第2部第3章 背徳と決意
言葉が通じず、警戒され、村人たちに見送られることもなく背を向けさせられた。
守は重い足取りで駐在所へ戻っていた。
モモちゃんは横で楽しそうに並走している。
守の沈んだ気配に気づいていないのか、あるいは気づいていて敢えて明るく振る舞っているのか――。
「……無理に笑ってるのか?」
「え?モモちゃん楽しいよ?」
守は言葉を失った。
村人の冷たい視線を思い出す。異質な存在に向ける不安と警戒。
当然だ。いきなり異世界に現れた駐在服の人間を、誰がすぐに受け入れるだろう。
――もう村に頼るのは難しい。
その事実が、守の胸を締めつけていた。
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「モモ、これからは俺たちだけで生きていかなきゃならない」
「生きる?ごはん食べる?」
「そうだ。ごはんを食べるため、水を飲むため……火や電気がいる。病気にならないように清潔を保つのも大事だ」
守は一つひとつ確認するように呟く。
言葉にすれば、冷静さを取り戻せる気がした。
再び駐在所の設備を見直す。
冷蔵庫、IH、温水器、雨水タンク、太陽光パネル。
――これは、ただの駐在所じゃない。島民の命を守る最後の砦だ。
それを自分と家族の命を維持する事だけに使う、通常ならありえない。
「やるしかない」
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夜。
守は備蓄倉庫の前で立ち尽くしていた。
中には米、缶詰、乾パン。災害対策用に税金で整えられた島の財産だ。
島民がいつ帰ってくるか分からないのに、勝手に消費していいのか――。
非常灯の薄暗い光に照らされながら、守は唇を噛んだ。
「島の人たちのための物資だ……。俺一人のために減らしていいのか?」
「まもる、おなかすいた」
モモちゃんが無邪気に訴える。
その一言に、守の胸は激しく揺れた。
この異世界で、命を守れるのは自分だけ。
その責任感が、葛藤を決断へと変えていく。
「……少しだけ。必要最小限、な」
守は鍵を回し、備蓄倉庫を開けた。
わずかに取り出した乾パンをモモちゃんと分け合いながら、守は心に刻む。
「備蓄だけじゃダメだ。水も、食料も、燃料も……自分で確保できるようにしないといけない」
「モモ、かりできるよ!イノシシかる!」
「……そうだな。お前の力も借りる。けど、俺は人間として、人間のやり方で基盤を作らなきゃならない」
守の瞳には、警察官としての強い光が宿っていた。
この世界に来た意味が分からなくても――生き抜くことが最優先だ。
夜空には無数の星。
その静寂を破るように、遠くの空に炎が立ち昇った。
村の方角だった。
「まもる、火! あっち、光ってる!」
守は立ち上がった。
村に頼れないと決めた矢先、再び彼らを巡る出来事が起きている。
胸の奥に、不安と覚悟がせめぎ合っていた。