第十話 新人聖女は憧れる!
「私、もうどうしたら良いのか分からないんです」
そう言った少女が両の手で顔を覆い、涙を流す。
少女と対面する聖女は、彼女を安心させる様に優しく微笑んで見せた。
「婚約者の浮気に悩んでいらっしゃるのですね?」
「はい……。話し合おうとしても、話など聞きたくないと言われて、一方的に罵られて……」
言葉を詰まらせながらもそこまで言って、少女はついにその場に泣き崩れる。
そんな少女を聖女は優しく助け起こし、やはり優しく微笑む。
そして、聖女は少女に柔らかい口調で助言を口にする。
「顎を砕きなさい」
「顎を……!」
聖女の助言が本当に助言なのか疑わしい所である。
「はい。顎を砕けば、きっと、貴女の話を聞いてくださいますよ」
それは、物理の力(暴力)によって相手を黙らせただけである。
確かに、顎を砕かれれば、どんな人間であっても反論も罵る事もできないだろう。
……ただし、王太子は除外する。
「でも! 私、令嬢格闘技が得意では無くて、顎を砕く事なんてできそうにありません……!」
少女が己の不甲斐なさを嘆く様に、また言葉を詰まらせる。
ただ、この少女、よく聞けば技術的な不足を語っており、婚約者の顎を砕く事に否やは無い様である。
流石は、この国の令嬢だ。勘弁してくれ。
「安心してください」
聖女は優しくそう言うと、どこからか小箱を取り出し、そっと少女に差し出す。
「これは……?」
「開けてみてください」
少女が、聖女に言われるがまま箱を開けると、中には鈍く光を反射する金属製品が一つ入っていた。
驚いた様に目を見開いた少女に、聖女が優しく説明する。
「聖なるメリケンサックです」
「聖なるメリケンサック……!」
『聖なる』とつければ許されると思うなよ。
もはや隠す気があるのかすらも怪しい、シンプルな凶器である。
「この聖なるメリケンサックは、数多の浮気野郎の顎を砕いてきた実績のある聖具です」
どの辺が聖具なのか説明してほしい。
痴情のもつれからなる暴力事件で使われてきた血塗られた凶器以外の何物でもない。
「これをお貸しします」
「よろしいのですか?」
「ええ。貴女の様な方を救済する為の聖具です。存分に婚約者の顎を砕きなさい」
浮気野郎に制裁を加える事に文句はないが、仮にも神に仕える聖女が凶器を提供して許されるのだろうか?
この聖女を聖女としているのが神であるというのなら、この世界の神の懐の広さは無限大である。
「でも……」
「いかがしましたか?」
手の中の聖なるメリケンサックを見下ろしながら、遠慮がちに少女が口を開く。
「……聖なるメリケンサックを見たら、婚約者は逃げてしまうと思うんです」
当たり前である。
メリケンサック装備で現れたら、誰であっても逃げ出すに決まっている。
「そう言う事でしたら、こちらもお貸ししましょう」
聖女はそう言って、もう一つの箱をどこからか取り出す。
今度は先程の物よりも少し大きい箱だった。
「これは?」
「聖なる安全靴です」
………………。
安全靴は作業者が安全に作業する為の靴です。
これから聖女が話す内容を真に受けない様御願い致します。
「これで婚約者の脚を砕きなさい」
ですよね。
どうせ、そういう物騒な事を言うのだろうと予想はできていた。
怪我しない為の靴で他人を怪我させようとするんじゃない。
聖職者どうこうよりも、まず、人としての倫理観がどうなっているのか問い詰めたい。
「相手の怪我の事は考えなくて構いません」
いや、構ってくれ。
浮気野郎は一発と言わず殴られれば良いと思うが、聖女の示唆する事は明らかにやりすぎだ。
「私には、神より授けられた癒しの力があります」
らしいですね。
この物語で、その力が発揮されるところは拝見しておりませんが。
「この力は、こういう時の為にあるのです」
絶対に違う。
この聖女がやろうとしている事は、殴りながら治療する様な行為である。
そんな事、絶対に神も予想していない。
だが、明らかにおかしい聖女の言葉に少女は涙を拭い、強い決意を秘めた瞳でその思いを言葉にする。
「やってみます……!」
やってみるな。
頼むから大人しく婚約破棄でもしてくれ。
脚を砕き、顎を砕き、逃走も反論もできない人物に思いをぶちまけるのは正直怖すぎる。
絶対に相手はトラウマを植え付けられる。
正直、聖女はそれを狙って唆している気もするが。
「はい。御武運をお祈りします」
浮気する婚約者に不満をぶつけようという人物に捧げる祈りが武運であるのは適切ではないと思う。
だが、少女は力強く頷き、渡された聖なるメリケンサックと聖なる安全靴を胸に抱いて神殿を後にする。
正直、絵面が怖すぎる。
何があったら神殿に人生相談に来た少女が凶器を胸に抱いて帰宅する事があるというのか。
「……さて、お待たせしてしまった様で」
そう言って聖女が視線を向けた先には、王太子と公爵令嬢、そして、特待生の三人が静かに佇んでいた。
どうやら、聖女の人生相談が終わるのを待っていた様である。
「忙しい時間に訪問したのは私達だ。気にしないでくれ」
そう言って、王太子は小さく微笑む。
そして、続けて聖女に対し称賛の言葉を口にする。
「……しかし、流石は聖女だ。見事な助言だった」
本当に内容を聞いていたのか?
要約してしまうと、聖女は凶器を手渡して『殴れ』『蹴れ』と言っただけだ。
相談者が納得したのが不思議なくらい内容は薄い。
飾らずに言ってしまえば、暴力へ向かって全力で背中を押しただけである。
聖女の定義が揺らいだ一時でしかなかった。
「それで、御用件は?」
聖女の言葉に、王太子が小さく頷き返答する。
「……北の隣国に聖女が誕生した」
王太子の言葉に、聖女が驚いた様に目を見開く。
「北の隣国は新たな聖女に聖女とは何たるか学ばせたいとの事で、君に面会を求めている」
正気だろうか?
この聖女から学ばせても、絶対に求めている聖女像とはかけ離れた人物が誕生するだけである。
「これが表向きの理由だ」
「本当の理由は別にあると……?」
聖女の疑問に王太子が頷いて見せる。
「北の隣国は、王弟が東の帝国から妃を迎えている。そのため、貴族は親帝国派と反帝国派で対立していて情勢が不安定だ」
「なるほど。派閥争いに聖女が利用されない様にこの国に避難させたい訳ですね?」
避難した先で妙な思想を植え付けられない事を祈るばかりである。
私としては、もう少しマシな避難先を選定する事をお勧めする。
「我が国に来る者達の代表として、北の隣国の第三王子も来るそうだ」
「……随分、大規模になりそうですね」
「ああ。今回の新聖女誕生で、北の隣国では対立が激化している。第三王子の避難の意味もあるのだろう」
「それほどですか?」
「親帝国派は、皇帝の血を引く王弟の長男を立太子させ、新たな聖女を帝国に差し出す事で帝国に尻尾を振りたいらしい」
「行きつく先は属国でしょうに……」
聖女が深々と溜息を吐く。
「自国の王族や民の事など考えてもいないのだろうな」
王太子も、聖女につられた様に溜息を一つ吐く。
「……ともかくだ。君には新たな聖女を迎え入れる準備をしてほしい」
「承知しました。……北の新たな聖女と第三王子殿下に関しての情報はありますか?」
聖女のその言葉に、公爵令嬢が前に進み出る。
「その件に関しては私から説明させていただきます」
公爵令嬢はそう言って、聖女に幾枚かの書類を手渡す。
「そちらに詳細は書いてありますが、確認の意味も含め大まかなところは口頭にて説明いたします」
「お願いします」
「まず、北の隣国の第三王子殿下ですが、頭脳明晰で剣技に長け、性格は温和でありながら果断との事です」
「随分、高評価ですね」
「それゆえ、何かあった際の為、我が国に訪問する事になった様です」
公爵令嬢の言葉に聖女は眉間に皺を寄せる。
無理もない。この場合の『何かあった際』というのは、クーデターの様な事態を意味している。
国王と王太子に何かあった場合、正当な王位継承者として第三王子を旗印にした戦になる。
状況次第では火種になる人物を国内に抱えるという事だった。
「……新たな聖女は、どのような人物ですか?」
「新たな聖女様は、北の隣国の伯爵令嬢です」
「貴族出身ですか……」
「ええ。……ただ、父親の伯爵は新聖女様の母君と不仲で、母君が亡くなった後、まるで奴隷の様に扱われていたようです」
「それは……」
公爵令嬢の説明に聖女が絶句する。
真面な貴族……、いや、真面な人間がやる事ではない。
人として完全に間違っているのは勿論、貴族としても間違っている。
政略結婚だった場合、新聖女の母親の実家を蔑ろにする行為だ。
人としても貴族としても失格である。
「最低限、教育は施されたようですが、その教育も虐待に等しい酷い物だったようです」
公爵令嬢が嘆く様に深々と溜息を吐く。
あまりの内容の酷さに聖女は口を開く事もなく、眉間の皺を深くする。
「幸いにも新聖女様は聡明な方で、礼儀作法を始めとした必要な知識は習得しております」
「……性格はどうですか?」
「少々自己評価の低い所はあるそうですが、聖女に相応しい清廉な方だそうです」
公爵令嬢の言葉に聖女は長い溜息を吐く。
そして一度目を瞑り、しばし沈黙する。
「……分かりました。私が、聖女に相応しくなれる様に導きましょう」
目を開いた聖女が強い意志の籠った声音で宣言する。
その瞳は使命感に燃えていた。
だが、この聖女に任せて大丈夫なのだろうか?
何せ、人生相談に来た令嬢にメリケンサックを手渡す人物である。
正直、不安しかない。
「他に質問はありますか?」
「いえ。私からはありません」
公爵令嬢の言葉に聖女が答える。
しかし、この場に居ながら一言も発していなかった人物……、そう、特待生が一歩前に出る。
そして、遠慮がちにだが、公爵令嬢に疑問を投げかけた。
「あの……、なんで、私は呼ばれたんでしょうか?」
………………。
またである。
またしても何も知らない特待生さん、である。
いい加減、特待生の都合を考えてあげてほしい。
「便利だからだ」
答えたのは王太子だった。
特に悪びれる事もなく、堂々とした答えだった。
「いや! 便利ってどういう事ですか⁉ この間もそうでしたけど、今回も一般人が聞いちゃいけない事ありましたよね⁉」
「黙っててくれ」
「だから最初から呼ばないでください!」
以前見た展開とまったく同じである。
荒ぶる特待生は、今にも王太子に掴みかかりそうな勢いだ。
だが、公爵令嬢が二人の間に割って入る。
「以前、暗殺者を素手で手玉に取った事を評価しての事です」
「……そんな事もありましたけど」
「今回、貴女には我が国の聖女様の警護についていただきたいと考えています」
「……一般人がやる事じゃないですよね?」
不満げな顔の特待生に公爵令嬢が優しく微笑む。
そして、ハッキリとした声で特待生に語り掛ける。
「報酬が出ます」
特待生の動きが止まる。
公爵令嬢の『報酬』という言葉に特待生がまるで彫刻の様に固まった。
「報酬が出ます」
公爵令嬢の再度の言葉に特待生がピクリと反応する。
「前金で金貨二十枚」
王太子による報酬額の提示。
具体的な金額に特待生の表情が思案する様に動く。
おそらく、報酬額とリスクを天秤にかけているのだろう。
だが、その思案を終わらせる追撃を王太子が放つ。
「後金は金貨三十枚」
「いかなる艱難辛苦が待ち構えて居ようとも聖女様を御守りする事を誓います」
まるで騎士の様に特待生が聖女に跪く。
その変わり身の早さには目を見張るものがある。
金の出どころではなく、警護対象の聖女に跪いているところもポイントが高い。
警護の評価は警護対象である聖女の意見が大きく反映されるだろう。
つまり、特待生は誰に媚びるべきか瞬時に判断していたのだ。
そんな特待生を見て、公爵令嬢が安堵したように息を吐く。
「分かっていただけて嬉しいですわ」
「ああ。君達の絆の力だろう」
否、金の力である。
金貨の入った袋でぶっ叩いた様なものである。
やる事が大分エゲツない。
「では、私は新たな聖女を迎え入れる準備をします」
「ああ。よろしく頼む」
王太子はそう言うと、公爵令嬢の手を取り歩き出す。
「私は、今現在をもって聖女様の警護を勤めます!」
「お願いします」
「はい! たとえ火の中水の中、トイレの中に風呂の中! どの様な時も御守りいたします!」
「トイレとお風呂は止めてください」
「承知しました!」
無駄に元気な特待生の声を背に、王太子と公爵令嬢は神殿を後にする。
神殿の外は良く晴れていた。
「何がどうしてそうなった?」
王太子が呻くように呟く。
場所は北の隣国との国境線付近。
かなりの人数での大騒ぎになっていた。
「何で新聖女が攫われてるんだ?」
「さあ?」
王太子の言葉に聖女が気のない返答を返す。
視線を向ければ、新聖女の父親が、協力者と思しき武装した集団と共に新聖女を人質に取って喚き散らしていた。
異常事態発生の知らせを聞き、王太子の愛車(荷車)に皆を乗せて駆け付けたらこの騒ぎである。
事態が飲み込めないのも仕方がないだろう。
「殿下! 詳しい話を聞いてまいりました!」
そう言って、王太子の側近が王太子の元に駆け寄ってくる。
「説明を頼む」
「はい。……まず、新聖女様の父親は新聖女様を虐待していた事により、処分が決まるまでの間、謹慎が命じられていたそうです」
側近の言葉に王太子が首を傾げる。
他の面々も全員が不思議そうな表情を浮かべていた。
「それなら、何故ここにいるんだ?」
「どうやら抜け出したようです」
「どうやって?」
「隣国の第三王子殿下の一行も抜けだした事を把握していなかったようで、詳しい事は分かりませんでした」
側近の説明に王太子が呆れた様な顔をする。
「新聖女に逆恨みしていそうな父親が逃げ出したのに早馬すら来ていないのか?」
「その様です」
「北の隣国は何を考えているのだ……」
王太子一行は、皆、どこか呆れた様な雰囲気だった。
新聖女を重要視しているわりに対応が杜撰すぎる。呆れるのも仕方ないだろう。
「それで、続きは?」
「抜け出した後、第三王子殿下の一行に追いついて、第三王子殿下のいない隙に新聖女様に面会を求めて来たそうです」
「……それで?」
「まがりなりにも伯爵の為、新聖女様の護衛も追い返せなかった様で、新聖女様に話が通ったそうです」
「いや、捕まえろよ! 処分待ちの謹慎命令無視して来たんだから取り押さえる名分があるだろ!」
至極もっともな事を王太子が叫ぶ。
この男が真面な事を言うと違和感があって仕方ない。
「その後、二人だけで話がしたいという父親に新聖女様が応じられたそうで……」
「それで攫われたのか⁉ 護衛まで席を外させたら攫われるに決まっているだろう! 迂闊にも程があるぞ!」
王太子が叫ぶ。
それは叫びたくもなる。
新聖女が関わっている以上、何かあった場合無視できないが、その上現場が王太子達の国の中だ。
「第三王子は私と違って優秀だと聞いていたぞ! 何で警備がザルなんだ⁉ 部下の掌握すらできてないではないか!」
微妙な自虐を交えつつ、王太子が再度叫ぶ。
指揮官が優秀なら、何故こんな事になっているのかという話である。
「それと! 新聖女も聡明だと聞いていたぞ! 何で護衛を排除して一人になる⁉ 意味が分からん!」
「殿下。落ち着いてください」
荒ぶる王太子を公爵令嬢が宥める。
ちなみに、新聖女を人質に取った集団と、それを囲む北の隣国一行は目の前にいる。
王太子の叫びは、本人を目の前にしての堂々たる批判である。
「そうは言うが、どう考えても行動力のある馬鹿が馬鹿なりに馬鹿な事考えて実行してしまっただけだぞ! 何で全部成功する⁉ 警備がザル以下だぞ!」
言っている事はもっともだが、新聖女を人質に取っている人間を目の前に、その者を馬鹿呼ばわりするのは止めた方が良いと思う。
「聞こえているぞ! 誰が馬鹿だ!」
やはり聞こえていた。
新聖女の父親が短剣を片手に吠える。
「いや、そうは言うが、本当に上手くいくと思っていたのか?」
「当たり前だ! 私の計画は完璧だった!」
「そんな訳ないだろ」
「うるさい! 若造のくせに生意気な! 何様のつもりだ!」
何様も何もない。紛う事なき王子様である。
「この国の王太子だが?」
「何だと⁉ ……ッ! 隣にいるのは聖女か⁉」
今更王太子一行に意識が向いた様で、新聖女の父親――面倒なので今後クズと呼称する――が驚愕に叫ぶ。
しかし、驚愕したのも束の間、何やら良からぬ事を思いついた様で、不気味に顔を歪ませる。
「人質の命が惜しければ、そちらの聖女を引き渡せ!」
「何だと⁉」
クズの要求に王太子が驚きの声を上げる。
だが、当の聖女は、無言のままクズの事をゴミでも見るかの様な目で見ていた。
「どうした! 人質の命が……」
「構いませんよ」
何でもない様に聖女が答える。
そして、使用人に扮した特待生を引き連れ、躊躇うことなく前に進み出る。
「待ってください!」
北の隣国一行の中から身分ありげな一人の男性が飛び出してくる。
その表情は明らかに狼狽していた。
「北の隣国の第三王子か」
どうやら飛び出してきた男性は北の隣国の第三王子らしい。
「貴女があの者達の手に落ちれば事態が悪化します!」
「それで?」
「ここは慎重に事を進めるべきです」
北の第三王子の言葉に聖女が深々と溜息を吐く。
そして、切り捨てる様にハッキリと言い放つ。
「貴方達で解決できないと判断しました。これ以上余計な事はしないでください」
言うなり、聖女は再び歩き出す。
北の第三王子が再び何か言おうと口を開くが、それを遮ったのは王太子だった。
「聖女に考えが有る様だ。任せてみよう」
「しかし……!」
食い下がろうとする北の第三王子だったが、王太子の表情に聖女への深い信頼が見て取れて、渋々といった風に口を噤む。
そんなやり取りの最中も歩を緩める事無く聖女はクズの元へと進んでいた。
そして、聖女がついにクズの元へと辿り着く。
「良い心掛けじゃないか」
クズが愉快そうに笑うが、聖女は完全に無視である。
聖女の視線は蒼白な顔で佇む新聖女に向けられていた。
「……貴女の立場を理解しない迂闊な行動でどうなるか分かりましたか?」
聖女の辛辣な言葉に、新聖女が泣きそうな表情で小さく頷く。
そんな新聖女を見て、聖女が深々と溜息を吐く。
「貴女が私から学ぶというなら、護身術から学ぶ必要がありそうですね」
聖女の言葉にクズが嘲笑う。
「お前の様な小娘の護身術で何ができる?」
クズがそう言って、武装した協力者に聖女を捕らえるように指示を出す。
武装した男が無警戒に聖女に近づく。
「見ていなさい。私の……、いえ、聖女の護身術を」
そう言って、聖女が近づいてきた男に向かって突撃する。
「聖女様! 私の背中を使ってください!」
特待生が叫んだ時には、聖女が男を独特な形で担ぎ上げていた。
「行きます!」
聖女は、そう宣言するなり男を担ぎ上げたまま特待生の背中を駆け上がる。
「これが!」
聖女が、特待生の背から跳び上がる。
そして、聖女が落下を開始する。
「神殿に伝わる四十八の護身技の一つ! 聖女バスター!」
聖女の技が炸裂する。
場が静まり返る。
技を喰らった男は白目を剥いて失神していた。
聖女が手を離した瞬間、男は地に落ち、そして立ち上がる事は無かった。
聖女バスター……。恐ろしい技である。特に著作権とかそういう方向で怖くて仕方がない。あまりの恐ろしさに技の詳細を説明できない程だ。
「なっ!」
クズがあまりの事に声を漏らす。
それはそうだろう。どう考えても護身術ではない。
こんな攻撃的な護身術があってたまるか。
「娘を……⁉」
新聖女を人質にしようと考えたのであろうクズが慌てて振り返る。
だが、そこには既に数人殴り倒して新聖女を確保した特待生が佇んでいた。
「ッ! こいつ等を取り押さえろ!」
クズの声に事態を把握した者達が、聖女達を取り囲む。
だが、聖女と特待生は余裕の表情だった。
正体の掴めない二人に、取り囲んだ者達は迂闊に出てこない。
人数差がある以上、聖女達も動かないかに思われた。
しかし、聖女が一気に飛び出す。
そして、惜しむことなく次々に技を繰り出した。
「四十八の護身技の一つ! 聖女百裂拳!」
いや、おい……。
「四十八の護身技の一つ! 聖女流星拳!」
おい。やめろ。
「四十八の護身技の一つ! 聖女炎殺拳!」
頼む。色々とヤバいからその辺にしてくれ。
あと、割とどうでも良いが、私の世代がバレる。
「これが、護身術の力です」
否、単なる暴力である。
聖女の護身術という名の純然たる暴力の前に、聖女達を囲んでいたクズの仲間達は悉く地に伏した。
惨憺たる有様だ。
「クソッ! 聖女は一人いれば良い! この二人を殺せ!」
クズが叫ぶ。
その叫びに応じて、聖女達の包囲に参加していなかったクズの仲間達が駆けつけてくる。
「私達にばかり戦力を集中させて良いのですか?」
「うるさいっ! 人質を確保できればどうとでもなる!」
クズの言葉に、聖女と特待生が笑う。
嘲る様に、憐れむ様に笑っていた。
そんな二人にクズは憤怒の表情を浮かべる。
そのままクズが攻撃命令を出そうとした瞬間だった。
声が響いた。
美しく、良く通る声だ。
「公爵家秘技!」
公爵令嬢の声だった。
公爵家秘技という、かなり不穏な言葉を叫んでいる。
「王太子ブゥゥゥメラン‼」
公爵令嬢が信じられない技名を叫んだ瞬間、クズの仲間達を吹き飛ばしながら、謎の物体が高速で飛来する。
謎の物体は一度通り過ぎた後、自らの回転を利用して方向転換し、もう一度突っ込んでくる。
再び飛来した謎の物体が残ったクズの仲間を綺麗に蹴散らし地面に突き刺さる。
「……これが王太子ブーメランの力だ」
地面から這い出してきた謎の物体……、王太子が何故か誇らしげに言い放つ。
お前は自分が武器に使われた事に疑問を持つべきである。
「終わったようですね」
そう言いながら、公爵令嬢が優雅に聖女達に歩み寄る。
その姿は、たった今、婚約者である王太子をブーメラン代わりにぶん投げたとは思えない嫋やかなものだった。
「素晴らしい技でした」
「ええ。我が公爵家が秘匿している技の一つです」
そんな技、秘匿したままにしてくれ。
そして、できるなら二度と表に出さずに朽ちさせろ。
「ば、馬鹿な⁉」
クズが恐怖の表情で叫ぶ。
それは、まあ、そうだろう。
王太子をぶん投げて攻撃してくる様な人物だ。怖くない訳がない。
「貴方は大人しくしていてください」
背後から忍び寄った特待生がクズの腕を捻り上げ、短剣を奪い取る。
相変わらず意外と有能な娘である。
「あの……」
控えめに新聖女が聖女に声をかける。
「どうしましたか?」
聖女の言葉に、新聖女は一度沈黙し、そして、意を決したかのように口を開く。
「……私も先輩の様になれますか?」
そう言った新聖女は、先程まで蒼白だった顔色が嘘のように顔を紅潮させ、その目は羨望の眼差しだった。
そんな新聖女に聖女は微笑む。
「ええ。訓練を積めば必ず」
聖女の言葉に新聖女が嬉しそうに笑う。
正直、新聖女は憧れる相手を間違えている。
行きつく先は癒した数よりノックアウトした数が多いと言われる暴力聖女である。
「……そうですね。まず、簡単な技から覚えましょう」
そう言って、聖女が新聖女に何やら耳打ちする。
何を吹き込んでいるか、とても不安だ。
そして、耳打ちが終わると、新聖女は何も言わぬままクズの元へ歩き出す。
その表情に先程までの弱さは無い。
覚悟を持った者の強さがあった。
そして、クズの目の前で新聖女が語り出す。
「……私は愛されたいと思っていました」
新聖女の目はしっかりとクズの瞳を見つめていた。
「何時か、分かり合えると信じていました。……でも、それは最悪の形で御父様に裏切られました」
そう言って、新聖女が目を瞑る。
「私は、御父様の都合の良い道具じゃありません。御父様とはお別れです」
新聖女が再び目を開き、クズをしっかりと見据える。
「やりなさい! 父親と……、弱かった自分と決別するのです!」
聖女が激励する様に声を上げる。
その声に、新聖女は右足を引いて構える。
そして、叫ぶ。
「神殿に伝わる四十八の護身技の一つ!」
新聖女の右脚が後方へと上がり、そして、振り下ろされる。
「金的蹴り!」
新聖女の脚がクズの股間に吸いこまれるように命中する。
容赦も加減もない恐ろしい一撃だった。
その一撃に、クズが白目を剥き、泡を吹いて崩れ落ちる。
男に対しては極めて効果的な技である。
「やりました!」
新聖女が嬉しそうに声を上げる。
このまま暴力に目覚めない事を祈るばかりである。
「ええ。良い一撃でした」
聖女が満足気に頷く。
「中々思い切りが良いな」
「ええ。きっと良い聖女様になってくださいますわ」
王太子と公爵令嬢が笑いあう。
だが、聖女を判断する基準はかなりおかしい。
「……これ、追加報酬とか出ませんか?」
特待生は金の話を始めていた。
死屍累々の誘拐犯達の中で好き勝手に話を始める王太子達。
そんな彼ら遠目に眺めて……
北の隣国の面々は自分の股間を押さえていた。
無駄に長くなってしまいました。




