退院
まずは、ペンと紙を、どこかで手に入れなければならない。
となると、退院病棟に行くしかない。いつだったか、隣の病室の女の子が、そこなら、紙とペンの許可が出る、
と話していた。告発ついでに、あの看護師に先ず、移動してもらう。
嘘は言わない。真実も言わない。事実は端的に。
方針が約1分で、固まると、私は、すぐ院長の診察に、アポイントメントを入れた。
シュミレーションは、三通り。そのどれもが、同じ回答を相手から得られるという確信がある。
迷いは、もう、無い。
時間も、もう無い。
これは、戦争である。私という、人生の、戦さ場。外に出なければ、何も情報を得られない。
視聴覚室の時間、パソコンも交代制の、十五分足らずしか使えないんじゃ、役に立たない。
外に出る。ただ、それだけ。優等生を、ここでも演じてやろうじゃないか。
彼女が恐ろしいのは、今に始まったことじゃない。
異常な振る舞いの自分を、どこかで俯瞰して、判断している。
彼女は、恐怖に慣れれば、まともな思考という型を理解し、演じ分けることもできる。
薬がある程度効けば、どうということのない、自己コントロールの術がある。
まともな話し方、冷静な事情説明。そして冷たい怒りの表現。
ありとあらゆる人間の所作を覚えている。
過去かつて、自分にされた仕打ちも、全て演じて表出させることが可能だ。
そして、その匙加減も、容易くできてしまうほど、自我というものを忘れさせる歴史が、
彼女をそうさせた、としか、現段階での説明が追いつかない。
彼女は、その全てを、久しぶりに、利用する事に傾けた。
そして、退院さえすれば、それを終息させる想像さえ、容易かった。
全ては、日常を取り戻し、普通を演じながら、全てに溶け込む術。
彼女は、全てのマイナスを吸収する。そして、木々のように、呼吸として吐き出す。
その呼吸さえ、操作しながら。
そうして、彼女は、B棟に移り、8ヶ月の病院生活の全てを終えた。
退院当日の正午、ナースステーションで、荷物確認される。
病院の備品や、危険物を所持せずに退院するかどうかを確認するためである。
ふと、看護師が誰かを呼ぶのか、席を立つ。
通用口の扉が開いた。
生きている・・・
・・・彼が。目の前で。
死んでいる筈の・・・彼がなぜ・・・?
あれほど実家を飛び出し、裸足で、近くのマンションの部屋のドアを叩いても、
扉は、開かなかった。
一瞬、頭が真っ白になった。
「玲。」
彼が、自分の名前を呼んだ。何の曇りもない、声で。
「一緒に、帰ろう。迎えに来たよ。」
満面の笑顔で、伸び過ぎた髪を撫でた。
全身が、解けていくのを感じ、戸惑う。
今朝、退院の報告をするために、実家に電話をかけた時、ずっと不思議だった。
「丞君に、感謝するんだよ。彼が居なかったら、退院できてないんだからねっ」
姉に言われた、その言葉は、ずっと、私を罪の意識へと苛んでいた。
1人で、独りで、ずっと・・・・、戦っていたよ。
ずっと、待っててくれたんだ。独りぼっちじゃなかった・・・・・。
話したいことが、いっぱいある。
君が一番だったよ。
やっと、会えたね。
ずっと、考えてた。ずっと。
帰ろう、家に。
この謎と、答え合わせをするから。
これで、終わりではない。
必ず、全ての幕引きをする。
呪われた、この人生に。