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序芝居  作者: のぼぼん(º∀º)
【転】〜カインとアベル〜
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21話『危機一髪』★

「カイン兄さん......いない?」



 畑には人影はなかった。


 しかし、カインの大切な農耕道具が畑の側の岩肌に寄っ掛かているのを見て、今日も農業に励んでいたのは確かだ。



 (もしかしたら兄さん、水やりために水汲みに行ったのもしれない)



 考えられるのは、一時的な不在───。



 見るからにカインの畑は荒らされておらず、変わらず綺麗なままだった。

 とりあえずまだアベルが心配していた最悪な事態は起こっていないことに安堵した。




(とりあえず、様子見しよう)



 アベルは畑の近くの茂みに隠れ、慎重に広大な畑をしばらく注意深く視察する。


 本来であればここで引き返せばまだ間に合う。今なら熊に遭遇することなく無事に家まで辿りつくだろう。

 しかし、アベルはちゃんと兄の安否をこの目で確認しない限りは家へ戻るつもりはない。


 父の言いつけも覚えている。それを破ることの、罪悪感も当然ある。だがそれはカインを心配しない理由にはならない。




(せめて兄さんが戻ってくるまでは!)




 もしかしたら熊がやってくるかもしれない──そんな緊張が体を強張らせ、少しだけ茂みに身を伏せた。


 不安が心臓を不安定に揺らし、焦りが視界の映りを狭せる。無意識の妨害を静かに避け、カインが姿を現すまでアベルは茂みの中で息を殺し続けていた。



 すると、



 「───! あ、あれは...!?」




 アベルは一気に青ざめる。


 その姿はすぐに見つけることができた。少し遠い距離ある向こうの茂みに、ゆっくりと歩く黒毛の塊が見える。




「あのクマだ!さっきぼくを襲ったっ」



 なんてことだ。


 やはり動物にとってこの周辺で一番の餌の宝庫みたいなこの大きな畑を見過ごす訳がない。熊は一直線にこちらへ向かってくる。


 まともに戦って到底敵(かな)う相手ではないため、その対処法は逃げの一手に限る。幸いアベルの姿はまだ熊の視界には入っていない。

 しかし、今ここで尻尾巻いて逃げたら、




(このまま間違いなくカイン兄さんの畑が荒らされちゃう!)




 ここにはたくさんの未収穫の野菜や果物がある。熊がそれを見逃すはずがない。


 カインが居ぬ間に、丹精を込めて育てた作物が台無しになれば当然怒るし、何より───、




(きっと心の中ではすごく悲しむ)




 ダメになってしまった作物を放棄する度に、その怒りの奥深くには悲しみがあった。


 アベル自身が言うのもなんだが、今まで過失により幾度も畑を荒らしてきたアベルがその感情の矛先になるがゆえに、身にもって知っている。



 (ぼくが、なんとか阻止しないと...っ)




 とはいえ、下手に熊を刺激し逆上させたら、今度こそアベルは命を落とすだろう。そんなジレンマに苦しむアベルを他所に、熊はすぐ畑のそばまで迫っていて、無防備に作物を嗅いでいた。


 その瞬間、アベルの脳裏には一生懸命畑を耕すカインの生き生きとした姿が掠る。その目はいつもただ純粋に豊作を夢見て───。




(やるしかない......!)




 アベルは決断せざるを得なかった。




 ──今度はぼくが、カイン兄さんの畑を守るんだ!




挿絵(By みてみん)


 アベルは素早く後ろの木に上り、そして真っ直ぐ熊に向けて弓を引き絞った。


 そもそも弓で致命傷を与えるのは難しい。手足に遠間から弓で怪我を与え、弱らせたところを槍で突いて止めを刺す。それは大型動物の狩りの基本なのだと父から教わった。


 アダムみたいな大人が扱う長弓ならともかく、アベルが扱う七十センチ程度の短弓は猛獣相手ではそこまで威力はない。




「......とにかく一か八かやるしかない」




 己を鼓舞するように呟きながら、アベルは熊に狙いを定めて弓矢に弦を引く。




       ヒュンッ!!





 放った矢は一直線に飛んでいき、熊の胴体に突き刺さって──いなかった。




(は、外した......!!?)




 そう。矢は辛うじて熊の胴体を掠めて、その前足の近くに突き刺さっただけだった。

 やはりあのウサギを無事に射止めたのは、本当にただの偶然で、要はビキナーズラックのようだ。


 しかし、対象にこそ命中しなかったものの、それで熊の注意を逸らすことで、カインの畑はひとまず難を逃れた。




 (とりあえずこれで一安心......)




 致命傷なんてものは期待してはいない。ただ熊の牽制にでもなればアベルとしては儲け物だった。



 しかし、



 グルルルゥ......!


 食事の邪魔をされた熊がグワっと木の上にいるアベルを捉えた。



 刹那、その熊の双眸を視界に入れたとき、アベルはあまりの怖気に全身が凍った。




(眼が......赤い?)



 今まで気づかなかったがよく見れば、その熊の血走った眼は血のように爛々と真っ赤に輝いていていた。




「ヒッ......!」



 

 あまりもの異様さに、頭の後ろで警鐘がうるさく鳴り響く。


 萎縮(いしゅく)するアベルにますます攻撃性を高めたのか、熊は後ろ足でグググぐっと立ち上がり獰猛な唸り声をあげた。


 その凶暴な焦点はアベルに固定したままだった。




(おおおお、おっきぃ.......!!?え!?それより熊って立つの!?)




 熊は大木の様な前足を振り翳し、アベルを捕縛しようと突進する。周囲に砂塵を巻き起こしながら腕と爪が迫る。


 アベルは慌てて木のより高い位置に駆け上がった。

 

 物凄い音と衝撃。

 殺気と獣臭が吹き付けてくる。



 妙な浮遊感に驚きながら見てみると、つい先程アベルが立つ木の枝半分が吹っ飛ばされていた。


 流石に危機感を感じたアベルは、そこから軽く枝を蹴って跳躍すると、隣の木に飛び移ってみせた。が、


 グオオオオオオ!!


 無情にその木にも熊の強烈パンチが襲う。


 砕ける木。吹き飛ばされるアベル。



 (だ、ダメだ、これはっ)



 なんとか俊敏な受け身を取って、別の木を飛び移りながら逃走を図ろうとするも、それを目敏く捉えた熊は木々を薙ぎ倒しながら追ってくる。



「・・・・・・くっ」



 アベルは苦し紛れに弓を弾き矢を連射したが、冷静さを掛けた弓矢なんて当たるはずもなく、むしろそれが余計に熊を刺激して悪手となる。



 (このままじゃ......やられるっ!)



 うまく扱えない武器なんてもはや重荷も同然。弓をかなぐり捨てて、アベルは一目散に逃げることに専念することにした。


 しかし、熊は逃す気は毛頭なく、完全にアベルを獲物として捉えているようで容赦なく木々を吹き飛ばしながら追って来る。


 物凄い迫力だ。ところが、




(あれ......?)




 突然、熊の砲声がぴたりと止まった。


 しかし、それでわざわざ後ろを振り向いてまで熊の状況を確認する余裕なんてないし、油断するつもりもない。



(と、とりあえず完全に逃げ切らなくては!)



 アベルは体重を支えていた両手を幹から離し、次の木へと移そうと思ったそのときだった。




 (うわっ!?)




 いやな浮遊感を感じる。と、同時に視界から目の前の木が半円を描いて消えた。


 代わりに地面が見える。──右足を滑らせ木から落ちたのだ。




 (え?ぼく...このまま死んじゃうの?)




 どんどん地面が近づいてくる。


 次に待っているのは叩きつけられる大きな衝撃であろう──そう確保したアベルは恐怖に怯えて目を瞑った。


 まさか死因が熊の餌ではなく、転落死になるなんて、




「しに、たくな、い……」




 地面に向かって落下するアベルの口から漏れのは命乞い。

 


 もうなにもできない。



 なにも起こすことができないし、されるがままになるしかない。


 それなのに、衝撃はいつまでたっても訪れなかった。死の気配が、頭をカチ割られる恐怖の未来が、いつまでたってもやってこない。




(あたたかい......)




 ただ、代わりに誰かに抱きしめられた感覚だけを理解できた。


 耳元でげほげほと力なく咳き込む声が聞こえて、アベルはようやく重い目蓋を持ち上げた。おぼろに霞んだ視界が次第に輪郭を帯びていく。




「ゲホッ......、オレの畑周辺でなにしてんだ。お前は」




 聞き馴染んだ不機嫌そうな響きに誘われるようにまだ判然としない意識を覚醒させた。長い白銀の髪が目に入る。


 次にゆっくりと視線を移せば、胡乱げな様子で眉根を寄せた切れ長の瞳と視線が深く絡んだ。アベルは少し掠れた声音でその名を呼ぶ。




「・・・カイン、兄さん?」

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