スピリチュアルクライシス
僕がこれまでに於ける、彼女の話で、一つ理解できることが、ある。
「存在して良い理由」、其れに僕らは今まで何度、苦慮してきたであろう。
束の間に、彼女に先だって言っておいた言葉があった。
「生きる価値も見出せない、低く見積もった世界に、命を投げ出す価値はあるのかい?
君の存在意義は、君から、君へ見出すことでしか、生み出せない価値なんだよ。」
当時、隔離病棟を出てからというもの、その看護師は執拗に、腕なり、頭なり触ってきては、その強い力に、彼女は、腹立たしさを感じていたのだった。
(此処を出なければ。)
不愉快でどうにかなりそうな彼女は、院内での「看護師とのお菓子のやりとり」を
叱責されると思いながらも、看護師長に、今回の件を報告した。
看護師長は顔色を変え、院長を呼び、改めて、応接室での密談となったのだった。
「先ず、今回の件は、誠に申し訳なかった。彼が貴方の所に行かないよう、
病棟を離して、彼を管理することにします。
裁判にするかは、貴方の一存で行って構いません。
本当に、本当に、申し訳なかった。」
普段、関西弁の院長が、語尾を標準語に正しながら、そう言うと、
看護師長と揃って、深々と頭を下げてきたのには驚きであったのだと言う。
だが、この事で、彼女の病棟も退院準備のB棟に移る事になり、
一週間後、この件の看護師は、複合1Fの高齢者看護病棟に移る事となる。
二度と男性が、女風呂に立ち入る事もなくなった。
どうやら、院長は、そのこと自体、院で禁じているのに、人手不足でそういう体制を良しとしていた、部下たちの運用を耳にしたこと自体、何もなかったらしかった為であった。
後々、判明することなのだが、院長は、カルテに、この一件を書かずに、隠蔽した様である。
時を稼ぎ、何年か経って、立証が難しくなるまで、風化する事を期待していたのだ。
そもそも、何故、彼女が精神病棟への保護入院をするに至ったか。
ご多分に漏れず、彼女なりの引き金を持っていた。
皆さんは、スピリチュアルクライシスという言葉の意味をご存知だろうか?
1989年、サイコセラピストのクリスティーナ・グロフと、精神科医のスタニスラフ・グロフ夫妻によって
初めて提唱されたそうだ。自己の危機の形のひとつとされ、この世のものとは思えない霊的体験によって、
突然、認知の仕方が極端に変化し、臨死体験や、超常現象との遭遇、突然の神の啓示などがそこにある。
トラウマをずっと抱えているせいで、精神的緊急事態が長引くこともあるため、霊的体験が続くと、
精神的危機の引き金になることがある。と、ネットでは解釈の概要がある。
入院3カ月前の、ある夜。
彼女は玄関に向かい合わせの姿見をみた。
なんの変哲もない、いつもの自分が、そこに映っていたのだろうと思う。
だが、次の瞬間、彼女の体が自動的にしゃがみ込み、鏡越しに、彼女を睨んだのだ。
彼女はそれが霊であると直感した。
そして、鏡に映る自分の瞳に、文字が写っているのだ。
殺してやるぞ
それはもう、恐怖でしかなく、対処など到底、浮かばないほど、奇襲的出来事である。
自分の意思に反し、自分を睨むものが、自分の中、あるいは鏡の向こうに存在していると、
頭ごなしに、全てを、納得するのである。
次に彼女が取った行動は、実に奇妙である。
明らかに、異質な其れを、リビングに迎え入れるように、媒体を映しているであろう、
姿見を引き入れるのである。殺人者を家内に案内するように、自分と其れを繋ぐ足元の姿が鏡越しに切れぬよう、注意を払いながら。
困惑するかのように、虚を突かれたかのように、其れは明らかに、動揺の色を見せた。
必死に彼女は身振り手振りで、中に招くという動作を為して、説明した。
鏡に映る其れは、納得して肯く。まるで、丁重に扱われたのが、意外というように、驚嘆の色を見せたのだという。
姿見を居間に入れてからも、彼女は対話を続け、其れは己の存在を説明することがなかったままだが、彼女は安心して良い、と、やはり、身振りで伝えた。
なぜ、彼女がそんな挙行に出たのか。
彼女自身は不思議でもない風に、「誰だって、自分のしている事と真逆の返答をされれば、
心を許すかを考え始め、本音が出るの」とだけ、私に返答した。
まるで、強盗が踏み込んできたら、お茶を出すくらい、意外なことである。
その日は、「もう、眠るね」とだけ伝えると、其れは頷いて納得したらしい。
彼女のトラウマや、宗教像を一旦、破壊しうる体験。認識の改まり、不可思議に思える現象の答え合わせの中、突如として起こる、殺害意識を目の当たりにしてしまった恐怖。
最も、本人が信じ難く、だが、信じなければ、いずれ生存も危ぶまれてしまいそうな、
僅かな可能性。この危機的状況における対処からの、心霊現象の深刻化。
闇雲にだが、足取りを確かめ、持病の投薬を拒んだ、先の見えない長く暗いトンネル。
毎分迫られるその選択肢の強制力から、事が重症化していったのは、よもや想像を絶する。
翌朝である。
鏡に違う気配を感じて、近づいた。
「誰?」と問う。
「晴明です。」と唇と表情が動いて伝える。まるで、他人のような自分が鏡の向こうにでも居るみたいだった。
「せいめい?」ふと唇を零した途端、鏡の向こうが答える。
「はい。覚えていませんか?手水の水をいつぞや、飲みましたね。」と告げた。
「ちょうず?」と聞き返すと、手酌で水を飲むような仕草を、
身体が勝手に動き始め、にっこりと、其れの表情が、変わったように感じた。
あ・・・