第2部第5章 葛藤
禍々しい神の笑みが頭から離れなかった。
引き裂かれる盗賊の断末魔も、宙を漂って消えていった光の残滓も、すべてが網膜に焼き付いている。
守は震える足を無理やり動かし、モモちゃんを連れて村を後にした。
サイレンも赤色灯も、もう点ける気にはならなかった。
泥を跳ね上げて進む電気自動車の中で、握ったハンドルが冷たく汗で滑る。
「……俺の影から……出てきた……」
自分の声が車内で反響する。
否定したいのに、見間違いとは思えなかった。
あの異形の存在たちは確かに、自分の影から現れた。
そして――殺戮した。
村人を助けられたのか?
それともただ恐怖を与えただけなのか?
自分は人を守ったのか? それとも……。
「俺は……なんなんだ……」
悩み続けても答えは出ない。
出るのは、重苦しい沈黙と、自分の浅い呼吸音だけ。
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腹が減るという現実
駐在所に戻る頃には、空は白み始めていた。
車を停めて降りた瞬間、強烈な空腹感が押し寄せる。
「……こんな時に……」
守は自分に毒づく。
人の死を見たばかりなのに、腹は減る。
罪悪感と、生物としての本能の間で、心が引き裂かれる。
だが胃は待ってくれない。
仕方なく備蓄倉庫の前に立ち、扉に手をかける。
また開けてしまえば、もう引き返せない気がして、しばらく動けなかった。
モモちゃんが小首をかしげ、守を見上げる。
「まもる……おなか……すいた?」
守は苦笑を浮かべる。
「……ああ、俺も……腹減ったよ」
心の奥で悩み続けても、空腹は止められない。
結局、守は倉庫の扉を開いた。
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切り替えと決意
食料を少し口に入れると、冷静さが戻ってきた。
人間は悩んでも食わなきゃ生きられない――その単純な事実を、嫌でも思い知る。
守はテーブルに座り、深呼吸して自分に言い聞かせた。
「……落ち込むのは後だ。まずは、生き残る」
影から現れた化け物のことも、神の笑みも、忘れることはできない。
だが、いま考えるべきは自分とモモちゃんの生存だ。
水は雨水タンクにあるが限りがある。
食料も限られている。
電気は太陽光発電で賄えるが、夜の警戒も必要だ。
守はメモを取り出し、やるべきことを箇条書きしていく。
――水場の探索
――備蓄の管理
――駐在所の防御強化
――村との関係再構築
ひとつひとつ、ため息を吐きながら書き込んでいく。
悩みは尽きない。
だが動かなければ、本当に死ぬ。
守は顔を上げた。
窓の外、薄明の空の下でモモちゃんが元気に羽ばたいている。
その姿に少し救われるような気がした。
「……よし。今日から本格的に、生き残るための基盤を整えるぞ」
震えを残した心を押し隠しながら、守は再び立ち上がった。