ホタルの飛ぶ泉
本屋は、ホタルの飛ぶ泉。
通りがかりを視界に飛び込んできたのは、結婚したり、亡くなったりした、もう世間の関心から、遠退いた人々。ただ、僕に必要なジャンルは、それじゃない。
探してるのは、悩ましげなスピリチュアルと、心理学のタイトル一覧が並ぶコーナー。
背文字を見ると、ヒントから離れる気がする。
直感を頼りに、気になる書籍を取り出し、ページをめくる。
すぐに、内容の見当がつくと、書棚に戻す。その繰り返し。
ホタルは、すぐに捕まらない。注意深く、足音を立てず、ゆっくり、書棚の隙間を歩く。
彼女に起きた出来事は、生半可な覚悟じゃスタートできない。
解決にならなくとも、原因くらいは、突き止めておきたい。
何が、自分を掻き立てているかは、知らない。
きっと、ただの性分に違い無い。ふと彼女の診察室での話の光景が過ぎった。
カーテンを開けると、真紅の夕焼けが、この部屋の少し大きな窓一面に、広がっている。
ここから見咎めた、グレゴリーのような姿の悪魔は、近所の屋根の上に、鎮座している。
異様さと実際の生々しさに、喉が詰まる。
今は、朝の筈。
私は、規則正しく起きる性質だ。
時計は昨日から、ひび割れた、姿見の目の前、平たく絨毯の上で横になったままである。
時間は止まったまま。
先月から、不思議なことが立て続けに起きている。
彼女は、最近まで、自分なんて死んでしまえばいい、と思っていた。
何の価値も無いと、ただ、戒めるように、自分の腕を、きつく噛んだりする夜が続いた。
要らない。
虚しい。
どうやったら、うまく死ねる。
そればかりを考え続けた。
同棲している恋人が、眠っているベッドの横で、蹲って、泣くしか無かった。
時間だけが刻々と過ぎる。
父親が死んでからだった。
死ぬべきだったのは、自分だったのに。その考えが、繰り返し過ぎる。
決して認められないまま、親子の縁を手繰る糸など、自分の元から引き離したまま、
病室を離れた隙に、父親は、彼女の元から去った。
突然、何か額に当たっているのに気づく。
真っ暗な天井を見上げる。
暖かくて、すっぽりとそれは、自分を包み込んだ。
胸に広がる。懐かしいのとは違う、初めての感覚が、全身を包んでいる。
片時もそれは離さず、彼女を抱きしめていた。
これは、紛れもなく・・・愛情・・・。そう思えた。
母に抱かれた、幼い頃に感じる、あの独特の温かな、匂いであったり、温もり、
大好きな人の腕の中で、胸満たされた様な心地、それとは、比べ物にならない程の生温いミルクの鼻を突くような甘さが、その感触が、身体中を確かに、包んでいた。
全てに辻褄が合う。そんな気がした。
言葉じゃなくて、ただ黙って、其れが伝え、送り続けてくる。
何を言うわけでもなく、ひたすら抱きしめられている。
「何で? なんで、見捨ててくれない・・・っ」
泣きじゃくりながら、彼女は、呟いた。
そっと、慰められるまで、其れはずっと彼女を抱き続けた。
裏切りの気配は、微塵も感じられないくらいに。
(ありがとう)
胸の奥。深く、悲しみが澄んだように、ため息が漏れた。
すると、静かに其れは、天井から気配を無くして行ったのだった。