第2部第9章 死活問題
村人たちが帰った後、守はしばらく縁側に腰を下ろし、ぼんやりと庭を眺めていた。
だが、安堵の時間は長くは続かない。現実的な問題が残っている。
「……トイレ、どうすっかな」
駐在所の水洗トイレは、流すたびに水は升へと落ちる。だがその先、繋がっているはずの下水管が、この世界には存在しなかった。
この前使用したところで升の底でただ水が淀み、悪臭を放つばかり。
「このままじゃ使えねぇ……」
仕方なく守は、倉庫からスコップを引っ張り出し、庭の一角に目をつけた。
図面を広げ、「確かこの辺に管が通ってるはずなんだが……」と独り言を漏らしながら土を掘り返す。
しかし、いくら掘っても、コンクリートの下水管は出てこない。
「……やっぱり切り取られたんだな」
現実を突きつけられると同時に、土を掘り返す重労働が待っていた。
シャベルを突き立て、土を掘り起こし、汗をぬぐい、また突き立てる。
太陽は容赦なく照りつけ、背中の制服シャツは汗で重くなる。
昼過ぎには、手のひらの皮が薄く剥け、握力も限界に近づいていた。
「重機さえあれば、一発なのに……」
吐き捨てるように呟きながら、それでも止めるわけにはいかない。
ようやく、庭の端に大きな穴ができあがった。
試しに升からバケツで水を流し、掘った道へと誘導する。
泥水はゆっくりと、掘った穴へ吸い込まれていく。
「……なんとかなるか」
その場に膝をつき、スコップを突き立てたまま、守は空を仰いだ。
体中が鉛のように重い。
ふと視線をやると、モモちゃんが穴の近くにちょこんと立ち、くちばしで地面をつついている。
「お前もそこで用足せばいいからな。トイレまで来んなよ」
「ピィ!」と嬉しそうに鳴き、モモちゃんは羽をぱたつかせた。
守は乾いた笑いを漏らすしかなかった。
夜が近づくと、守は強制的に気持ちを切り替えた。
「さぁて……夜間警戒だ」
昼間の重労働で全身が鉛のように重い。
まぶたは勝手に落ちてきて、意識はすぐにでも闇に沈もうとする。
だが、昨日の盗賊の惨状が脳裏をよぎると、横になるわけにはいかなかった。
駐在所の出入り口の鍵を再確認し、防犯カメラをつける。
モニターに映る夜の外は、黒い影が揺れるばかり。木の枝か、それとも人か。
どちらとも言えぬその曖昧さが、守の心をじわじわと削っていった。
三十分ごとに玄関を開け、夜風を受けながら周囲を目で確認する。
草むらでガサリと音がすれば、心臓が跳ねる。
「……昔話でしか聞いた成田闘争の時、先輩たちはこんな気持ちだったのかな」
誰に聞かせるでもなく呟く。警戒を解けば、何が忍び寄るかわからない恐怖。
ただそれを押し殺し、夜をやり過ごすしかなかった。
室内に戻ると、モモちゃんが布団の上で丸くなって眠っていた。
小さな寝息。柔らかなピンクの羽毛。
守はしばらくそれを見つめ――ほんの少しだけ、その安心感に縋った。
「……何かあれば起こせよ、モモちゃん」
返事はなく、モモちゃんはすやすやと眠っている。
守は椅子に腰かけ、モニターに目を向けたまま、意識をつなぎとめようと必死だった。




