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【完結】序芝居  作者: のぼぼん(º∀º)
【転】〜カインとアベル〜
88/160

25話『世界最強の男VS世界最強の獣』★

 終わる。



 終わりが、近づいて、くる。




 凶手が風を切り、アベルの胴を叩き潰す──直前、









     「諦めるな!!」







 目を瞑っていたアベルの鼓膜を強く叩いたのは安心感を促す聞き覚えのある声だった。
























 



 大きく揺れる茂みから出てくる気配。


 次に何かが蹴られる音と獣の悲痛な鳴き声が響いたあとに、ふいにアベルたちよりも大きく覆い被さるような影が差す。





(なに?何が起こっているの......?)



 



 アベルはそうっと目を開いた。


 真っ先に見えたのは──正面。


 銀色の長い髪を(なび)かせて、自分たちを庇うのは、もう見慣れた頼りになる広い背中。その持ち主の心当たりあるのはただ一人だけだ。




「お、とう......さん?」


「──間に合って、よかったっ!」




 

 熊との間に割り込み、カインとアベルを庇う様にして立っていたのは、父のアダムだった。


 それよりも前方に目を向ければ、苦鳴を上げ、くの字に折れた姿勢で悶絶(もんぜつ)する熊が見えた。




「助けに来て、くれたの?」





 まさか、助けに現れる者が現れるなんて思いもしなかった。


 父親の背が突然目の前に現れたことで、驚きやら安心したやらでアベルの目が見開いたまま、その場で動かなかった。




「遅くなってすまない!二人とも怪我はないか!?」


「ぼくは、大丈夫......、でも」


「その血は......!まさか、」




 アベルの服に付着する大量に血。そして次に右目から看過できない出血をしているカインを視界で捉えたアダムの表情はたちまち険しく歪む。


 同時にアベルの怯える瞳にも再び濃い罪悪感の色が浮かぶ。

 



「ごめんなさい!兄さんはっ、ボクを庇って、......っ


 

 そんなアベルの反応を横目に、アダムはゆっくりと己の正面──いつの間にか復活したのか──新たな獲物の参入に舌舐めずりしてこちらを伺う熊を見やる。


 そのまま振り返らず、その猛獣だけに焦点を絞り、ただ吐息をこぼし、




「生きては、いるんだな?」


「うん!息はあるよ......、ただ気を失っているだけ」


「そうか」




 最悪の想像はどうやら裏切られた様子でアダムは安堵する。

 しかし、状況は一刻の猶予(ゆうよ)を争う。このままだとカインは出血多量で生命が危ない。


  


「アベルもカインもよくぞここまでがんばった!あとは父さんに任せなさい」




 消沈しているであろう背後にいるアベルに声をかけ、安心を促す。そして、

 



「“お前と戦う気がない。このまま退いてくれぬか”」




 今度は静かな声で、唸る熊に語り掛けた。


 元々エデンの楽園にいた頃の名残(なごり)として動物とは意思疎通ができた。いつもなら会話が成り立つ上、アダムが動物に話し掛けるとそれだけで相手から多少なりとも心を預けてくれるものだ。


 しかし、




(おかしい、なぜだ。全く心を開いてはくれぬ)




 今、目の前で低く(うな)る熊はひどく血走った目でアダムを睨みつけるだけだった。いや、厳密に言えば、アダムの身にまとう()()からずっと目を離さずにいた。


 



(何かが、おかしい)





 その野生の目には何やら生々しい憎悪の光が輝いている。そこでアダムは敏感に、目の前の熊に纏うおかしな雰囲気を感じ取った。





(この熊……どうやら普通の熊じゃないな……まるで操られているみたいに………いや、考えすぎか?)




 だがそれが一体何なのか、ただの予感なのか、不吉な軋みなのか、アダムには分からなかった。


 ただ一つ確信できるのは、この熊はアダムたち人間を完全に()()していること。──もはや迎撃することでしか活路(かつろ)は見出せない。




(これは、なかなか厄介だぞ)




 とはいっても、いくら強いアダムでも、真っ向勝負で熊を倒す事は相当困難である。


 熊に限らず猛獣を人間が狩りをするならば、本来はじっくりと「罠」を用い、落とし穴に追い込んだあとに、外から槍で突いたり石をぶつけて弱らせて討伐(とうばつ)するのが一番危険が少なくて望ましい。

 しかし、この状況ではそんな念入りに計画練った対策なんて許されるはずもない。




「退いてくれぬになら......やむえない」




 石槍の柄で正面を指し示し、アダムはまるで覚悟を決めるように剣呑な光を瞳に宿す。

 傍観(ぼうかん)するアベルの肝が冷える反面、こちらを睥睨(へいげい)していた熊の目にも、はっきりとした交戦の構えと、蹂躙(じゅうりん)の先走りが浮かび出していた。




 刹那、




御免(ごめん)!」




 そしてふいに──なんの前触れもなく──アダムは俊敏に見上げるような体勢から熊の右目を狙い、思い切り下側から突き上げるように石槍を突き込む。

 


 あっという間の技だった。もはや、アダムに残された手段としては、「不意打ち」しかなかったのだ。


 軟らかい眼球を貫き、硬い頭骸骨を貫通する感触を感じた。



「フンッッ!!!」

 

 

 手加減する気は毛頭ない。


 少しでも油断すればこの命のやりとりの敗者は人間であるアダムたちなのだ。


 そのまま石槍を(えぐ)るように槍を回転させる。頭蓋骨の手前で矛先の砕ける感触がし、柄の部分が頭蓋骨に阻まれる。



 グオオオオオオオオッ!!!




 熊はたちまち悲痛な断末魔の叫びを上げた。アダムが石槍を引っこ抜いた時には徐々にその砲声を弱弱しい物に変えていく。



 ビジャァ! ビジャ!



 獣の鮮血が飛び散り、真正面にいたアダムも頭からそれを浴びる。


 抜群(ばつぐん)な手応え。間違いなく今の奇襲は熊に大ダメージを与えられたといっていい。



「お父さん.....すごい......!」



 だが、これで終わりではない。これで安心してしまっては結果的にはカインの二の舞になりかねない。




(この隙に胸部を一突きでトドメだ!)



 ──しかし、



 グォオン!グォオッ!!



 石槍が熊の心臓に到達する寸前のこと。突如、熊は何かを訴えるように雄叫びをあげた。



「なん......だと?」




 その意思表示は情を捨てたはずのアダムがトドメを阻止するには充分な内容だった。




「お前は......もしや......!?」




 理解した。理解してしまった。

 ほんの一瞬だけ、アダムは明らかに戦意喪失していた。熊の咆哮が一体彼に何を訴え、何が彼をここまで動揺させたのか。


 しかし、その致命的ともいえる隙が、いけなかった。



 刹那の狼狽を隠せないアダムにお構いないしに、熊は鋭敏に肉薄した。顔を振り乱し、狂乱の形相をこちらに向けてくる。


 そして──、



 

「ぎ……っ!!?」




 アダムの左腕を強大な顎に喰らいつかれていた。


 牙が肉を貫き、神経に届き、刃物のような鋭さに傷口が広げられる。




「ぐあああああああ──ッッ!!」


「お父さん!?」



 喉が震える。魂が絶叫する。


 肉を切り裂き、神経が侵され、発狂しそうな鋭い激痛が脳を殴打する。



 ──痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い!!


 血が噴き出し、凝然と見下ろした痛みの根本、そこに牙を突き立てる野生の双眸と、アダムの瞳が交錯する。




「クッ!!ふぬぉぁ、ああ!!」




 引き剥がそうという思考が走るよりも、苦痛に対する叫び声を上げる反応の方が早い。

 精神がどうにかなりそうなほどの激痛が頭の中で埋め尽くされ、一瞬反撃など余裕で忘れてしまったこだ。


 そして、最後に、




「───ッ!?」




 ふいに平衡感覚が崩れる。



 喰らいつく熊が牙を突き立てたまま首を振り、ゆうに倍近くある体重差をよってアダムを地面に引き倒したのだ。



「グッ!!しまった......っ」




 その決して軽くない衝撃でアダムの首飾りの紐が千切れ落ち、右手に握っていた石槍を遠くへ手放してしまった。


 だがすぐにそんなことを嘆く余裕を奪われ、全身を走り抜けるような激痛に苦鳴を漏らす。




「──グ!?ヌァァアッッ!!」




 突き立てられた牙は緩むどころか、ますます深く食い破ろうとしていた。皮膚も肉も骨も何もかも、全てを抉らんとする勢いで。




「ぐぬぅ...っ、クソッ、ワシとしたことが...!油断した!」




 なりふり構っていられなかった。

 

 即座に振り上げた右の素手で歯茎まで剥き出しにした熊の顔面に向かって力任せに殴りつける。



 ガウッ......!!



 その決して軽くはない一撃でようやく少しだけアダムの左腕を圧迫する痛みがほんの少しだけ和らいだ。──それでも、牙が抜けるほど甘い顎の力ではない。




「クソッ!頑固な子だ!もう一発どうだァアああっ!!!」




 叫び声で己を奮い立たせ、アダムは渾身の力でまだ喰いつかれる左腕ごと熊の腹目掛けて蹴りを入れた。

 アダムの蹴りに吹き飛ばされる瞬間、アダムの左腕の肉の一部を噛みちぎった。




「グギィ、い......ッ!?」



 相手に肉の一部を持っていかれる感覚に戦慄するも、アダムはなんとか気力で仰向けに戻り上体を起こす。


 左腕からは夥しい出血が見られ、食いちぎられた肉がめくれ上がっている。その傷口の奥には骨が見え隠れしていた。


 ナイフで抉られたような傷口に容赦のない激痛がぶり返すが、それよりも優先すべきはすぐに立ち上がって反撃することなのだ。


 正面──凶相をまるで禍々しい笑みのような悪意の形に歪める熊。

 このままでは返り討ち前提の一騎打ちは避けられない、アダムは内心諦め気味にそれを悟った。


 ──その結論を得た瞬間、アダムは己の腹を括る決断を下す。




「お父さんッ」



 悲鳴のような我が子の声が聞こえる。


 その声がひどく悲痛な響きで、避け難い絶望感に満ちていて、まるでこの世の終わりを目撃しているかのように弱々しくて、



「......アベル。お願いがある」


「な、なに......?」


「カインを連れて逃げるんだ」


「え?」


「ここから家まで逃げ切れ、母さんたちに助けを求めろ!!」


「そんな...お父さん.....、お父さんはどうするの!?」


「お父さんは、......せめてこいつの足止めをしなきゃならん。心配するでない。お前たちがちゃんと逃げ切れば、あとは母さんたちがなんとかしてくれる」


「で、でも」


「迷う余裕なんてないぞ?カインを死なせたくないだろう?」



 

 アダムは牙を剥き、




「いけェ──────ッ!!!アベルゥウウ!!!!」


「ッ!!」





 その叫びに弾かれるように、アベルの矮躯はカインを担ぎ上げ全力で駆け出した。


 自分を逃がすために奮戦する父の気持ちを()めないほど、アベルは幼い頑なさに拘り続けるほどに愚かではなかった。


 しかし、背後から響き渡る打撃音と恐ろしいほどの咆哮音に、どうしても最悪な結末を想像してしまう。






     ◇◇◇◇◇◇◇





「ワシとしたことが......、一瞬の情けがここまで醜態を晒した......、己と息子たちの命がかかっているというのにな」




 立ち上がって気丈に振舞い、アダムは熊の注意を惹くようにアベルが逃げた道を阻んだ。


 散らばる獲物のどちらを追うか刹那の間だけ迷い──熊は即座に、アダムを追い立てる。



「だろうな。おまえさんならこっちを選ぶと思ったぜ」




 この熊はアダムが登場してからもはや彼しか眼中にいないようだ。やはり、とアダムは己の予想が間違っていないことを確信する。

 



「ワシは、お前さんに殺されても当然の事をした。それを正当化しようとも、許して欲しいとも思わぬ」




 まるで懺悔のような語りかけは、次の瞬間に決死の覚悟へと変わる。




「だが、すまんな。ワシにも養う大事な家族があるのだ。そう簡単にお前さんに投げ出す訳にもいかぬ」



「グマママママ……」





 熊は嘲笑っていた。


 生き物と意思疎通できるアダムだからこそ理解する、動物にもちゃんとした感情がある。


 ──眼の前にいる熊には、はっきりと存在するのだ。

 憎悪。嗜虐心。悪意。そのようなものが。





「来いッ!!お前の憎しみも怒りも全部ワシが受け止めてやる!」



 その声を聞き、熊はアダムに向かって体当たりをした。


 だが、アダムはなんとかその攻撃を食い止めることに成功した。両手を大きく前に出し、足の爪先で地面に必死に踏ん張りながら、


「ぐぬぬ......!!」


 熊も全力で押し出すが、決死な人間の力は想像を遥かに超えていて、中々動かすことができなかった。



 両者は拮抗し一歩も譲らない。



「ヌォオオオオオオ!!!!」



 雄叫びを張り上げることで自らを鼓舞。


 頭に血が上り、互いに互いしか見えていない。




 一つでも判断を誤れば命を落とす。


 アダムの方もすでに冷静さはどこかへいってしまっている。もはや、目の前の害獣を始末しないことには明日は訪れない。


 無論、それは向こうも同じこと。


 熊もまた、アダムを殺さなければ体の中に吹き溜まったぞ“憎悪”と“悪意”の感情を処理できないのだ。



(早くケリをつけよう)




 アダムは本気で熊に立ち向かおうと、携帯する石刃を素早く取り出して構えた。


そして、



挿絵(By みてみん)


「どっちがやられても恨みっこなしだ!!」




 ───森が震撼する。



 二つの雄叫びが響き渡った。

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