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【完結】序芝居  作者: のぼぼん(º∀º)
【転】〜カインとアベル〜
94/160

31話『悲劇の裏側』★


 朝の日差しが窓から差し込む。窓の外側からは小鳥達の鳴き声が聴こえてくる。



 少年はそこにいた。少年は休養用の寝床に、黙って腰掛けていた。そこで彼は、母が語る空白の時間に起こっていた出来事、その一部始終を聞かされている。


 その間、少年は両手を膝の上で握りしめ、必死に溢れそうな"何か"を耐えていた。



 その瞳に浮かぶのは──、










 







 

「親父が、オレたちを助けた...?」


「ええ。お父さんはね、あなたたちを逃すために一人で熊とずっと戦ったのよ」



 カインが気絶した後の顛末(てんまつ)を淡々と語ってくれたエバ。絶体絶命の時に運良く助けが入るご都合展開──そこまでの状況はまだ理解できる。しかし、理解できないのはこの後だ。




「それでアベルはケレンと一緒にあなたを家まで連れて帰って、そのあとすぐにお父さんを助けに行ったの」


「は?なんであいつが......、そんな必要どこにある。すべて親父一人に任せればいいじゃないか。アイツが後から増援に駆けつけても、結局は足手纏いになるだけだろ」




 せっかく命拾いしたというのに、またのこのこと自分からまた修羅場に足を踏み込むアベルに、苛立ちからカインは眉に皺を寄せた。




「実はね、カイン。初めはお父さんも熊を相手に善戦してたのだけど、ちょっとした事情があってね。トドメを刺す時に思わず手加減をしてしまって、それで熊から重い一撃を受けてしまったの」


「親父が、手加減...?」



 飛び出した単語の違和感に左目を細めて、カインは単語を口の中で転がしながら思案。


 猛獣の王者とも言えるあの熊を相手に?


 あの狩猟の熟練者に「手加減」なんて半端な言葉は、父のアダムの腕に全幅の信用を置くカインには違和感を覚えさせた。



「負傷した身であなたたちを庇いながら闘うのはどれだけ厳しいことはかわかるでしょう?だからあなたたちを逃がすために時間稼ぎしていたのよ。最悪自分の命を犠牲する覚悟でもね」




 エバはそこで一旦言葉を切ると、いつもと変わらぬ温厚で丁寧な響きにごく微量の緊張を混ぜた声音で続ける。




「厳密に言うと、罪悪感からの情け、といったかしらね。あの人らしいと言えば、らしいけど」


「一体なんのことだ」





 ますます状況が読めないカインはそこで鼻先をエバに向けた。その詳細を促す視線に気づいたエバは、調子を変えずに言葉を継いだ。




「・・・五年前、お父さんが熊を狩って来たの、覚えているかしら?」


「ああ、珍しく鹿とかウサギではなくて、猛獣の肉がその日の夕飯のメニューになってたし、それにその日なんでか知らんが親父も相当落ち込んでてうざったいから、なかなか忘れられねーよ。だがそれがどうした。今回の事となんの関係があるんだ?」


「子どもだったのよ」


「子......、」


「今回あなたたちを襲った熊はね、五年前お父さんが()()()()()()()()()()()()だったのよ」


「!」



 五年前、アダムは森の中でいきなり熊に襲われ、返り討ちした。


 そして熊を家まで運ぼうと、担ぎ上げた間際、目端で捉えた。捉えてしまった。


 こちらに走り寄ってくる、赤子の熊を。


 おそらく今まで草木の影に隠れていて、母熊の最後を間近で見ていたのだろう。


 人間と違って、動物には基本表情というものはない。

 だが、楽園で暮らしていたアダムにはその子熊が泣いているのがよくわかった。


 肉親を仕留められた子熊は人間への強い敵対心が芽生えるため、本来はその場で始末するべきだ。


 だが、楽園の頃から動物をひどく愛するアダムにはそれだけはどうしてもできなかった。


 だから───、




「それで見逃した、と」




 状況を飲み込むように独り言ちるカインに、エバは静かに頷き同調する。その様子を見届けてカインは「なるほど」と腑に落ちた。

 あの熊の異様な憎悪と悪意。人間による正当防衛とはいえ、すべては肉親を殺した人間への復讐心からきたものだったのだ。




「アイツはこの事を...」


「アベルには言ってはいないわ」


「フン。その方がいいだろうな」


「ふふ。心配しているのね」


「あ?」


「ほら、ただでさえアベルは多感で殺生を好まない子でしょう?あの熊の事情を知ってしまうと、きっとあの子はそれすらも背負って余計に自分を責めてしまうでしょうから」


「......別に。そんなつもりじゃない。あいつがどう感じようが、オレには関係ないし、気にもしていねぇよ」




 どうでもよさそうに言って、カインは顔を背けた。


 それは嘘だな、とエバは漠然と思った。カインは口では無関心を装うけれど、実のところ他人の機微に敏感だ。相手が何を考えているのかは分からずとも、傷ついたり喜んだりの感情の波には気づく。でも本人は、本当は気づきたくないのかもしれなかった。だから、()()()()()()()をする。


 しかし、エバは今更それに言及するつもりはなかった。こればかりはカイン本人の問題だから。いくら母親といえども、気安く踏み込んでいい領域ではないと弁えているつもりだった。


 だから、話の続きを少し変えることにした。




「私が思うに、お父さん(あの人)多分最後まで非情になれなかったんじゃないかしら」


「......親父が、か?」


「ええ」


 いくら熊が最強の猛獣だからといっても、アダムがもし本気で立ち向かえば、あんな目も当てられないほどの瀕死の重傷までには及ばなかったはずだ。




「母熊を殺してしまった罪悪感と、罪滅ぼしでその子熊を見逃してた結果あなたたちに恐ろしい目に遭わせた。そして挙げ句の果てに、息子(アベル)にかつての子熊を殺させなきゃならない状況を作った自分に責任を感じているのでしょうね」


「別に......この世界は弱肉強食なんだろ。負けた側が狩られる。その結果に罪悪感なんていらないじゃねーの」


「ふふ、あの人もカインみたいに割り切れたら少しは生きやすいのかもね」



 一見冷たく聞こえるカインの言葉も、この世界の真理でもあるのだ。


 人も動物も一つきりの命。


 望まれようと望まれないと生まれてくるのが、命。望もうと望むまいと奪われるのもまた、命。たとえそれが理不尽であろうと、弱き者は奪う側の理屈に従うよりないのである。




「誰も、悪くないのよね」




 ──すべては生き残るためだったのだ。人間も。熊も。




「それでね、話にはまだ続きがあるのよ。結局熊に非情になれなかったお父さんがやられる一歩手前に、アベルが助けに間に合ったのよ。それで最後はあの子が熊を退治したわけなの」


「あいつ、が」




 そんなの信じられない。驚きに染まるカインの顔はそう訴えている。




「信じがたいわよね。ケレンがお父さんとアベルを背負って帰って来てくれた時は目を疑ったわ。信じてよかったって心から神に感謝したもの」


「あいつはどうやって...」


「アベルが言うのは、カリスマのおかげらしいけれど」


「バカな...!そもそもあいつのカリスマ能力は別に攻撃属性ではなかったはず!」



 そんな遊牧生活においての畜産でしか役に立てないアベルのカリスマ能力──《神の遊牧(ノマディス)》。

 操れる動物だって家畜にできる動物限定なのだ。それで熊を倒せたなどと荒唐無稽(こうとうむけい)もいいところ。



「あいつのカリスマでどうやって熊を倒せたというのだ!」



 素直にカインが疑問をぶつければ、僅かな間を置いてエバから返事が返ってくる。




「アベルはあなたに感謝していたわ」


「は?」


「兄さんの、......あなたのおかげでカリスマの昇華をできたって。それで家畜のケレンを熊の立ち向かえるほどの進化を成し遂げたのよ」


「あいつが、そんなことを......」


「ふふっ、何か助言でもしてあげてたの?」





 ─── 助言。


 一瞬、ふいに脳裏を過ぎるなんとなく心当たりがあった。


 



「......いや。そんな大それたことじゃない。オレは、何もしてない」




 驚嘆からすぐに無関心へと満ちた眼差しを向けるカインに、エバは困ったように目尻を下げながら微笑む。




「たとえあなたがそう思ってもよ。最後熊に立ち向かうことができたのは、あなたの助言があったからだとあの子は喜んでたわね」



 エバの言葉に、カインの顔には驚嘆(きょうたん)狼狽(ろうばい)を混沌とさせた複雑な色が滲む。



(あいつ......あんなに否定的だったくせに)



 けれど、それもほんの一瞬のことで、すぐに表情を消して無愛想な声音を寄越した。



「それでも、自分のカリスマの性質をよく考えて、知恵を振り絞って行動起こしたのはあいつだ。オレは、関係ない」




 家畜の山羊にだって、土壇場でその気になれば相手を突き殺せる立派な角を持っていたりもする。


神の遊牧(ノマディス)》で身体能力を凄まじい強化を遂げたケレン。それの絶え間ない攻撃が功を奏して形勢が逆転した。


 それができたのは、カインの入れ知恵をアベルが柔軟に時機へ生かしたからだ。




「あいつは、......元からやればちゃんとできる、やつだから」




 だから、兄のことは手放しで賞賛するくせに、自分のことは卑屈なアベルにムカついていた。

 やればできるはずなのに、初めから自分にできるわけがないと決めつけるアベルを軽蔑していた。



「うふふ。本当はちゃんとあの子のこと、認めているのね」


「なぜそうなる」


「だって、現にカインがあの子にそういう感情を抱くことが、それの証明になるのだもの。ある意味それもまた、一つの愛の形ね」


「“アイ”?」


「──あなたが“やさしい”ってのとよ」





 ──一瞬、なにを言われたのかわからなくてカインの中の時間が止まった。


 時間が動き出すまでにおそらく数秒。しかし、動き出してからもカインは今の言葉の意味がイマイチ飲み込めない。母は今、なにを言ったのか。




 ───ヤサシイ。




 まるで自分には全く無縁な評価が耳に入れた瞬間、カインの脳天から雷に打たれたような訳のわからない衝撃が走った。


 身体中の毛穴が開いたようば焼けつく感覚が全身を支配した。その瞳を揺蕩う感情は、今は呑み込まれそうなほどに混迷を極めている。



「なに、言ってんだよ......、」


「カイン?」




 唖然としてエバを見上げているうちに、じわじわと言いしれぬ激情がカインの頭を侵食していった。




「ふざ、けるな・・・・・・ッ!」




 その感情を掬い取られることを嫌うように、視線をそらすカインはエバに見えないように歯を軋ませた。



「母さんは...!オレのこと、......なんにもわかっていない!!」



 歯を食い縛るカインの怨念じみた声が漏れる。



「──このオレが、やさしいわけねぇだろうがァッッ!!!」



 やがて、感情が爆発する。


挿絵(By みてみん)


「オレは!!ずっと!たくさん傷つけてきた!あいつも!母さんも!家族全員!勝手なことしただろう?困らせること、しただろう?無駄に心配かけさせただろう!?そういうこと数えるのもバカらしいぐらいのことしただろ!?そんなことされたら、失望したくなるだろう?もういらないって、見限りたくなるだろう!?」





 一度枷が外れたら、溢れる激情はただ口から漏れるだけで、止まることなんて知らない。




「カイ、」


「アイツだけじゃねぇ!!父さんや母さんだって!家族の全員!本当はオレのことどうしようもないやつだって思ってるだろ!」





 静かに呼びかけるエバの声を遮り、カインは早口に怒涛(どとう)な感情を(まく)し立てる。自分の傍若無人(ぼうじゃくむじん)さを主張し、糾弾させようとカインはエバに迫る。




「オレがっ、心の奥で本当は何を考えていたのか、何もわかっていないくせに!どの口でこんなオレをやさしいと言えるんだ!ふざけるのも、大概にしろよ!?」





 カインの鬼気迫る態度に気圧されることなく、泰然(たいぜん)とした態度でエバはただ慈しむ目で見つめるだけ。





「“何もわからないくせに”、ねぇ。親が自分の子どもにその言葉を向けられるのって結構堪えるわね。でも、その言葉を吐くあなたの方がずっと傷ついているように見えるわ」


「オレが傷つく!?意味わかんねーよ」


「ほら、そうやって自分を追い詰めて、余裕をなくして、逃げ場をなくそうとするのが証拠よ」


「──は」





 不可解そうにするカインに、珍しくエバはどこか躊躇いを含んだ様子で穏やかな沈黙を十秒ほど続けると、迷いを振り払うように唇を割った。



「確かに、親の私でも、あなたのすべては分からないわ。でもね、わかることもあるのよ」


「何を、」



 そこでエバは僅かな間を挟んで「ねぇ、カイン」と呟いた。




「あなたって、人からの“愛”が怖いのでしょう」





 その瞬間、朝の音が消えたような気がした。

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