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【完結】序芝居  作者: のぼぼん(º∀º)
【転】〜カインとアベル〜
87/160

24話『絶対絶命!もう逃げないから』★

 


 

「──グァああああッ!!??」


「兄さん!?」




 地面にうつ伏せ、両手で顔を覆い悶える明らかに様子がおかしいカインに、アベルは自分の体の鈍い痛みなんて構わず、血相を変えて駆け寄った。




「カイン兄さん大丈夫───」



 心配するアベルの声は最後まで続かなかった。カインの有り様を見て愕然(がくぜん)としたからだ。




「ッ、うぅ...うあァア!」


「なに、なにが......っ!?」





 夥しい鮮血が溢れ、地面に小さな血だまりを作っていく。


 血の出所は───、



 顔を強く抑えるカインの両手の指の隙間から、だった。




「あ...ぁ、カイン兄さん、め、目が!右目がぁ......!!」


「はぁ、はぁ......っ、......め?おれの......、」



 泣きじゃくるアベルの悲鳴とも言える言葉に、カインはようやくひどく痛んでいるのは右目だと気づいた。

 あまりの痛みに目の奥まで焼けてしまいそうだった。



「そんな......っ、兄さん!どうしてこんなひどい怪我を......!」



 アベルは混乱するも、すぐに近くから唸り声が聞こえてはっと我に返る。



「──ッ!?」



 そちらに鼻先を向けたときには、獰猛な殺気に満ちた歪な形相が目前にあった。

 禍々しい殺意に本能的な恐怖が込み上げ、思わず「ヒッ」とアベルは首を竦めて息を呑む。


 ようやく、そこで初めてアベルは熊をきちんと認識する。





「な、.......なんでぇっ、クマが!?兄さんが倒したはずじゃ...!?」


「はぁっ......ぁ...クソッ、やはり......っ、しくじった...!」




 どうやらカインが倒したこの熊は息絶えたのではなく、今までただ気を失っていただけのようだった。


 アベルを助けることを優先したゆえにカインは検死を怠り、最後にしっかりと熊の息の根を止め損ねたのだろう。


 ─── その結果、意識を取り戻した熊は最初に目に入ったアベルを後ろから襲おうとしたのだ。





「ああぁ...っ?!ぼっ、ぼくのせい!?ぼくを助けたから、カイン兄さんがぁっ、アァあぁあっ?!」


「う、るさい、はぁ.......っ、取り乱すな」





 咄嗟の判断からの行動だったし、アベルを庇ってからのすぐ次の──熊の腕の一振りを避けるための──後退には不向きな体勢だった。


 何よりカインは熊の攻撃を回避するよりも、熊の攻撃からアベルを庇うことに重点的に置いたのだ。まだ大人には到底及ばない幼い身体能力では、完全無傷で済ませるなんて到底不可能な所業だろう。




「まさか、ボクを庇ったせいで.......!?」




 むしろ、あの状況でカインの顔が吹き飛ばされず、右目の損傷で済むのは不幸中の幸いと言ってもいい。だが、そんな冷静に割り切るほどアベルは大人ではなかった。




「どうして!?どうしてぼくなんかを助けるのぉ...っ」


「うるせぇっ、てんだよ......!だま、れ、」




 膠着状態というには一方的な詰めの場面。今目の前に熊がいると言うのに、アベルは疑問を繰り返す。

 何もかもが理解が追いつかないことばかりでアベルは完全に錯乱状態で、もはや脅威の熊なんか眼中にないようだ。


 幸いにも熊はその様子に警戒して、しばらく呻きながらも現時点ではこちらを睨め付けだけだ。




「だって!!だって!兄さん、ぼくのこと、嫌いなはずでしょ...!?どうしてぇ.......!?」





 カインはアベルを嫌っていたし、いつも冷たくて、そっけなくアベルを邪険していた。

 ほんのたまにこちらを無碍にできない申し訳程度のお人好しな部分が見え隠れしていたけれど、それは侮蔑と嘲弄を伴ってのもの。基本的には酷薄に徹することのできる兄だと思っていたから。


 それなのに、どうしてカインは今、アベルを助け、血塗れの姿で倒れているのだろう。




「ぼくが...っ、クマにやられるところを黙って見ていればいいのに!」




 いくら両親に咎められたくないとは本人が主張しても、嫌いな奴なんかのために、命に関わるリスクを背負う必要なんてないはずなのに。


 状況が状況なだけに、「運が悪かった」「不可抗力だった」の一言でも許されるはずだ。


 なのに、今日、カインは“二度も”、アベルを助けた。





「....はぁ、はぁ、知るかよ、んなもん。体が勝手に、動いたん、だよ......ッ!!!グァ、ァアア!」




 カインがヤケクソにも似た大声はアベルをようやく少し落ち着かせた。が、声を張り上げたせいで傷に響いたのだろう、カインは再び痛みに悶える。




「に、兄さん!」


「クッ......、痛ェ.......ッッ!」




 ドクンッドクンッと激しくカインの全身を廻る血液が沸騰している。汗腺という汗腺から、滝のような汗が噴き出していた。


 カインが産まれてから一度も味わったことのない部位からの凄まじい痛覚に耐え切れずその場に跪いた。





「に、兄さん!しっかり...、しっかりして!」


「──っ、」




 アベルの叫びを耳元で捉えるも、目が霞み始めるほどのひどい高熱にカインは侵されていた。少しでも気を抜けば直ちに五感の感覚が遠のいていきそうだ。




(ぶ、武器を...っ、何か抵抗できるものを!)




 もはや再起不能のカインを見て、今のこの絶体絶命な状況で兄を守れるのはもはや自分だけなのだとアベルは覚悟した。

 ひたすらに頭を回転させて、少しでも状況を打開しようと苦心する。



 (そうだ!そういえばカイン兄さんの農具は...!?)




 そう思いせめて何か抵抗できる武器を入手しようとあたりを見渡したが、熊のそばには歪に折り曲げられたフォークがが落ちていた。


 おそらく熊が目覚めた際に己の頸に突き刺さったフォークを振り払ったのだろう。




 (カイン兄さんは大怪我していて、今のぼくも丸腰......)




 状況は圧倒的不利だ。人間は弱い。


 鋭い爪も牙も角なければ毛皮もない。手足は細く、皮膚は薄い。


 それでも人間が猛獣と対抗できる立場になれるのは、武器があるからだ。

 長い柄と、牙より硬い石の穂先は、人間にリーチと攻撃力というアドバンテージを与える。が、




 (だめだ...こんなの、勝算ないよ......)



 ただでさえ熊にとっては歯牙にもかけない人間の子ども。さらにそのアドバンテージすらも失われた無力なアベルはもうこのまま遅かれ早かれ熊の胃の中になる結末を待つしかないのだ。



 万事休す。

 その一言がアベルの脳内を埋め尽くす。


 そんな切羽詰まった様子のアベルに構わず、熊は猛然と二人へ跳躍する。



 ──ああ、来る!





「う、うわぁああああっ?!」


「チッ......」




 今度ばかりはカインも動けなかった。傷の痛みのせいで俊敏に反応するほどの余裕がなかった───そのはずだった。



 だがあまりの恐怖に立ち竦み、足も震え、動けずに絶叫するアベルを見て、カインは高熱を帯びた肉体に新たな機転を叩きこんだ。




(うご、け......っ)




 己の体を奮起し、カインは余力を振り絞って手を少し遠くに離れた畑の方向へ翳し、早口で何かを唱えた。



 ──ヒュンッ!!!



 刹那、その空間のだけ風の切る音がした。




   「グォオオオン!!!」




 突然激しく抵抗する熊。




「え!?なに、どうなっているの?」




 よく見ると熊の大きな胴体には頑丈な鞭のようなものによって、暴れ回る動きを制御されていたのだ。その鞭の先は──カインの畑からである。




「え....?は、白菜?」



 あまりもの現実離れした奇妙な光景にアベルは自分の目を疑った。


挿絵(By みてみん)


 畑に生えた白菜の葉の一部が瞬く間に太く、長い緑の鞭と変形し、力と速さを備えた牽制の一振りが熊を強く縛り付けているのだ。



ギリィ......ギリィ......! 



 それは、決して離さない!と言わんばかりの締めつけ。まるで野菜に強い意思が宿っているかのような錯覚を覚える。




「本当は...、はぁっ...、本当は、羊どもを...っ、一網打尽(いちもうだじん)するための、ぁ......、【縛り罠】、だったん、だがな」


「すごい......!こ、これも《神の豊穣(ハーヴェス)》の力の一つなの...?」


「......っ、言ったろ。神の力は、頭の使い方次第だと...」




 息切れが激しく、途切れ途切れに喋るカイン。その顔に滲む焦燥感は変わらなかった。




「とはいっても、今は...、はぁ....っ、これが限界なのが悔やむところ.......、はぁあっ」




 これだけ広大な畑にたくさん生える多種多様な野菜の中で、カインの《神の豊穣(ハーヴェス)》の影響を受けたのがたった白菜一つのみ。


 カインが負傷さえしなければ、操れる野菜の種類も数も桁違いだろう。

 より神の力を強く影響受ければ、強さと速さを兼ね備えた野菜たちの攻撃を熊に繰り出すことも可能なのだが、今は熊の動きを止めるのが精一杯。


 それもそのはずで、畑の持ち主は今は意識を保つことに必死で、それ以上のことに気を回している余裕など欠片もなさそうなのだった。


 右目の痛みのせいで集中力も制限され、カインのカリスマの発動範囲も強さも極めて不安定で弱いである。



(クソッ、あの野菜の括り罠も時間の問題だ)




 熊の抵抗にギシギシと悲鳴をあげる葉の鞭を見るに、もう白菜の耐久性はそう長くは保たないだろう。


 当然だ。元々はこんな凶暴な猛獣ではなく、畑を荒らす常習犯の家畜対策のためのものだったのだから。

 だがそれでもこの危機一髪な状況ではファインプレーであることには変わりはない。




「クッ......!」



 九死一生を得た脱力感と失血状態で激しく動き回った眩暈(めまい)なのか、カインは今度こそその場にべしゃりと崩れ落ちた。




「カイン兄さん!!??」




 途端にアベルの肩が強張り、ざあっと音を立てて血の気が引いた。血相を変えて駆け寄って抱き起こした。



「あぁ......っ!兄さん!血がっ、血がぁ.......!」



 カインの右目からは相変わらず出血が続いていた。どくどく、と溢れる紅は止まる気配を見せない。──カインを抱き上げるアベルの身体すらも真っ赤に染め上げるほどに。




「はぁ、・・・ぁあ...あ"ぁあ・・・はぁぅ....」




 カインから漏れるそれはもはや呼吸音ではなかった。

 呼吸とも喘ぎともいえない、弱々しい雄叫び。それを間近で聞くアベルにとっては悲鳴と類されてもいいもの。




「カイン兄さん!ごめんなさい!ぼくがどこまでも足手まどいで、カイン兄さんを無理させちゃった......っ」


「そ、んなのは、どうでもいい.......!よく聞けっ」

 



 無駄な思考は捨て去って、半分狭まる視界の違和感も傷の痛みも無視して、カインは必死にアベルに呼びかける。





「...ッ、あいつを、足止めしている今のうちに、逃げ、ろぉ......はぁっぁ。お前だけでも、生き残れ」




 全滅を避け、一人でも生き残る。


 最悪な不幸から、幸いが少しでもあるよう最善を尽くす。

 きっと、兄はそう言いたいのだろうとアベルは思った。



 

「そんな!?ぼく一人だけ逃げるわけにはいかないよ!」


「悠長なこと、言ってる場合か!逃げろと、はぁ......っ、言ってるだろうが......ッ!」




 このままでは、カインが意識を失い白菜の武装形態解除が先か、あるいは熊の力で白菜の鞭が切れたり、胴体が鞭からすっぽ抜けるのが先か、いずれにせよ二人が熊からの反撃を受けるのも時間の問題だろう。


 カインが傷の痛みに耐えてまでも熊に罠を掛けたのは、アベル一人だけでも逃げれる時間稼ぎをしたかったからだ。




「いやだ!カイン兄さんを置いていくのいやだ!絶対にいやだ!!!」


「......バカッ!はぁ、はぁ.......このままだと、おれたち、共倒れだぞッ」


「......バカでいいよ」


「な、に......?」





 こんな時にぽつんと呟かれた買い言葉に、カインは怪訝そうにアベルを見る。涙を湛えた揺るぎない瞳が、カインをまっすぐに貫く。





「カイン兄さんが望まなくても、ぼくは逃げない。食われて死ぬならぼくも一緒だよ。()()()()()兄さんを置いて一人で逃げないからぁ!!」


「・・・・・・、」



 そのセリフに、カインは違和感を覚えつつも、脱力感に襲われた。




「─────」




 出血多量ですでに限界を迎えたか、カインは上体を起こすことすらままならない。


 その代わりにおぼろな光が浮かぶ弱々しい視線をアベルを向いた。残された片方の瞳の焦点を懸命に合わせようとしている。




「本当......、救いようもない、バカ」




 その言葉とは裏腹に、真っ赤に染まる青白い手がアベルの手を縋るように捕らえた。助けを求めるようなその手付きにアベルも心許なく握った。




「大丈夫だよ。兄さん。ここにいるよ」

「後悔、......しても、知らんぞ.......」




 そうしてカインは空を仰ぐ。

 その耳には今だに暴れる熊の咆声が届いている。だが皮肉なほどに空は青いままだ。



「......兄さん?」



 もう返事はない。どうやら気を失っているようだ。


 そして、ついに、





 ブチィッ!



 葉の鞭が切れる音がタイムリミットを知らせていた。



 グォオン......!!



 気絶したカインを目に、アベルは迷いなく抱きしめながら熊をまっすぐと見据えた。

 その間にも解放された熊は今度こそ逃さないとばかりに二人へ迫り、そのままぐるぐると喉の奥で唸り声を上げる。



「──っ」




 その声は、酷く、酷く、恐ろしいものだった。今にも目の前の存在の喉元を食い破らんとしているようで、聞いた者の背筋をぞっとさせるものだった。





 ───こわい、コワイ、怖い!!!!





 どんなに強がっていても、恐怖がアベルに涙を(もよお)す。


 すでに意識が乖離(かいり)したカインの上体を抱きかかえる温もりが唯一の精神の拠り所。


 無情にも、熊には躊躇する理性も理由も何一つもない。鋭い視線は依然に二人から離す気がない。




 グォオオオンァアアアアアアア!!!!!!




 地を砕き、熊の肉体が宙を舞いながらアベルたち目掛けて飛び掛かる。


 殺意の篭った腕が宙へ振り上げられた────。



(さすがに、今度は死ぬよね)




 熊の腕の一振りでも当たれば、アベルたちの体は圧し折られ、あっという間に肉塊になるに違いない。それでもアベルの金色の瞳は、熊の腕が伸びてくるのを、見ているしかなかった。


 


 それは終わりを迎える境地なのか。


 それとも抗おうとする意志なのか。



 ただ不思議な事に、死に直面した人間というものは全ての光景が緩慢に見えるらしい。


 目の前の光景がやけにスローモーションに見えた。残像が見える程に。何もかも遅く見える空間。


 永遠に感じた瞬間だったが、実際は降りてくる爪に対抗しうる術も走馬燈を見る暇もなかった。


 死が目の前で襲う場面。いつしか二人の少年に届く距離。


 その距離はゼロに近づくにつれ、アベルの生命が、けたたましく悲鳴を上げる。




(ここまで、だね......)




 

 ただアベルにできたことは、意識のない兄を胸の中で庇い、受け止めるように目を瞑ることで、己の意地を示すことだけだった。

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