検だ。
エンジンをかけ、バッテリー、タイヤの摩耗具合を目で確認していく。舗装のない土の道を何度も走ったため、サイドステップや下回りには泥と小石がこびりついていた。
「うわ……結構やられてんな」
フェンダーの角には小さな擦り傷。普段なら報告書を書き、車両係に回すようなレベルだ。しかし、今ここでそんな相手はいない。
「報告書かぁ……こんなときでも頭に浮かぶんだから、職業病だな」
苦笑しつつも、どこか寂しさが胸に広がる。
守は備蓄していた洗車用のホースとスポンジを引っ張り出し、貴重な水を少しだけ使って泥を洗い流した。
「駐在のパトカーは島民の顔だ。汚いままじゃダメだろ」
習慣のように口にすると、モモちゃんが首をかしげながら羽をばたつかせる。
「ピィ?」
「そうそう、きれいな方が気持ちいいだろ?」
泡立てたスポンジをパトカーに押し付け、丁寧にこすっていく。太陽の光を浴びて再び艶を取り戻した白黒の車体は、守にとって数少ない「まだここに現実がある」と思わせてくれる存在だった。
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洗車を終えたあとは、水汲みだ。
ポリタンクを車に積み込み、昨日見つけた小川へ向かう。
道すがら、守は村の方角にパトカーを走らせる。村までは近づかない。遠巻きに丘の上から様子を伺うだけだ。
「あの夜の……惨状はもう、戻ってはいないか」
土の道にタイヤがきしむ音だけが響く。村の中では、かすかに人影が動いている。復旧に追われているのかもしれない。
サイレンもスピーカーも使わず、守はじっと双眼鏡を構えて観察した。言葉は通じない。自分の存在は彼らにどう受け取られているのかも、わからない。
だからこそ、今は静かに、遠くから「島の駐在」として見守るしかなかった。
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午後、駐在所へ戻った守はタンクを水槽へ運び込み、飲料用と生活用に分けて管理する。
こうした繰り返しの作業が、生き延びる基盤となる。
疲れた身体に鞭打って、守は再び庁舎の戸締まりを確認した。
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そして夜。
「……もう夜警はやめよう」
自分に言い聞かせるように、守は深く息をつく。
盗賊襲撃の夜から、ずっと眠りを削って警戒を続けてきた。しかし、このままでは体力も判断力も尽きてしまう。
夜に眠ること。それはあまりに普通で、しかしいまの状況では勇気のいる決断だった。
窓の鍵を確認し、モニターで防犯カメラの映像を巡回する。玄関の施錠をもう一度確かめ、最後に外灯を点けた。
「……何かあれば起こせよ、モモちゃん」
「ピィ」
布団に潜り込むと、隣にはすでに丸くなったモモちゃんがいた。
守はその寝顔を見て、ほんの少しだけ肩の力を抜く。
――今日も生き延びた。
明日もまた、点検と、水汲みと、パトロールだ。
そんな当たり前を胸に刻みながら、守は静かに目を閉じた。