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【完結】序芝居  作者: のぼぼん(º∀º)
【転】〜カインとアベル〜
74/160

11話『長女アワン』★

 戸口が閉まる気配がして、空気がさっと静まり返る。


 その場にはアベルだけが取り残しされていた。




 (やっぱり、)



 微かに抱いた期待があっさりと裏切られてアベルが俯く。


 一見昨夜のことがなかったかのように、何も変わらないカイン。

 だがそれも、昨夜のことは夢だったのかもしれない──そんな都合のいい願望が見せた錯覚でしかなかったのだ。




 (なんで)




 今までずっと冷たくて、たまに昨日のような僅かな優しさを見せたり、かと思えば今度は無関心である。


 カインがどこを見ているのか、もうアベルにはわからなかった。これ以上どうすれば、かつての優しくて温かい兄に戻るのだろう。


 胸が痛かった。


 初めて兄に冷たい態度取られた「あの日」よりもずっと、胸が痛かった。


 最初は信じたくなくて、頭の中で自分なりのたくさんの原因を考えて、それなら仕方ないと納得する、フリをしていた。


 しかし、あれだけの態度を出されていれば嫌でもわかる。わかりざるおえない。


 さっきの素っ気ない兄の目、あれは本気だった。間違いなく、本気だった。


 そこまでは鈍感ではいられなかった。


 一つ確かにわかったことは、カインはもうこれ以上アベルと話すつもりはない、ということだけだ。


 機会を逸し、心を結ぶチャンスは完全に失われた。それを確信した途端、胸の痛みはますます増していく。


 苦しい。痛い。


 息が詰まって、目頭が熱くなり、泣きそうになるが、アベルはそれをグッと飲み込んだ。


 泣いても何も変わらない。


 最終的は本気で拒絶されたのだから。


 唇を噛んで、アベルは絶望しそうな自分を堪えた。


 もう、以前のように戻ることなんて、きっと、ない。



 ──遠い思い出の兄は、いつも笑っているのに。


 心が温かくなるあの日が、遠い。




「アベル兄さま」


「!」




 無意味な逡巡(しゅんじゅん)を繰り返しているアベルを現実に引き戻したのは、少女の声だった。



「あ......おはよう。アワン」



 不意に背後から声をかけられて、アベルは心の悲しみを誤魔化すように、目元を慌てて拭って精一杯の笑顔を取り繕い、振り返った。


 どうやら朝の騒めきに釣られるように、この家の長女──アワンも起きたようだ。


挿絵(By みてみん)


「おはよう、ございます......」



 アワンは神妙な顔つきでアベルをじっと見ていた。


 泣いているところを見られたのだろうかと焦るが、




「カイン兄さま。もう畑仕事に出かけたのですね」


「あ......うん、そうだね。ほんのついさっき出かけたよ」




 アワンが何事もなく話を続けてくれたので恐らく大丈夫だろうとアベルは内心安堵した。




「また、置いていかれました......。今日こそはカイン兄さまの畑のお手伝いをさせて頂きたかったのに」


「えっと、今からでも遅くないと思うよ。急いで追いかけたら?」


「いいえ。今追いかけてはもし畑仕事の最中でしたら、きっと邪魔になってカイン兄さまのお気を煩わせるに決まってます。そんな愚行(ぐこう)はしません」


「そっか。アワンは相変わらずカイン兄さんが大好きなんだね」


「ッ、そっ、それは!」




 アベルの直球な言葉は見事にクリティカルヒットをかまして、涼しげだったアワンの顔はプシューと湯気が出るほど真っ赤に染まった。


 ぱっと目を逸らしたアワンは下を向いて、照れ隠しのようにモジモジしていた。




(アワンってクールのようで、結構わかりやすいんだよね)




 沈黙を貫く妹にそれが肯定なのだとアベルは判断し苦笑した。




「そんなに好きなら、アワンの気持ちを伝えたらいいのに」



 そう言って笑うアベルを、途端にアワンはバツが悪そうな表情で、そっと視線を逸らした。



「......わたしのこの気持ちは、きっと、カイン兄さまには迷惑に違いないでしょうから」


「そんなこと──」


「あるのです。逆にすんなりと他人の告白を受け入れるカイン兄さまの方が想像つかないと思うのですけど」


「それは......」




 正直否定できない。


 あんな自他共に認める「他人に興味がない」という主張を凝り固めたような兄に告白して結果どうなるかなんて想像し難くない。


 でもアワンの気持ちを考えると、肯定するのも彼女を傷つけることになるのでとても(はばか)る。




「でも、カイン兄さんってアワンだけはそばにいても、話しかけられての、怒らないし何も文句言わないよね。なら可能性なんてゼロではないと思うけど」


「......わたしだけ、ですか?」



 凝視してくるアワンに、アベルはフイと明後日の方角を向いた。



「ぼくなんか兄さんに近づけただけで睨まれるから......いや、それはまだマシな方で、昨日の夜なんか──」


「はい。知ってますよ。昨日の夜、カイン兄さまとアベル兄さま喧嘩しましたよね。それも未だかつてない大げんか。今日に至ってはカイン兄さまに無視されましたね」


「あ、やっぱり見てたんだ」




 どうやらアワンは一部始終を知っているようだ。アベルは気まずさと申し訳なさの混じり合った気持ちで頬を掻きながら聞いた。




「カイン兄さまと何かあったのですか?」


「うん……、ちょっと……ね」





 歯切れの悪いアベルに口にすることが憚られる内容なのだろうと判断したアワンはそれ以上追求する事をしなかった。

 けれどその中身が何であるかが分からない以上、下手に口出しすることが出来ないのでまたいつものように二人を見守ることに徹する。




「......もしかして、昨晩起こしちゃったかな?」


「アズラは幸い熟睡でしたが、わたしは、その、カイン兄さまの怒鳴り声でつい反応して......」


「そっか。本当にごめんね。うるさかった、よね」


「別に兄さまたちの不和は今に始まったことではないですが、」


「うっ、痛いところをつくね。アワン」



 アワンは一度口を噤むと、



「でも......、あんな......大声で怒鳴るカイン兄さまが珍しかったので、それに驚いたと言った方がしっくり来ますね」



 口数が少ない上に、表情の機微も乏しい───そんなカインがあんな感情的に怒鳴り散らす事実を知れば面を喰らうのも無理はない。



「ボクが悪いんだ。変にカイン兄さんと距離縮まろうと空振りしちゃって、さ。いつもそれで無駄にカイン兄さんを怒らせちゃうんだよね」


「......アベル兄さまって見た目によらず、結構しつこいですもんね」


「え、それって褒めてるのかな?」


「はい。褒めてます。アベル兄さまは(したた)かですね、と褒めてるのです」


「そ、そう?その割にはなんか棘があるような......」


「これまでずっと冷たくフラれてるのに、めげずにカイン兄さまに構うのをやめないのですから。その往生際(おうじょうぎ)の悪いとすら思う頑固さは見ていてとても感心しちゃいます」


「......なんか今日のアワンやけにぼくに当たりが強い気がするなぁ......あはは」


「......!」




 どうやらアワンの訳の分からないモヤモヤが出てしまったようで、敏いアベルに指摘されてしまった。そうなるとアワンははっとバツが悪くて口篭ってしまった。どうやら、無自覚だったようだ。


 アワンは咄嗟に言葉が出ず、ようやく口を開こうとしたところで、エバが声を掛けてきた。




「あら、アワンも起きたの?おはよう。今日はとても爽やかな朝ね」


「おはようございます。お母さま。すみません、寝坊しました」


「うふふ、いいのよ。昨日はアズラの寝かしつけで大変だったのでしょう?」


「ええ、まぁ......」


「うふふ。早速で悪いけれど、アワンも朝食とってから、今日はお手伝いとしてアベルと二人で羊たちの搾乳をお願いできるかしら?」


「わかりました」


「うん!任せて!」


「ありがとう。いつも二人のおかげでとても助かるわぁ」




 遊牧や狩りなど外の仕事は男が、家畜の搾乳や乳の加工、織物など内の仕事は女が基本的に役割分担となっている。


 ほぼ家にいるエバはそれ以外にも男たちが外で採ってきたツタと乾燥された草を編んでいたり、羊の毛を刈って紡いだ糸を草木で色を染めて絨毯を作ったりなど作業も担っているのだ。

 さらに木の実の皮を剥いたり、肉の臭みの下処理など家族全員分の食事の準備も兼ねているため大忙しである。


 そんな一年を通して休む暇もない母の負担を少しでも軽減するため、最近の早朝に牧畜を本業とするアベルと手伝いとして妹のアワンの二人組で山羊や羊の乳搾りが日課になっていおた。




「ちなみにアズラはまだ寝ていますが、起こしましょうか?」


「うふふ、無理に起こす必要はないわ。まだ寝かせてあげましょう。寝る子は育つものね」


「アズラまだ寝てるの?そう言えばさっき寝かしつけが大変って......」


「......アベル兄さまが悪いのですよ」


「え!?ぼく!?」



 側からボソッとアワンの小さな非難がアベルの耳を打ち、アベルは驚きの声を上げた。

 その様子を見て、エバは事情を説明した。




「アベル。ここだけのお話。アズラはね、昨日あなたが構ってくれなくて拗ねていたのよ?それでアワンがずっと一日中あの子を宥めてたの」


「そ、そうだったんだ......」


「それでね、お母さんからのお願いだけど、アベル。搾乳作業終わったら、少しアズラと遊んであげてくれるかしら?」


「あ、うん。それは全然いいけど」


「ありがとう。それであの子もきっと機嫌を直してくれるわ」




 なぜかエバは苦笑い気味にそう言い残すと、自分の作業をするためにその場を後にした。


 側から呆れたようなアワンのため息が漏れた。




「アズラ、何かあったの?さっき拗ねてたって──」


「そりゃそうですよ。昨日はあの子と花摘みするって話になっていたはずではありませんか。




 尋ねられたアワンは無心という表現がぴったりの表情で立ったままのアベルの顔を見据える。同じ金色の瞳はあまりに静かで底知れない。




「それなのにあなたときたら、放牧から帰ってきたかと思えば、カイン兄さまのことが心配だって言ってすぐに飛び出して.....」


「..........ぁ!」


「あなたっていう人は......」




 ぽつりと、視線を落としたアワンは言葉を(つむ)ぐ。その呼びかけは、ぼやき声のような、恨めしさが若干篭()もったような声で、アベルは怖くなった。責められるような気がしたのだ。


 アワンは言葉を続ける前に、寄せた眉の下の瞳をこちらへとあげた。途端に虚をつかれた顔になって、アワンは「まあいいです」と眉間の皺を消してしまう。アベルがあんまり情けない顔をしていたから、言うのをやめたのだろう。




「その様子を見るにすっかり忘れているようで。......よほどカイン兄さまのことで頭いっぱいだったのですね」


「う、ごめん。完全にぼくが悪いです」


「謝るのならわたしではなく、アズラにです。羊の搾乳終わったら必ず会いに行ってください」


「うん、そうだね!必ずあとで埋め合わせするよ」




 屈折のない、眩い笑顔で即答されると、アワンもそれ以上は何も言うことはない。


 そんな会話を交わしながら、二人は牧草地に辿り着いた。

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