最終話 そして、祝福の鐘が鳴る
「公爵令嬢! 君との婚約を終了する‼」
学園に王太子の声が響く。
学園の卒業パーティーでの出来事である。
その声の元には、王太子と公爵令嬢、そして、聖女の三人がいた。
「そして、私はここにいる聖女のもと、君との婚姻を結びたいと考えている!」
王太子が高らかに宣言し、公爵令嬢に向かい合う。
公爵令嬢の目には涙が滲んでいた。
「……まことでございますね?」
「無論だ‼」
公爵令嬢の言葉に、王太子は力強く頷く。
そして、公爵令嬢に跪き、懐から小箱を取り出す。
「君の為の新たな婚約指輪だ。この婚約は政略だけではなく、私の意志によるものだと示すために用意した。……受け取ってはくれないか?」
王太子の言葉に、公爵令嬢は涙を流す。
悲しみの涙ではない。
喜びの涙だった。
「公爵令嬢……。返事を聞かせてほしい」
優しく語り掛ける王太子に、公爵令嬢は涙ながらに小さく頷く。
「……殿下。私達に相応しい返事をしたいと思います。……お許しいただけますか?」
「勿論だ。君らしい返事を聞かせてくれ」
そう言って、王太子は立ち上がり、指輪の入った小箱を聖女へ預ける。
そして、公爵令嬢は何も言わぬまま王太子の背後へと回った。
「それでは、殿下……」
「ああ。よろしく頼む」
互いの顔は見えない。
それでも、二人は互いが笑顔である事を疑ってなどいなかった。
王太子は笑顔で、公爵令嬢は涙を流しながらも笑顔で。
公爵令嬢が王太子の腰に抱き着く。
互いの顔は相変わらず見えない。
それでも、そこには信頼があった。
「いきます!」
「来ぉぉい!」
掛け声と共に、公爵令嬢が己の持てる全ての力を余す事なく使い、王太子の身体を床から一気に引き抜く。そして、ブリッジをきかせ、目にもとまらぬ素早さで力強く後方へと投げる。
そう……
公爵令嬢、渾身のジャーマンスープレックスである。
受け身を放棄した王太子が、爆音を響かせ、学園の床に頭から突き刺さる。
静まり返るパーティー会場の中、砕けた床の破片が散らばる音だけが人々の耳に響いた。
「……見事な、見事なブリッジです! 流石は未来の王太子妃様!」
感極まった聖女の声が聞こえる。相変わらず、この娘の感性が分からない。
「殿下ぁぁぁっ‼」
少し離れた場所にいた王太子の側近が叫ぶ。
叫びながらもパーティー会場の床をスライディングして、王太子の元へと駆け付ける。
王太子の元に辿り着くなり、素早く王太子の両肩が床に接地しているのを確認。
そして、再度叫ぶ。
「ワン‼ ツー‼ スリー‼」
無情なるスリーカウント。
プロポーズ開始からわずか数分、公爵令嬢のジャーマンスープレックスホールドで公爵令嬢の勝利が決定した。
公爵令嬢がホールドをといて、両の腕を高く突き上げる。
パーティー会場が湧き上がる。公爵令嬢を称える声が響く。公爵令嬢コールが鳴りやまない。
そんな中、頭から床に刺さった王太子が、何事もなかったかの様に床から這い出して来る。
立ち上がった王太子に、側近が声を掛ける。
「見事な公開プロポーズでした」
「ああ。上手くいって安堵している」
上手く……、いったのか?
あのジャーマンスープレックスが合意なのか拒絶なのかすらも分からない。
頼むから説明してほしい。
「側近。不甲斐ない私だが、今後とも宜しく頼む」
「ハッ! 何があろうとも王太子殿下にお仕え致します」
側近の言葉に頷き、王太子が公爵令嬢の下へと向かう。
途中、預けておいた指輪を聖女から受け取り、公爵令嬢と向かい合った。
「幼少期に結ばれた君との婚約も終わりになる」
「はい」
王太子の言葉に公爵令嬢が小さく頷く。
「私の無知故に君を傷つけてばかりだった」
物理的に傷つけられていたのはこの男の方である。
「だが、君は、そんな私を我慢強く支えてくれた」
この男を支えていたのは、この男自身の神がかった生命力である。
「……共に歩もう。私も支えられてばかりではない。これからは、私も君を支えよう」
この娘には、いらぬ世話だと思う。
放っておいても力強く生きる事に間違いない。
「手を……」
王太子の言葉に差し出された公爵令嬢の指に優しく指輪がはめられる。
公爵令嬢が指輪のはめられた自らの指を見て、また、涙を流す。
パーティー会場が万雷の拍手に包まれる。
皆、笑顔だった。
喜びに満ちた声が響く。
公爵令嬢だけではない。涙ぐむ者も数多くいた。
そんな中、王太子が公爵令嬢の手を取る。
王太子と公爵令嬢が寄り添って歩み始める。
それは、この国の未来を写すかの様だった。
聖女と側近も珍しく涙ぐんでいる。
誰もが喜び、誰もが祝福している。
この国の未来を示すかのように会場の空気は明るい。
……ただ、それでも。
たった一つ。
たった一つだけ疑問が残った。
そう、それは……
結局、あのジャーマンスープレックスが何を意味するのかが分からなかった。
「態々、来てもらってすまないな」
「結婚式の招待状を手渡ししたいと思いまして」
そう言って、公爵令嬢が男爵令嬢に招待状を手渡す。
「わぁ~。ありがとうございますぅ~。私も招待してくださるんですね~」
久しぶりに聞いたが、相変わらず鬱陶しい口調で男爵令嬢が礼を言う。
「結婚式って、初めて参加しますぅ~。何か注意した方が良い事とか有りますかぁ~?」
「そうですね……。ボクシンググローブは忘れずにお持ちください」
結婚式で何が行われるんだ。
ボクシンググローブ持参で出席する結婚式とか聞いたことが無い。
「分かりましたぁ~。お二人の結婚式、楽しみですぅ~」
お前も疑問を持て。
絶対に血塗られた結婚式が開催されるぞ。
「ああ。気を付けて帰ってくれ」
「忙しくなりますので、式当日まで会えないと思います。当日、お会いできるのを楽しみにしています」
「はぁ~い。忙しくてもぉ~、ちゃんと休んでくださいねぇ~。それでは、失礼しますぅ~」
鬱陶しい口調のまま、男爵令嬢が退室する。
それを見送って、王太子と公爵令嬢は微笑みあう。
「忙しいな」
「ええ。でも、嬉しい忙しさです」
確かに、二人の間には幸福な空気が満ちていた。
そして、今更だが、卒業パーティーのジャーマンスープレックスは拒絶ではなく、合意だったらしい。
どんな形態のプロポーズの受け入れ方なのかと問い詰めたいところである。
「次は……、特待生だな」
王太子の呟きに間を開けず、ノックの音が響く。
「どうぞ」
「失礼します!」
公爵令嬢の言葉に、ドアが開かれ、特待生が入室して来る。
特待生の表情はどこか不満そうだった。
「殿下! 何で、結婚式の警備のバイトに採用してくれなかったんですか⁉」
バイトに不採用だったらしい。
王太子の結婚式のスタッフなら、バイト代は御祝儀相場で、さぞかし高給だったのだろう。
そんな特待生に、公爵令嬢が小さく笑って招待状を手渡す。
「君は出席者だ。バイトに採用する訳ないだろう」
「⁉ 私も招待されるんですか⁉」
王太子の言葉に、特待生は手渡された招待状を確認し、驚きに声を上げる。
「特待生さんは私達の共通の友人ですし……」
「我が国の慣例として、王族の結婚式は貴族以外の国民からも見届け人を招待する決まりがある」
公爵令嬢の言葉に続けて王太子が説明する。
しかし、国民から見届け人を用意するにしても、もう少し人選というものがあるだろう。
特待生は中二暗殺拳の使い手であり、令嬢狩りの犯人であり、そして、帝国の悪夢と呼ばれた存在である。
こんな設定てんこ盛りみたいな存在を一般人代表にするのはどうかと思う。
「会場は……、挙式が神殿の中庭ですか」
「ええ。天井があると問題が出ますので」
受け取った招待状を速攻で開封した特待生に公爵令嬢が答える。
だが、何故、天井があると問題があるというのだろうか?
絶対にろくでもない理由だろう。
「披露宴は王城で執り行われる。立食形式のパーティーだ」
「披露宴ですか……」
王太子の言葉に、特待生が浮かない表情を浮かべる。
「どうかなさいましたか?」
「いえ……」
公爵令嬢の質問に特待生が言葉を濁す。
まあ、一般人としては参加し難いだろう。
そもそも、そんなパーティーに着ていく正装を用意する事も一般人には敷居が高い。
「……一人で美味しい物を食べて帰ると、弟と妹が文句を言うだろうと思いまして」
予想と全然違った。
ただ、弟妹に文句を言われるのが嫌なだけだった様だ。
まあ、冷静に考えれば特待生である。
学園の制服で堂々と参加するくらいはするだろう。
「それについては考えがある」
王太子が威厳すら感じさせる声で言う。
その言葉に、公爵令嬢も特待生も吸い寄せられるように王太子に視線を向けた。
「当日、君にはタッパーを支給する」
「タッパーを……!」
タッパーが存在するのか⁉
自分で作った世界観だが、訳が分からなくなってきた。
「ああ。料理が不足するなどという事態を回避するために、過剰な程の準備を進めている。好きなだけ詰めて帰ると良い」
「両親にワインとかは……?」
「良いワインを数本持たせよう」
王太子の言葉に特待生が跪く。
そして、拝む様にその両手を合わせた。
「流石は王太子殿下。ご高配に感謝いたします」
現金な娘である。
先程までの不満げな表情など既に無く、満面の笑顔だ。
「では、当日にな」
「はい。失礼します」
そう言って、特待生が退室する。
その背中を見送って、王太子と公爵令嬢は互いの顔を見合わせて小さく笑う。
「特待生は、どこまでも特待生だな」
「ええ。あの自分に正直な姿は見ていて肩の力が抜けます」
いや、どう考えても自分に正直すぎる。
もう少し、自分を隠す事を覚えた方が良いと思う。
「あと少しだ。頑張ろう」
「ええ。頑張りましょう」
そう言って、公爵令嬢が王太子に身を寄せる。
王太子は、何も言わずにその肩を優しく抱いた。
「殿下……。楽しみですね」
「ああ。私もだ」
小さく呟かれた公爵令嬢の言葉に王太子が頷く。
幸福な時間が流れていた。
二人とも笑顔だった。
もうすぐ二人は結ばれる。
その事実が二人の心を満たしていた。
紆余曲折あった二人の関係は、幸せな結末に辿り着く。
そして、新たな関係が始まる。
僅かな時間だが、二人は無言のまま寄り添っていた。
そこには穏やかな空気が満たされている。
そんな穏やか空気の中、室外の側近が新たな客人の到着を知らせた。
「新郎、王太子。貴方は公爵令嬢を病める時も健やかなる時も、富める時も貧しき時も、妻として愛し、敬い、慈しむ事を誓いますか?」
「はい。誓います」
良く晴れた青空の下、聖女の問いに、王太子が静かに答える。
「新婦、公爵令嬢。貴女は王太子を病める時も健やかなる時も、富める時も貧しき時も、夫として愛し、敬い、慈しむ事を誓いますか?」
「はい。誓います」
公爵令嬢も聖女の問いに静かに答える。
その答えを聞き、聖女が二つの指輪を取り出す。
「指輪の交換を」
聖女の言葉に、王太子が指輪を一つ取り、公爵令嬢に向かい合う。
「今日という日を迎えられて、私はこれ以上ない程の幸福だ」
「私もです」
王太子の言葉に、公爵令嬢がベール越しでも分かる柔らかな微笑みを浮かべる。
王太子が、公爵令嬢の左手をそっと取り、その薬指に指輪を通す。
公爵令嬢の目には涙が滲んでいた。
「王太子殿下……」
公爵令嬢が指輪を手に取り、優しく王太子の左手の薬指に通す。
自分の指にはめられた指輪を感慨深げに眺め、王太子と公爵令嬢は同じ様に微笑む。
「本日、この二人は夫婦となる」
聖女の言葉を、この式の参加者は、皆、静かに聞いていた。
ある者は感動に涙ぐみ。
ある者は新たな夫婦の未来を祝福する様に微笑んでいた。
「新郎。新婦のベールを……」
聖女の言葉に、王太子が公爵令嬢のベールを上げる。
化粧され、人形の様に整った公爵令嬢の顔があらわになる。
だが、人形とは違い、幸せそうに微笑むその顔は、確かに血の通った表情だった。
「殿下……。妻として、必ず幸せにします」
「ああ。私も、君を必ず幸せにしよう」
王太子の言葉に、公爵令嬢が喜びに一滴の涙を流す。
その光景を間近で見る聖女も涙で目を滲ませていた。
「それでは、新郎新婦……」
感動で声を震わせながらも、聖女が式を進行する。
聖女の言葉に、寄り添っていた王太子と公爵令嬢が、一歩、距離をとる。
そして、聖女が言葉を続けた。
「……誓いのアッパーカットを」
聖女の言葉と共に、公爵令嬢の拳が王太子の顎をかち上げる。
王太子の身体が大空高く舞い上がった。
歓声が上がる。
高く舞い上がった王太子は、青空に吸いこまれるのではないか思えるほど地上からは小さく見えていた。
そして、その王太子は、空高くから皆を見ていた。
感動に咽び泣く公爵。
涙を流しながらも嬉しそうな笑顔を浮かべる公爵令嬢の妹。
公爵令嬢の妹に寄り添い、やはり笑顔の側近。
涙を堪え、あくまでも聖職者として振る舞う聖女。
男爵令嬢は燥ぎ、特待生が笑い、愛し子は精霊に頼んで美しい火花を散らしている。
転生令嬢は勇者と魔王と共に王太子に手を振り、新聖女は憧憬の眼差しを公爵令嬢に向けていた。
そして、北の第三王子は当たり前の様にドン引きしている。
王太子が笑う。
幸福を噛みしめる様な笑顔だ。
王太子の視線が公爵令嬢の視線と絡む。
公爵令嬢が笑顔を浮かべる。
いつもの様な微笑みではない。
弾ける様な笑顔だった。
皆、幸せそうだった。
王太子が、もう一度笑う。
満面の笑顔だ。
そして、王太子は皆の下へと戻っていく。
重力に従って、真っすぐに。
爆発音にも似た轟音と共に公爵令嬢の下へ王太子は正確に落下した。
小さなクレーターが作られる。
そこから王太子が這い出した。
「おかえりなさい」
「ああ。ただいま」
笑顔の公爵令嬢の言葉に、王太子はやはり笑顔で返す。
万雷の拍手が降り注ぐ。
二人を祝福する声に、涙に、笑顔に満ち溢れていた。
花が舞い。
紙吹雪も舞い。
舞い上がった無数の風船が青空を彩った。
そして……
そして、祝福の鐘が鳴る。
これをもって完結とさせていただきます。
最後までお付き合いいただいた皆さん。ありがとうございました。
今後、時間はかかりますが、数話のこぼれ話を更新する事になると思います。




