9話『御前の七大天使』★
「──ミカエル副司令?」
その優しい呼びかけに、ミカエルは夢から覚めたように目を開いた。
気がつけば目の前の背景が変わった。
──いや、違う。
過去の記憶の淵に沈んでいたミカエルが、心配そうに覗き込む“影”によって現実という現在へと一気に引き上げられたのだ。
ここがどこなのか、一瞬、記憶を巡らせる。
そうだ。今は、
──七大天使の議会の真っ最中なのだった。
◇◇◇◇◇◇◇
天界の最上にある「天神殿」──神が住まう大神殿を隠し守るように「外殿」が取り囲っている。
外殿は、天界の枢軸が連なる結集であった。
間接的に神を御降臨させる【拝謁の間】。
上級天使たちが執務に取組む【書斎の間】。
あらゆる知識や情報が収められる【知の間】。
セフィロトの樹が立つ【生誕の間】。
そして、
天界に於ける政策や法案などを審議する最高機関──統御天議会が活動する【審理の間】。
多くの尖塔が印象的な白い外観には、所々に繊細な彫刻が施されている。数々の青銅製の扉は外部からの侵入を固く閉ざし、また神の御言葉の漏洩防止による対策が講じられている。
その内部の天井もアーチ状で、それを支える柱も左右対称に配置され、その精緻な構造はその空間に荘厳さを引き立てる。何より、入る際に目に飛び込む中央の巨大なステンドグラスは天界一と言われる美しさだ。
その【審理の間】に集うのは、統御天議会の七人の議員──【御前の七大天使】。通称「セブンズ」。
さまざまな階級天使たちの中から優秀な人材を厳重選抜した結果、神の御前に立つ事を許され──七大元素の祝福に選ばれし有力な七人の天使。
全てにおいて先駆的な立場にある彼らは楕円型の円卓にはそれぞれの定位置に着き、定期的に議会を始めている。
「失礼しました。ミカエル副司令官。先程から私が呼び掛けても応答がなくて......大丈夫ですか?」
ミカエルを覗き込む影の正体はガブリエルだった。七大元素では【水】を司る女性型の熾天使。
【神の人】の名を持つ彼女は「神の御言葉をすべてに伝達する天使」といわれているため、戦線では主に機密作戦や情報の「伝令」の役割を担う。
優美で華奢な印象を与える女天使だが、その見た目とは裏腹にルシフェルとミカエルの次席、実質的に天界のNo.3と評される実力を持っている。
そんなガブリエルは今まさに心配そうにミカエルを覗き込んでいた。どうやら集会中のミカエルはずっと上の空だったようだ。
「......ああ、いや。問題ない。余計な心配をさせてしまってすまない。ガブリエル」
ミカエルは内心自分を強く叱咤した。
先日ルシフェルとの一件があれからミカエルの心をじわじわと蝕んでいた。心の重圧のせいでまともに一睡もできず、ミカエルは心ここにあらずといった状態でいることが多い。
挙げ句の果てに本日の議会の真っ最中に意識が乖離してしまった──だからといって、ミカエルにはそれを言い訳にする気はなかった。
「いえ。どうかお気になさらず。ただどこかご加減よろしくないかと心配になりまして。ですが、何事もないのなら何よりです」
【水】を司る七大天使と言われるだけある。微笑みを含ませたガブリエルの透き通った声は、まるですべてを包み込む水のようにミカエルの不安に苛まれる心を鎮めた。
ミカエルはそんな同志である彼女の柔和な人品に内心密かに感謝した。
「珍しいですね。ミカエル副司令が議会中に考え事だなんて」
そこで言葉を投げてきたのはウリエルだった。
熾天使ウリエル──【神の炎】という名の意味通り、【火】を司る。
ウリエルの炎は通常神と天界に仇なす不忠な罪人や不届き者を火炙りにして責め立てるものに使われることが多いが、戦闘にも長けその炎を駆使して、戦線では「特攻」の役割を担う。ウリエルの好戦的な性質と荒ぶる高い攻撃性は戦勝の功績に貢献している。
そんなウリエルから容易に予想がつく──天使の中でも厳格さにかけては飛び抜けて厳しい性格の持ち主である。甘さのある者には容赦がなく、風紀や秩序を乱す行為を特に嫌う。
当然大事な議会中に惚けるなどといった行為は本来の彼であれば見逃すはずもなく折檻ものなのだが、そこはミカエルが彼の上司であることもそうだが、なによりウリエルが唯一尊敬する対象だからでだろう、いつもの融通の効かないほどの厳格さは影を潜め、雰囲気からは分かりづらくあるが同じく心配する様子が窺える。
「まぁまぁ、副司令だってお悩みたくさん抱えてるんだから、真剣な議会の最中といっても、考え事くらいするものじゃない?」
茶々を入れるように割り込んで来るのは、大天使ラミエル──同じく【神の雷霆】というその名の意味にふさわしく、七大元素では【雷】を司る。
常に余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)、飄々として捉え所ないが、明るく人当たりは良い。また意外にも頭脳派で、非常に優れた戦略家である。非常事態に遭遇しても慌てふためく事は少ない頼り甲斐がある一面が強いため、戦線では「参謀」という役割を任されている。
「──なんて〜♪実は居眠りしてたりして?」
「黙れぃッ!!いい加減なことを言うな!」
相手を気楽にさせるようなラミエルの持ち前の明るさは他の天使たちの間では万人受けするのだが、そんな参謀らしからぬ楽観的な性格は、自他ともに厳しいウリエルとは当然反りが合わず、日頃の衝突は珍しくない。──厳密に言えばほぼウリエルが一方的にラミエルに突っ掛かっているだけだが。とにかく二人の相性は最悪だった。
そして、乱入してきたラミエルの揶揄いの言葉を、案の定ウリエルは容赦無く切り捨てた。気軽といえば気軽、軽薄といえば軽薄なラミエルの態度が堅物なウリエルの神経を逆撫でするには充分だった。
「おっとと、急に怒鳴るなんてひどぉーい!さすがの僕も傷ついちゃうな〜」
「思ってもないことを吐くな。鬱陶しい!だいたい品行方正なるミカエル副司令が評議中に居眠りなんざする訳なかろう!」
「う〜んっ!それはどうかな〜?副司令だってこーんな堅苦しいつまんない議会なんて早く終わらせたい一心で寝オチしちゃったカモよ?」
「テメェと一緒にすんじゃねぇッ」
「失礼ですがお二人方、ただいま議会中ですよ?私語は謹んで──」
白熱する二人の舌戦を見かねたガブリエルが制止に入ろうした時に、ミカエルは席から立ち上がった。
「ああ。君たちの言う通りだ。私としたことが、議会中に少し居眠りしてしまった。言語道断だな」
思いもよらずに投下されたミカエルの爆弾発言に、その場の天使の大半が面を食らった様子を見せる。ウリエルとラミエルも思わず目を白黒させて、双方とも同時にピタリッと動きを停止したままミカエルを凝視する。
そんな反応を受けた当の本人は至って真面目で深く自省しては頷き、
「今後同じ過ちがないよう重々肝に銘じておくとするよ。──神に誓ってな」
「ミ、ミカエル副司令......!まさか、先程から反応がされないのは本当に居眠りだったのですか......」
「う、うわ〜、冗談のつもりだったけど、マジ?それも馬鹿正直に白状するとか......あ!いやね〜、まぁ変に誠実なところが副司令らしくて僕は好ましく思うけどさぁ〜いやぁ、いくらなんでも素直すぎるっしょ」
「ああ。議会を中断させてしまって本当に申し訳なかった。心からを詫び申し上げる。──それとラミエルの発言についてだが、一つ訂正させてほしい」
最後まで律儀に深く謝罪をしたミカエルは、ふと、ラミエルに視線を向ける。やばい、さすがに怒られるか、と不意に話を振られた彼が思わず身構えるも──
「私はこれまで議会を一度も退屈などと思ったことはない。寝オチしたのはあくまで私の睡眠管理を怠ったせいだ」
「あ、さいですか」
「まぁ、徹夜もいいですが......とにかくちゃんと休養してくださいよ、副司令」
爆弾発言の次にまさかの天然発言をかますミカエルに、もはや毒気を抜かれたラミエルと、労りの言葉を掛けつつもどこか複雑なウリエルはそのままそれぞれの座席に着いた。すると、
「ねぇーねぇー!そんなことよりさー!もっと気になることはあるんだけど〜!」
ようやく落ち着いた広間を、今度はハニエルが心の底から退屈げな声で躊躇なく割った。
七大天使の中で最年少、大天使ハニエル。
珍しく覆面をしていないことから見られる、自他認める可憐な容姿と愛嬌のある笑顔で天界のアイドルとして男性天使からは大人気。
だが、それだけがハニエルの取柄ではない。七大元素では【地】を司る彼女は小柄ながらも、大地から生まれたすべてを操る柔軟性のある能力のいため、戦線では「後衛」を務めている。
天使軍の耐久性を高めるためさまざまな援護サポートを得意としているので、天使兵たちも敵の攻めに怯まずに思う存分己の力量を発揮できる──【神の栄光】というハニエルの名に恥じない役割を見事に果たしている。
「ハニエル。気になることってなんですの?」
いつもの愛らしい顔に浮かぶどこか不貞腐れているハニエルの表情を見て、ガブリエルは何気なく尋ねた。
「あのね!ルシフェル様はまだ来ないのかな〜って思って!」
「天使長......?ああ、そういえば、まだお見えになりませんね」
ハニエルの甘い声に乗って飛び出てきたのは、丁度先程までミカエルの朧な意識の海を泳いでいた人物の名前だった。
絶妙なタイミングにミカエルは内心どきりとして、胸を刺される思いをした。
「議会が開始してからだいぶ経つけどぉ、まだ私たちのリーダー来てないよぉ?ミカエルちゃん何か知らない〜?」
「ルシフェルは......」
しばしの沈黙、ミカエルは観念して重い口をこじ開けた。
「ルシフェル天使長は......来ない。
本日の議会も欠席だろうな」
感情を抑え込んだ抑揚のない言葉に居た堪れなさが募る。それにはどこか諦念が滲みいた。
──直後、その場の空気が一瞬淀んだのは、きっと気のせいではない。