■1 侵略者
日本一標高の高い活火山、富士山。
その雄大な姿に魅せられ年間20万人におよぶ数の登山客が足を運ぶその場所は元より日本国民の心を表す名所として愛され、昨今ではSNSの発展による後押しも受け、
今日も今日とて尽きる事のない話題を発信し続けている。
やれ水鏡に映る逆さ富士だ、やれダイヤモンド富士だと息を飲むような絶景が持て囃される中で今、撮影環境もにわかの観光客の手による粗悪な草花の画像が反響を呼んでいる。
冠雪と岩肌が露出する境目、およそ標高2000mになるその場所に群生する石楠花の写真だった。
写りが悪いので種類の特定は困難だが、少なくとも一種類の石楠花ではないことは素人目にもわかるだろう。
何故それが話題なのか。
答えは簡単で、もともと富士周辺自生する種はハクサンシャクナゲの一種のみであるからだ。
「鳥が好んで餌にするような子実ではなく、シラホシムグラ…俗に言うくっつき虫のように動物の体表に種子を運ばせて生息域を拡げるものでもない。やはり誰かが悪戯で石楠花の種子をばら撒いた、と考えるのが妥当でしょうかね」
「もしこれが何者かの故意によるものだとしたらどのような罪に問われるのでしょう」
「まずは不法投棄に問われます。そこから更に文化財保護法違反も絡んでくる可能性があります」
植物の専門家を名乗る大学教授、タレント色の強い有名な弁護士、当ニュースの看板アナウンサーがテレビの奥で交わしているやりとりを寝ぼけ頭で聞いていた。
「小林アナ可愛いなぁ」
聞く者が居たなら間抜けな感想と謗られそうな一言を零し、テレビを眺めながらコーヒーを啜る。
なんだかコーヒーの味がいつもと違く、普段の数段美味い気がする。
「ほお、どの辺が好みなのか、我に聞かせてみよ」
まだ寝ぼけ気味だったところから一気に目が覚め、機械のようにぎこちなく後ろを振り返り背後の影を見た。
そうだった。
普段は居るべくもないが、今日に限っては聞く者が居たのだ。
「艶々の黒髪で派手さはないけど肌が白くてクラスに一人はいる清楚系って感じの雰囲気かな。すれ違ったらいい匂いとかしそう」
「聞いたのは我だが、それ以上は言うな。素でキモい」
全く容赦ないが、自分で言っていてもキモいかなと思ったので何も言い返せなかった。
俺に暴言を吐いたその娘はテレビ画面に前のめりになって訝しげに小林アナの顔を凝視した。
肌の白さなら張り合うところだが、顔の造りの端正さと装いの派手さは断然この娘が上だ。
揺れるようにカールしたコバルトグリーンの髪だけで目立ちすぎるし、おまけに瞳も緑色。
ブラウンのワンピースに関してはシック調で割と好みだが、フリルだらけの長手袋に彩り豊かな小花をあしらった茨のブレスレットは男心に刺さらない。
あと香水もしているのかやたらフローラルな匂いが漂ってくるが、これも何がいいのかわからない。
ほのかに香るシャンプーこそ至高であるとは俺個人の考えだが。
そこかしこから柔軟剤の匂いを発する混雑時のコインランドリーのように思ってしまう。
さてはどこぞの異国のお嬢様ですかと問いたくなる見た目をした娘だが、こうみえても日本生まれだ。
ついでに言えばド田舎生まれの俺の同郷だったりする。
年齢は19になる俺の1つ下だ。
名は水藻藍。
幼馴染のランちゃん、というほどの仲ではないが共通の友人を交えて一緒に遊んだ事が数回あるのはうっすら覚えている。
昔からこんな見た目をしていたわけではなく、前は日本人らしい黒髪黒目の地味な子だった。
昨日の事、里帰りをする機会があって偶然にも再会した。
と言ってもこの変わりようであるから最初は誰かわからなかったし、聞いてこれがあのランちゃんかと散々驚かされたものだ。
そして何故か俺に付いて来て、今日の東京に居る。
それこそ、そう。
ついさっきどこかで聞いた。
シラホシムグラ…俗に言うくっつき虫のようにだ。
着のみ着儘で付いて来て親には何というのか、
今は夏季休暇の時期だが今後学校はどうするのか、
俺は学業がてらのバイトの稼ぎと多少の仕送りで暮らしていて一人でもカツカツの生活状況であるからしてまともに他人の面倒など見られない。
そんな話は昨日のうちにみっちりし尽くしたが、
大丈夫だと軽く済まされた。
一体何が大丈夫なのかと問答してる間に疲れて眠りこけた。
そして今朝は現実逃避のようにこれまでと変わらぬ日常を演じてみたのだったが。
何も解決していない昨日の悩みが今になってぶり返してくる。
この部屋だって仁本人のみが居住するという契約条件で借りている。大家に追及されるようなことになれば追い出されてしまうかもしれない。
そこの住人でない人物がやたら頻繁に出入りするなど、どこのマンションでもある話と言えばそうだが。
一応少女の保護者の方には一報を入れてはいる。
言い出したら聞かないので帰りたくなるまで世話してくれと投げた返事だった。
こんがらがった頭を整理するためにコーヒーをもう一口啜った。
「ああ、まじで美味めぇなこのコーヒー」
「そうであろう。都会の小洒落たカフェに憧れて研究し尽くした結果、もはやインスタントコーヒーでさえほんの一手間でこの仕上がりだ。設備が整ったら今度はドリップを淹れてやろう」
都会に憧れてのその喋り方は何か違うけども確かにコーヒーはインスタントと思えないほど絶品だった。
田舎の出だからといって気後れしてはならぬが故に常に気高さをどうのこうのと言っていた。
昨日の事は色々あり過ぎては覚えが悪いのだ。
「都会に憧れんのは良いけど、俺ん家じゃカラコンぐらい外せよ。目ぇ悪くすんぞ」
「………」
「ってか俺マジ疲れ来すぎてベッドに倒れ込むなり寝ちまったけんど、ランはあの狭い部屋のどこで寝たんだよ」
部屋は1DK。
テレビを他所に会話をするこのダイニングキッチンはフローリング張りでさぞ寝心地の悪い事だろう。
部屋の方は絨毯床になっているので冷たくはないだろうが、里帰りの荷物が散乱したままだ。
「………」
藍は無言で派手なブレスレットを飾った手を持ち上げ、ベッドサイドとローテーブルの間を指差した。
「マジかよ、寝起きざまにうっかり踏み付けかねないあんな場所で」
「そう思って先に起きてコーヒー淹れといた」
「トイレに起きなくて良かったぜ」
「押しかけている身ゆえ、踏まれたとしても文句は言えぬな。だからと言って故意に足蹴にするでないぞ」
殺すぞ、と語るように緑色の瞳で睨まれた。
人前ではおどおどとして大人しかったランちゃんももうそんなお年頃なのだ。
「今日は俺バイトの時間まで勉強するけど、ランは?」
「買い物せねばなるまい。寝具一式はネットショッピングで購入しおいたものの、ドライヤーすらないとは思わなんだ。近くの薬局にあろうかの」
「タオルでガシガシ拭いて自然乾燥、とはいかないんだもんなぁ…」
女は大変だなと関心しつつ、本気で住み着くつもりのようで辟易もした。
もう勝手にしてくれ、などと言ってしまえばきっと本当に勝手放題にされてしまうので言えないが、そう言って投げ出したい気分だった。