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【完結】序芝居  作者: のぼぼん(º∀º)
【転】〜カインとアベル〜
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27話『残される君。先に行く君』★


どうしようもない運命に対して、ほんの些細な引っかき傷を与えるのが限度。




「ぼくが!お父さんを助けに行く!」




 たとえその限度がほんの少しでもいい、状況が好転して、家族の明るい未来が見えてくるのなら、そのぐらいのことは、果たすべきだ。











 

 









「アベル...あなた...」


「止めても無駄だよ。もう決心したんだから」




 アベルの力強い言葉に、エバは一瞬言葉を失う。




「ぼくのせいで、兄さんが怪我をして、助けに来てくれたお父さんも死んじゃうかもしれない......」




 アベルはすぐにその表情を悲嘆から決意に切り替えると、己の使命を思い出したように素早く踵を返した。




「──だからぼくがお父さんを助けに行くのは当然でしょう!」


「ッ、待ちなさいっ!アベル!」



 制止するすべてを振り払うようにアベルが駆け出し始めようとしたところ、



「!」



 その正面に両手を広げて飛び出し、アベルの行く手を遮るアズラ。


 少女はアベルにキッと鋭い目を向け、


挿絵(By みてみん)


「行かないで!アベルお兄ちゃん!」


「アズラ...ごめん。ぼく、今すごく急いでるんだ。そこを、退いてくれないかな?」


「いやだ!」


「時間がないんだ。突然帰って来て、混乱させて本当に悪いと思ってる。本当に、本当にだよ。心からアズラに悪いと思ってる。でも、ボクは行かなくちゃいけないんだ」



 

 そこには強い覚悟があった。説得の余地などないことはわかっていた。

 それでも、アズラは諦めたくなかった。記憶をひっくり返して、必死で言葉をかき集める。




「悪いと思っているなら!行かないでよ!」


「ごめんね……そのお願いは聞けないんだ」


「ッ、カインお兄ちゃんとまだ仲直りできてないんでしょう!?このまま行っちゃうと死んじゃうかもしれない!そうなっちゃったら一生仲直りできないままだよ!アベルお兄ちゃんはそれでいいの!?」

 

 


 意固地に繰り返すアベルに、ついにアズラの焦燥と不安は爆発して、発露(はつろ)が涙線につながった。父を助けに行こうとするアベルの腕に取り縋って、一層強く訴える。

 



「ぼくにはもう、そんな資格ないから...」


「え?」




 どこか吹っ切れた様子で、淡い笑みすら含ませながら、アベルはゆっくりと言葉を紡いでいく。




「......お父さんがいなくなった家族で、ぼくもカイン兄さんもきっと笑えないと思うから。それは、アズラにだってわかっていることでしょう?」


「・・・ッ、とにかく!!アズラはいやだからねっ!!」




 アズラはその瞳に大粒の涙をたたえていた。

 置き去りにされることよりもなによりも、彼女が恐れていることは、




「だって、行かせたらお父さんの次は、今度はアベルお兄ちゃんが帰ってこないかもしれないじゃん......!」


「そうだね...そうなるの、かもしれないね」


「だったらっ!!」




 震える瞳がアベルを見上げ、熱を持った頬が赤く染まる。そんなアズラにアベルは笑顔を向けて、




「でもお父さんと一緒に、ちゃんとアズラたちの元へ帰ってこれるかもしれない。その可能性だってないわけじゃないでしょう?」


「!」


「アズラ、ぼくを信じて欲しい。ぼくは必ず帰ってくる。そう信じて、待っててくれないかな?」




 アズラが茫然とアベルから手を離すと、顔をあげて彼を見上げた。その目は変わらず泣いている。





「そんな言い方...ずるいよ......」


「そうだね......でも、ぼくたち家族はきっと誰一人欠けちゃ、いけないと、思う」




 アベルの表情は変わらなかった。だが、その呟きには確かな憂慮の響きがあった。

 それを受けもなお、アズラは小さく首を横に振る、



「そうだけどッ」

「アベルお兄さまの言う通りよ。アズラ」




 なんとかアズラを説得しようとするアベルより先に、そうしてアズラを(たしな)める声の方が早い。その声を発したのは誰であろう、状況の推移を見守って成り行きを眺めていたアワンだ。




「あ、アワンお姉ちゃんまでっ!」


「大切な人がいなくなるかもしれない。その不安と恐怖がどれだけのものか、そんなアズラの気持ちはとてもよくわかるわ」




 縋るようなアズラを見つめたまま、アワンは瞑目してそう呟く。そして、顔をわずかに上に傾け、



 

「でもね、それは、アズラ、あなただけではないのよ」


「!」




 アズラに悲しげな微笑を向けたまま、それでも毅然とした瞳でこちらを射抜いていた。その意気に圧倒されるアズラにアワンは続ける。




「家族の誰かがいなくなってほしくない。でもそれは、ここにいるみんな同じ気持ちなのよ」




 それはアズラだけではなく、アワン自身にも言い聞かせているような口振りだった。アワンは強く握りしめていた拳を解きながら、声の調子を変えることなく続ける。



「そしてお父さまの安否が不明な現状で、そんな不安と恐怖の気持ちが今一番強いのは、お母さまなんですよ」




 アズラはハッとして、母を見た。


 目を伏せたエバは判断に迷っている。戸惑っている。いくら気丈に振る舞おうと、やはりどこか弱々しい───力足らずを嘆く姿だ。


 アワンは続ける。




「危険だと分かっていてもアベルお兄さまがお父さまを助けに行こうとするのは、きっと、今アベルお兄さまを止めようとするアズラと同じ理由のはずよ」


「うぅう...う...、アベ、ル、......お兄ちゃ、」




 込み上げてくるものが堪え切れなくなったように、アベルを呼ぼうとしたアズラの言葉が途中で途切れる。


 それから彼女は何度かその衝動を呑み込もうと苦心し幾度も息を呑んだあと、抑えられなかった溢れるものを瞳の端からぽろぽろこぼし、アズラはエバに向き直った、



「ご、ごめんなさい、お母さん...!アズラは別に、お父さんのことがどうでもいいとかじゃなくて、ただアベルお兄ちゃんのことがっ」


「謝ることはないのよ、アズラ。ええ。言わなくてもお母さんはちゃんと分かっているわ。大丈夫だから」




 桃色の唇が微笑を描き、細められた目が優しげに弧を線引く。

 


「あなたも大切なものを守りたくて必死なのよね。その気持ちはここにいる誰も否定しようとなんて思っていないわ」




 エバの響いた声の甘やかさは脳を蕩けさせるような慈愛に満ちていて、




「それに、さっきはアズラが止めなくても、お母さんがアベルを止めていたわ。お母さんも本当はアベルには行ってほしくないもの」


「お母さん......、」




 断言すると、アベルはぱっと顔を上げた。

 俯く前と同じ、申し訳なさそうな表情だ。



「でも、さっきのアベルの気持ちを聞いて思い知ったわ。お母さんが止めたって、アベルの気持ちは変わらないでしょう?」


「うん......。ここにいる家族みんなに心配を掛けているのは知ってる」




 でも、と言葉を継ぎ、アベルは誰に聞かせるでもなく、自分自身に聞かせるように、




「今行かないと、ぼくは──この先一生、後悔すると思うから」


「だそうよ。アズラ。こういう時のアベルって結構頑固なのよ?だから私たちは家でカインの怪我を治療して、一緒に神にお祈りしましょう。家族の三人の無事を願って」




 その甲斐甲斐しい母親の態度と言葉にアズラはほんのわずかだけ押し黙った。それからアベルに向き直り、唇を震わせながら迷いを振り切るように、




「......必ず、帰って来てね。アベルお兄ちゃん」





 ──好きな人を信じることを、選んだ。



 そんなアズラの思いが、アベルの迷いを唐突に、文字通り瞬きの間に晴れさせたのだ。アベルからすれば、青天の霹靂もいいところだろう。


 アベルはは状況に似合わない小さな笑みを浮かべながら、また前を向いていた。


 


「ごめん......アズラ。お母さん。そして、アワンも。ぼくが弱いから...、臆病だったから、こんなことに....。だから、もう遅いかもしれないけど」




 次にアズラの目が捉えるのは、アベルの背中だけになった。



 




 

「今度はぼくが、動くから」




 これほど頼もしいアベルの背中を見るのは、初めてだっただろうか。

 そんなふうに思ってしまうほど、アベルは明らかに何かが変わったのだと、アズラは今、思い知っていた。



「......いってらっしゃい」



 その言葉と同時に、アベルは大きく駆け出した。


 迷いの晴れた眼差しは目的を見据え、踏みしめる地を蹴る足は力強いのに、驚くほど軽い。いや、足だけではない、身体そのものが重力を忘れたかのように軽い。

 これから修羅場へ飛び込むアベルに「勇気」を与えた家族を振り返る。




「絶対に。絶対に!お父さんと無事に、帰ってくるから!約束する!」




 その場に響くアベルの声は、今までのどれよりも凛としていた。


 


「──行ってきます!」




 一瞬で、アベルはケレンに跨って、その場から立ち去っていく。


 後に残ったのは風。

 柔らかく、温かい、風。

 それが、尚更アズラの心に曇り空をかける。




「アベルお兄ちゃん......」




 呟いたアズラの声は、風に消えた。

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