第二話 欲しがる妹に右ストレート!
「御姉様ったら、私の欲しいもの全部持って行っちゃったんですよ」
「それはけしからんな!」
「殿下。鼻の下が伸びております」
昼下がりの学園で、そんな会話が為されていた。
会話の主は鼻の下を伸ばした王太子とその側近。そして、公爵令嬢の妹である。
もちろん、公爵令嬢の妹の姉は前回王太子にジャーマンスープレックスを決めた彼女である。
そんな三人が歩きながら会話している。
「聖女様に振られたからと言って、次は御婚約者の妹様というのは、側近として苦言を呈させていただきますよ」
「仕方ないだろう! あのジャーマンスープレックスで私は死にかけたのだぞ‼」
頭から大理石の床に突き刺さっておきながらよく生還できたものである。
「別に良いじゃないですか。今に始まった事ではありませんし」
「今に始まった事ではないから婚約者を変えたいのだ‼」
ごもっともな意見である。
そして、前回が初犯ではないというのが驚きである。
度々自国の王太子を死線の際まで追いやる婚約者の公爵令嬢というのはどうかと思う。
「この間はお前まで私の事を忘れて帰るものだから、今までにない位の臨死体験をしたのだぞ!」
「その臨死体験、ちょっと気になりますね」
気にするところはそこではないと思う。
「まずは走馬灯!」
教えてくれるらしい。わりと素直な男である。
「その後、床に突き刺さった自分を見下ろす視点になった! さらに、眩いばかりの光に包まれたと思ったら、真っ暗なトンネルに入って、そこを抜けたら一面の花畑だ! その先にあった川の向こうで亡くなった曾祖父が手を振っていた‼」
「おお。世界の臨死体験盛りだくさんセットですね」
「ちょっと楽しそうですね!」
「いや、決して楽しくはないぞ!」
王太子の言う通りである。
王族という責任ある立場の者が臨死体験を楽しんでいたら困る。
「そもそもお前は私の側近だろ⁉ 何を私そっちのけで公爵令嬢達のデスマッチの審判などやっていたんだ⁉」
「いやぁ……、殿下をわざわざ起こすの面倒臭いと思いまして」
「面倒臭がるな! ……まさか⁉ お前、わざと私の事を置き去りにして帰ったんじゃないだろうな⁉」
「……今日は良く晴れていますねぇ」
「誤魔化すな!」
いや、まったく誤魔化せていない。と、言うか、誤魔化す気があるのかすらも怪しいものである。
「まあまあ。側近さんも悪気があったわけじゃないでしょうから許してあげてくださいよ」
無理な話である。どう考えても悪気百パーセントである。
「いや、悪気しか感じられなかったが……。ま、まあ、君がそういうなら、今回は寛大な気持ちで許すとしよう」
分かっていながらも下心優先で許してしまうあたり、この国の将来が不安になる。こんな人間を王太子にしておいて大丈夫なのだろうか。
「殿下。また、鼻の下が伸びておりますよ」
「やかましい‼」
側近のツッコミに王太子が怒鳴る。
怒鳴った後、王太子がふと思い出した様に小さく首を傾げ、側近に訊ねる。
「ところで、今、どこに向かっているのだ?」
「殿下……」
どうやら、王太子はどこに向かっているのかも分からず、公爵令嬢の妹に付いて歩いていたらしい。大した下心である。側近も呆れ顔だ。
「大講堂ですよ」
公爵令嬢の妹が、クスクスと小さく笑いながら答える。
「大講堂?」
学園の大講堂はかなり広い。実に数千人収容できる。国外から人を招いた大規模な学会なども開かれる事があるほどだ。
「今日、何かあったか?」
あまりにも大規模なため使い勝手が悪く、使用頻度は高くない。それが学園の大講堂だった。
それゆえ、大講堂の使用予定があれば王太子の耳にも入っているのが通常だった。
「さっき、欲しいものがあるって言ったのを覚えていますか?」
「ああ。君の姉が全て持って行ってしまったとか……」
「そうなんですよ。だから、今日、大講堂で譲ってもらうつもりなんです」
「? 大講堂で?」
「ええ」
肯定の言葉に、王太子が首をひねる。
「何で大講堂なんだ?」
「いっぱい人を集めないといけないじゃないですか」
「? 人を集める必要があるのか? 普通に家で譲ってもらえば良いではないか」
とても人の集まった舞踏会で婚約破棄騒動を引き起こした本人の言葉とは思えない。極めて常識的な言葉である。
「大講堂に着けば分かりますよ」
小さく笑って、公爵令嬢の妹が答える。
王太子はやはり疑問が残った顔をしているが、着けば分かるという事なので、なおも疑問を口にする事はなかった。
そうこうしていると、三人は大講堂の扉の前に到着する。
「何だ?」
王太子が訝しげに声を上げる。
大講堂の重厚な扉越しでも分かるほどの大勢の人の気配を感じる。
それほどの人数が集まるような催しがあれば、王太子の耳にも入っているはずだ。
しかし、やはり王太子にはそんな話を聞いた覚えはなかった。
「扉を開けさせていただきます」
側近が扉に手をかける。
そして、開かれた扉の先には大講堂を埋め尽くすほどの人がいた。
全ての人が開かれた扉に視線を向ける。
そして、一拍置いて大歓声が上がった。
「な、なんだ⁉ 何が起きている⁉」
王太子が狼狽する。
何故これほどの人数が大講堂に集まっているのかも分からず、何故こちらを見て歓声を上げているのかも分からないのである。狼狽するなと言う方が無理な話だ。
狼狽する王太子の脇を抜け、公爵令嬢の妹が歓声に応えながら大講堂を進む。
彼女の進む先には、彼女の姉、公爵令嬢が待ち受けていた。
大講堂に似つかわしくないリングの上で、公爵令嬢が優雅に微笑んでいる。
「おい! 何でリングが大講堂に設営されているんだ⁉」
王太子が叫ぶが、大歓声にかき消され、誰の耳にも届いていない。……いや、正確には、隣にいる側近は聞こえた上で無視を決め込んでいる。
王太子の疑問に誰も答えぬ中、公爵令嬢の妹が颯爽とリングへと上がる。
そして、公爵令嬢の妹は姉である公爵令嬢に対して口を開く。
「御姉様。私は、今日という日を心待ちにしておりました」
「ええ、私もよ」
「今日こそは御姉様から勝ち取らせていただきます!」
そこで一度言葉を切り、公爵令嬢の妹は姉を指さし、堂々と宣言する。
「そう、チャンピオンベルトを‼」
「チャンピオンベルト⁉」
王太子が、驚愕のあまり素っ頓狂な声を上げるが、今回も誰も反応しない。
「おい! 側近! チャンピオンベルトってなんだ⁉ と、言うか何のチャンピオンベルトだ⁉」
「……令嬢ボクシングのチャンピオンベルトです」
胸倉を掴んで、唾を飛ばしながら訪ねてくる王太子に、流石に無視できなかったらしく、側近が面倒臭そうに答える。
「令嬢ボクシング⁉ なんだ、その意味は分かるが脳が理解を拒絶する競技は⁉」
「令嬢格闘技の一つです」
「令嬢格闘技⁉ 他にもあるのか⁉」
「まあ、令嬢空手とか、令嬢柔道とか、色々ありますよ。……ああ、基本的に武器は使いません」
「問題はそこではない‼ いや、公爵令嬢に定期的に攻撃されている私としては結構重要だが‼」
そこまで叫んで、何かに気がついた様に王太子の動きが停止する。
その隙に側近が王太子の手から逃れて、掴まれていた襟を直す。
「……確か、公爵令嬢の妹、欲しい物を全部姉がとった、って言ってたよな?」
「そうですね」
「話の流れから考えて、ほしい物ってチャンピオンベルトなんだよな?」
「他にないでしょう」
「公爵令嬢、チャンピオンベルトを複数持っているのか?」
「御婚約者は最軽量級ながら、全階級のチャンピオンを殴り倒して、史上初の全階級統一王者になっておいでです」
「嘘だろ⁉」
側近の言葉に王太子が盛大に叫ぶ。
公爵令嬢は見た目的には小柄で可憐である。そんな人物がヘビー級まで殴り倒しているのである。驚かない訳がない。
「と、言うか、妹の方も令嬢ボクシングの選手なのか⁉」
「もちろんです。同じく最軽量級ながら、全階級の、チャンピオンに挑戦権を持つ全てのボクサーを殴り倒して、今回のタイトルマッチに挑んでおいでです」
「姉妹揃ってなんでそんなに格闘能力が高いんだ⁉」
「……姉妹だからこそなのでは?」
「それと! 令嬢ボクシングのチャンピオンだろ‼ なんで私に攻撃する時はプロレス技が多いのだ⁉」
「令嬢プロレスリングのチャンピオンでもあるからじゃないですか?」
「プロレスでもチャンピオンなのか⁉」
「確か、チャンピオンの概念がある令嬢格闘技では御婚約者が全てチャンピオンだったはずですよ」
「格闘エリートにも程があるだろ⁉ 公爵令嬢の妹が言っていた欲しい物全部って、そういう事か‼」
「史上最強の御令嬢って言われていますよ」
そんな側近の言葉に、叫びすぎで息を切らした王太子が激しくせき込む。
あまりにもショッキングな事実である。何がショックって、史上最強の令嬢の攻撃に今まで晒されていたのである。
そして、おそらくこれからもそれは続くのである。
あまりの事に王太子がガックリと項垂れ、膝をつく。
そんな王太子を他所に、リング上では公爵家の二人の令嬢がボクシンググローブを装着し終わっている。
観客も試合開始が待ちきれない様子で、断続的に歓声が上がっている。
「……おい。これだけ観客が入っているって事は、もしかして結構メジャーな競技なのか?」
「令嬢格闘技は我が国の文化として根付いておりますからね」
「じゃあ、なんでこの国の王太子である私は知らないんだ⁉」
「……国王陛下が、息子にはしばらく夢を見せておいてやりたいと申されまして」
「それで黙っていたのか⁉ もう少し早く教えてくれればいいものを!」
「まあ、この間の婚約破棄騒動で情報解禁となりましたが」
「……ちなみに、令嬢格闘技の競技人口はどれ位いるんだ?」
「この国の令嬢は、ほぼ全員が何らかの格闘技を修めておりますよ」
「この国、そこまで武闘派だったのか⁉」
「ちなみに、女性は学んだ格闘の技を愛する男性にお見舞いし、男性はそれを受け切るのが慣例となっております」
「ちょっと待て‼ じゃあ、公爵令嬢の度重なる私への暴力は愛情表現だったのか⁉」
「そうですよ」
側近の言葉に、王太子が愕然とした表情で呆ける。
無理もない。公爵令嬢に度々死線の際まで追い込まれ、それに耐えかねて婚約破棄騒動を引き起こしたというのに、その原因がこの国特有の愛情表現だったのだ。
それは、国内から婚約者を見繕う限り、愛情表現という名の暴力から逃げ出せない事を意味していた。
「あっ。殿下。試合が始まりますよ」
「待ってくれ! 頭の整理が追い付かない‼」
そんな王太子を待ってくれるはずもなく、公爵家の二人の令嬢がリング中央へと進み出る。
そして、試合開始のゴングが鳴った。
熾烈。
その一言以外に言葉が思い浮かばない闘いがリング上で繰り広げられていた。
両者共にノーガードである。
互いに、全力で拳を振るい続けている。
血が、汗が、リング上に飛び散っている。
歓声が鳴りやむ事のない、稀に見る激戦である。
「流石は私の妹。私に血を流させた者は久しぶりです」
公爵令嬢が、どこぞのラスボスの様な言葉を口にする。
「今まで私は御姉様に敗北し続けてきました。……しかし、今日こそは勝たせていただきます」
公爵令嬢の妹は、まるでどこぞの主人公の様な面持ちである。
僅かな会話の後、再び両者が激突する。
観客の熱狂が大講堂を埋め尽くす。
何もかも諦めた末に自棄になった王太子も大声で歓声を送っている。
王太子の側近は、声援を送りながら観戦を全力で楽しんでいた。
ジャブが、フックが、アッパーが、互いの身体に突き刺さる。
壮絶な打ち合いの末、公爵令嬢のアッパーが妹をダウンさせる。
審判のカウントが始まる。
深刻なダメージを負いながらも、公爵令嬢の妹は歯を食いしばり、ゆっくりと立ち上がろうとする。
「私は、いつも二番手だった」
呻く様に公爵令嬢の妹が言葉を口にする。
「プロレスリングでも、ムエタイでも、総合格闘技でも、貴女には勝てなかった!」
この姉妹、ちょっと闘いすぎである。一体、何種類の格闘技でチャンピオンの座を争ってきたのだろう。
「だからこそ! 今回は負ける訳にはいきません‼」
そう叫んで、公爵令嬢の妹が立ち上がる。
カウントが止まる。
今日一番の歓声が大講堂に響く。
「もう、私に余力はありません。次の一撃に残りの全ての力を込めます」
「受けて立ちましょう」
二人が正面から激突する。
公爵令嬢の妹が繰り出したのは、全ての力を出し尽くした、どこまでも真っすぐな右ストレートだった。
対して、姉である公爵令嬢も、また、右ストレートを繰り出す。
互いの右ストレートが交錯する。
それぞれの拳が互いの顔を抉る。
互いの顔面に拳を打ち込んだ姿勢のまま、二人の動きが止まる。
場が静まり返った。
そして勝者は一人。敗れ去った一人が前のめりに崩れ落ちる。
……姉である公爵令嬢がそこには立っていた。
歓声が上がった。
公爵令嬢が拳を突き上げて歓声に応える。
カウントが始まる。
公爵令嬢の妹が立ち上がろうともがくが、もはや立ち上がれるダメージではなかった。
そして、ついにカウントが終わる。
試合終了のゴングが響く。
割れんばかりの大歓声が上がった。
公爵令嬢の防衛成功である。
「流石は御姉様。まだ届きませんか」
リングに大の字になり、そう言った公爵令嬢の妹はどこか清々し気だ。
「貴女も強かったわ。もし、貴女が私より先に生まれていれば、きっと勝敗は違ったでしょう」
「もしもの話で負けた言い訳はしたくありません」
「……貴女に失礼でしたね。これからも互いにライバルとして競い合いましょう」
「ええ。もちろんです」
そう言って、二人は晴れやかに笑いあう。
歓声は鳴りやまない。
皆、公爵家の姉妹に感動していた。
最強の令嬢と目される二人の熱戦に、試合が終わった今でも熱狂していた。
皆が二人を称えていた。
大講堂から誰一人帰ろうとする者はいない。
それだけの興奮がそこにはあった。
……そして、そんな感動と熱狂をよそに、チケットを持っていなかった王太子が、今まさに係員の手によって大講堂からつまみ出されていた。
例の如く、私はボクシングをよく知りません。
ノリで書いていますので、おかしい点などあると思いますがご容赦ください。