■1-8
乗り換え後の電車の中でもぽつりぽつりと話をしてたらいつの間にか目的地の最寄り駅まで着いた。
藤沢先輩を気遣ってどこかで休む提案をしたが、そもそも避暑を図る事がのんびり羽根を伸ばすためだと最もなところを突かれ、先輩のウィッカーを預かって足を進めることに。
側面に岩肌が剥き出しの峠道を暫く下り気味に歩いていると、次第に芳醇な水の気配が肌を撫でるようになってきた。
辺りの岩肌で冷やされた涼やかな空気を深呼吸で肺に目一杯取り込む。
部屋の中で勉強の虫となり、息が詰まってもはや虫の息。
慢性的な呼吸困難に見舞われていた心が生き返るような心地がした。
これこそ仁が田舎の頃に愛したものだ。
途中、明らかに余所者然とした植物がちらほら見て取れた。
「そこの紫色の花は、ストレプトカーパスっていう熱帯植物っす。こんなのがここいらに自生してんのはエクスプランターのせいかと」
「へえ、教えてもらえなかったら花なんて見過ごしたなぁ。小さいアヤメみたいで可愛いね」
「ストレプトの花言葉は信頼とか安楽とかだったかな。間違ってたらすいません。ここ最近齧り始めたばかりの知識なんでついひけらかしたくて」
大体周りがどのような反応をするのか分かってくるまで、きっと誰しも経験するものだろう。
「じゃあ、あのピンクのは何かわかる? あれ私すっごい好きだな」
そういって指差れたのは道脇の木陰の方、鮮やかなピンクをした小ぶりなの鈴状の花弁が連なる植物だった。
「おお、ケマンソウじゃないっすか。原産地でも珍しい種類っすよ。良いもの見れたかも知れません。こいつは花がハートの形をしてますから、まさに花言葉は恋愛と失恋っすね」
「なんでよ。こんなにもハートフルな見た目しておいて、失恋いらないでしょ」
「もう少し開花が進むと下の方から白いしべが出てきてハートが割れた形になるんすよ」
「それがハート型のうちに見かけられたって事は...うん、悪くない全然悪いことない。今日の天秤座は5位だし」
何の事か知らないが、12星座中の5位は本当にただ悪くないだけだなと思った。
「おっ、先輩、あそこに売店あるっすよ。丁度俺アイスコーヒー飲みたかったんで寄って良いっすか」
道の向こうに見えた店舗は、売店というよりは僻地でしか見かけないタイプのコンビニである。窓が少なくあまり店内が見えない造りの建物なので、駄菓子屋かタバコ屋のようにも見えるのだが、若干日焼けした派手な色の軒差しをしてこう見えてもコンビニなのだと主張していた。
「あそこは絶対に寄らなきゃ。サンドイッチ作ってきたんだけど、お水は重いから入れてなくて、道中で買えるところちゃんと調べてあったんだから」
「先輩の手作り弁当マジ楽しみっすよ。ん…」
ここならプチ旅行気分でやってくる都民の目につくと踏んで店前には選挙ポスターが貼られており、その中で『繁華会』という見慣れたようで少し違う字面にふと目を奪われた。
実際に仁らはプチ旅行に違いないが、何かと競争しがちな都会の気配を感じさせられるのは一応でも遠出の気分が台無しである。
「繁華街、じゃなくてハンカカイか…語感悪いな」
「ハンゲカイだよ。エクスプランターを自然の反乱ではなく主の恵みとして謳いかけるぽっと出の新興宗教が、瞬く間に巨大化してものの半年でこうして議員候補を出馬させるまでになったんだって。これまでの政治の在り方じゃこのエクスプランター禍に対応した思い切りの良い政策を実施できない現状、そこそこ支持は強いみたい。このご時世に植物を愛で育てる奇人が多いって嫌われてもいるけどね…東京で花屋や農業をしていてエクスプランターで大打撃を受けた人たちの駆け込み寺にもなっているみたい」
反乱でも恵みでもなく、誰かさんの行き過ぎたお遊戯の結果でしかないという真相はとても言えず苦虫を噛んだ。
東京での農業は藍の影響力に大して成す術も無かったが、近隣では意外と無事だったりもする。
人が長い年月を掛けて他の生態に侵されない工夫を凝らしてきた歴史の成果といえよう。
かつては地方の農業離れが深刻視された時代もあったが、この一年では農業に就く人の割合が回復傾向にあるとか。
エクスプランターによる食糧危機が実しやかに囁かれ、いざという時のために自分たちで生産するノウハウを欲する人が増えたためだそうだ。
「へえ。近頃の世間の声とかはまあまあ気にしてたんすけど、政治までは疎かったな」
彼らのいうところの主とは、藍に他ならない。
もしもその存在を隠しきれなくなったときにはまさに自分たちのためのような駆け込み寺がこうしてあると知り、これは覚えておかねばとポスターから得られる情報は全て拾った。
といっても候補者の顔と名前と『自然と共存共栄の夢 今こそ再び』と掲げたスローガンぐらいだが。本拠地やサテライト、詳細な活動などは後で調べておく必要がある。
一人が通れる通路幅しかない窮屈なコンビニは買うものを買ったらさっさと出る事とし、また少し歩いてようやく目的地に着いた。
神奈川方面から流れてきて浅川へ合流する南浅川。
途中の細かく分かれた小沢の一つが抜群の透明度を持ち、エメラルドグリーンの水面が周囲の自然に溶け込む様を絶景とする。避暑地と名乗った片側はキャンプを趣味とする人たちに好都合な開けた石河原、森林に続く対岸はびっしりと苔生した小高い崖際で、一見穏やかに流れている川だがその向こうに人の手入れは許さないと厳しく暗喩する境界にもなっていた。
「わあお、これはこれはお見事ですわ」
感動のあまりお嬢様口調になる藤沢先輩を他所に、仁の視線は傍らの立札に向いていた。
『付近で確認された危険植物 絶対に触らないで』と赤い文字で不穏さを押し出した見出しに、幾つかの植物の写真、目を回して舌を出し、吹き出しに髑髏マークを描いて毒にやられた風の男の子を表現をしたイラストが要求する緊張感を欠いてくる注意書きだった。小難しさを希薄にして人目を引く効果はあるのかも知れない。
写真下部の説明書きは医者がその毒性を把握しやすいための名称が主で、観光客への入れ知恵になるような文章は一行未満の形状を表す特徴のみ。
これらを見たらとにかく近寄るなと言うわけだ。
「その悪名高さで皆さんご存じのトリカブトは葉っぱ一枚につき一人が確実にお陀仏っす。ギンピーギンピーは根から葉まで毒針がびっしりのマジで殺意がやべえやつ、ハシリドコロは普通の雑草にか見えないもんで度々のお騒がせ野郎っすね」
「ほおほお。なかなか頼もしいじゃん」
「そりゃあ、毒草については今日のために勉強してきたんで。先輩のおかげで見識が広がったところあるっすから、大いに頼って下さい」
「え…私、今日ここで毒盛られちゃうの?」
「いや、計画殺人のための勉強じゃなくてっすね…」
先輩を危険に晒さないよう知識をつけて良いところを見せたかったと言うには気恥ずかしく、おそらくそれを解かった上でからかっている藤沢先輩が意地悪すぎた。
キャンパーではない立ち寄り客のために誂えられた木造の東屋には他の観光客も居たが、写真撮影に夢中なようで席は空いておりそこで先輩のウィッカーを開いてお手製サンドイッチをご馳走になった。
レタス、赤キャベツ、薄切りトマト、卵フィリング、輪切り茹で卵、ロースハム、スパム肉、照り焼きチキン、スライスチーズ。
様々な具材が挟み込まれその割合がパンの倍以上になる、断面図を見ているだけでも面白さのある食べ応えも抜群の極厚サンドイッチだった。
人目のある手前、はい召し上がれ、うん美味いといった取り留めのないやりとりになってしまいはしたものの、憧れの人の手料理を頂けて幸福感に満ちた気持ちは場の雰囲気に精一杯滲ませた。
しきりに嬉しそうに微笑みかけてくれる先輩の様子を見て、こちらの思いはきっと伝わったものと喜ぶ事にした。
「胃が休まった後でいいから、私たちも写真取ろうね。もちろんツーショットでだよ。そのためにリモコンとスマホの固定台持ってきてるんだから」
食後の缶コーヒーで一息してるところに先輩が提案してきた。
「写真に写るのは好きじゃないけど、今日ばかりはご馳走になったお礼っす。思い出づくりに沢山撮りましょう。さっきのサンドイッチも撮れば良かったな」
「あっ、森山君が食べてくれてるところをこっそり撮りたかったのについ出来なかったや」
「俺が飯食ってる写真じゃ、せっかくの見栄えサンドが台無しっすよ」
「へえ、そんなこと言っちゃいますか。それを密かな楽しみにして作った私の気持ちが報われないなぁ。まあ撮り逃しちゃったのだけど」
どこまで本気で言ってるのかもわからず、所詮忘れる程度と茶化す事も出来なかった。