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【完結】序芝居  作者: のぼぼん(º∀º)
【転】〜カインとアベル〜
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10話『届かない思い』★

 ─── そこは、温かな世界だった。




「またへばってんのかよ。置いてっちまうぞ」



 そこは一つの草原。


 幼い二人の子供が追いかけっこしていた。


 からかう口調。

 悪戯っぽく笑ういつもの表情。




「ちょっ!!カインにいちゃん!?ひどいよ!」



 足元から膝辺りまで上がる視線で、自分が起き上がった事に気付いた。



「動けんじゃないか」

「動けるけど辛い!今肋骨の辺りがビキッとなった!!」



 はははっと軽やかに笑う姿から視線が動き、大きな左手が目の前に差し出される。


 それが兄のものであるのは、すぐにわかった。



「掴まれ」



 いつも差し出してくれていたその手に触れようと手を伸ばした所で、まるで作り物のように視点が変わった。


 見えるのは手を差し出した兄と、その手を掴む自分。



 何度も夢の中に浮かぶその景色を、まるで走馬灯のようだと、アベルは思っていた。


 まさに「幸福」という二文字が言い表せた記憶。



 笑みを浮かべたカインが、そこにいた。


 心の底から穏やかに瞳を細めて、誰かを優しそうに見つめていた。


 それが自分のような外見をしているのに、“自分”ではないことを、アベルにはよくわかっていた。


 これは、自分の人生ではない。

 そして、過去でもない未来でもない。



 まるで優しく見守るようなこれは、

 誰の記憶──?




 一瞬、


 カインの背後に、赤い影が通り過ぎた気がした。





     ◇◇◇◇◇◇◇





 遊牧民の朝は早い。



 寝返りを打って、ゆっくりと目を開き、アベルはまだ眠気ではっきりとしない視界に何度か瞬きを繰り返す。


 両親の寝床はもちろんもぬけの殻。仕切り布の向こうには変わらず小さな膨らみが二つ健在だった。


 相変わらず大人組はすでに起き出して活動中。妹組は未だ夢の中なのだろう。



 アベルはまだ開き切らない瞼を擦りながら──太陽が地平線から顔を覗かせるよりも前に──のそりと起きて支度をする。


 外を見れば薄明るい夜明け前。


 山が連なる空の向こうで東雲色が滲み、もうすぐ朝が来るのだろう。夜の濃紺は西へ西へと吸い込まれていっていた。


 肌寒さに襲われてアベルは漏れでそうになる欠伸が引っ込み、代わりにくしゃみは出そうになったので、すぐに羊の毛や狼の皮から作られた耐寒性の高い短い衣を纏った。


 アベルは昨夜と同じく妹たちを起こさないように、そぉっと寝間から離れた外へ出る。



(うわぁ、寒い!!)



 まだ薄暗い高原の空気に少しだけ身を震わせる。

 季節が春とはいえ、山嶺の中腹に位置するだけあってこの一帯の気候はかなり寒冷だ。


 毛織物を羽織ってなければ瞬く間に体調を崩してもおかしくはない。

 強い肌寒さから逃れるように──アベルは朝食を取ろうと早足で寝所の隣にある住居の戸口を潜った。



「あ......、」



 入ってすぐに屋内の焚火の温かさを感じると同時に、視界の向こうにはカインがいた。どうやら農具の手入れをしているようだ。どうやらもう朝食は済ませてあるだろう。



 昨日あれだけ疲弊するも、一夜にして既に回復してその身に蓄積した疲労感なんて残されていないように感じた。


 ちなみにアベルは昨日畑の処理だけで実は筋肉痛で体があちこちズキズキと悲鳴を上げている。



(これぐらい日常茶飯事だしね)




 アベルは羽織っている毛皮を脱ぐと、



「おはよう。アベル。もうできているから食べちゃいなさい」




 戸口で突っ立ってるアベルをエバが声を掛けてきた。



「お父さんはもう済ませて狩りに出掛けたわよ。カインもそろそろ畑仕事に出かけるんじゃないかしら。あなたもそれを食べて、朝のお勤め頑張ってね」


「うん。わかった。ありがとう」


「じゃあ、お母さんこの後家畜たちの餌やりしないとだから」



 早口でそう言ったエバはパン粥が入った木の椀をアベルに渡し、家屋からそそくさと出かけた。


 少し大振りの椀には出汁で溶けたパンが具材と絡んでいる。嬉しい事に肉入りである。昨日に妹達が採ってきた山菜や小魚なども入っている様である。


 朝のこの時間は慌ただしいのは仕方ないが、実に(せわ)しないと思いつつも、アベルは素早く腹へと収める。





     ◇◇◇◇◇◇◇




「行ってくる」



 ちょうどアベルが食べ終わった頃に、農具の手入れを終えたカインは毛皮を羽織ると、(くわ)を担ぎそそくさと畑仕事に出かけようとする。


 そんな毎朝のストイックな兄の姿勢に、アベルもいつしか「自分の仕事を頑張ろう」と引き締まる思いになったのはここだけの話。


 いや、そんなことよりも──、



「あ......、」




 アベルはカインの後ろに近づいて迷っていた。


 しばらくは影から見守るくらいの距離感でいるべきだとは分かっているのに、いざ目の前にすると昨日二人で畑にいた時のような他愛ない会話をしたくて仕方がない。




 (どう、声を掛ければいいのかな......)



 おそらく、アベルが後ろにいるのをカインは気づいているはず。


 心臓がバクバクした。


 もしかしたら振り向いてくれるのでは。

 もしかしたら兄から話しかけてくれるのでは。

 もしかしたら、もしかしたら。


 しかし、そんな期待と杞憂が混ざりあった予想は、呆気なく“何事もなく”通り過ぎてしまったのだけども。


 カインはアベルを見向きもせず、まるで見えていないかのようにその右足去ろうとする。


 それにアベルは慌てて口にしようとして、



「───か、カインっ兄さん!」



 思いっきり、声が裏返ってしまった。



 しかし、それが功を奏したのか、意外にもカインは立ち止まり、ゆっくりと振りかえてくれた。


 無視される事を覚悟したアベルはとりあえずほっとした。


挿絵(By みてみん)


「えっと、おはよう!」


「.........」


「もう、出かけるの?朝のご飯は食べたの?」


「.........」


「あの、昨日のことは」


「それはもういい。終わったことだ」




 それはどういう意味なのだろうか。単純にもう許したから気にしてないのか。あるいは──、



「お前もさっさと今日の勤めを果たせ」



 こちらに背を向けて、カインはそれで話は終わりと言わんばかりに戸口へ向かう。


 表情が見えない。感情が伝わらない。


 そんな兄に、アベルは底冷えするような悪寒を覚えて、咄嗟に遠ざかろうとする背中に手を伸ばす。



「待って!カイン兄さん!!あの話は......」


「どの話だよ」



 言いよどんだ途端に切り返される。追い詰められる気分を味わいながらも、後には引けずにアベルは続けた。



「えっと、新種の作物が無事完成したら見せてくれるって話は、どうなるの?」




 縋りつくアベルの情けない声に、カインは立ち止まったものの、顔を向けないまま応じる。


 息を呑むアベルに、カインはようやく顔だけを振り向いた。





「めでたいやつだな」


「え…...?」




 遮るように耳に飛び込んできた酷く冷たい声に、アベルの思考は一瞬凍りついた。




「お前はいちいち言葉にしないと、分からないのか?」



 反射的に顔を上げると、カインは今までアベルに向けていたものとはまた別の、何の感情も映さない瞳で見つめてくる。


 そこにはもはや負の感情すらも見え隠れない。アベルの心臓がひやりと悲鳴を上げる。




「昨日の夜あんな事があって、オレがそんな約束をまだ考えるとでも思ったのか」


「兄さんを不愉快にさせたのなら謝るよ......ボクは、兄さんとずっと喧嘩のまま終わらせてたくないんだ、」



 それでもアベルはどうしてもやり切れず、絞り出すように言うだが、それは到底目の前のカインには届かない言葉だったのだろう。




「ぼくは......ただ、兄さんと、あの頃みたいに、」




 そして案の定カインはあからさまに眉を寄せて、鬱陶しそうに言い捨てる。



「つくづくお前は酔狂(すいきょう)な野郎だよ。昨日オレにあれだけ言われてまだそんな事言ってんのか。──あんな約束なんてなしに決まってんだろ」




 懇願するようなアベルの言葉は、カインの容赦ない悪意に上書きされる。




「......兄さん」


「オレはお前に関わりたくない、と言ったはずだ。──だからお前の言う約束を考える話も当然なしになるのが自然じゃないか。いちいち言わなくたってわかるだろ。それくらい」




 ため息と共に浴びせられた言葉の棘をまともに受けて、アベルは何も言えなかった。


 至極もっともな意見ではあるからだ。



「そもそもの話だな」



 アベルが黙り込んで俯くと、カインは追い詰めるかのように冷ややかな視線を浴びせた──心が凍りつきそうなほど冷たく鋭い眼だった。




「昨日お前に畑の手伝いをさせたのも、お前と一緒に丘で休憩時間を過ごしたのも、全部」



 ──オレの気の迷いだ。


 そう続けられるはずだった言葉は、沈黙で遮られる。


 微かに見開かれたアベルの目。


 その指先から腕まで小刻みに震えている。


 青褪めて動けなくなったアベルを、カインは地面に転がる石でも見るように一瞥し、顔を背けた。



「......とにかく、これに懲りたら、もうオレに構うな」




 カインは特に何も言うわけもなく、そうだけを淡々と吐く捨てて、今度こそ出かける。


 目を合わそうとせずに、静かに、去っていく。


 歩き出すカインが遠ざかる。その背に手を伸ばすどころか、見送る勇気すら今のアベルには湧いてこない。



 物理的に遠ざかる距離。


 そして、それ以上に遠ざかった心の距離がある。


 もう兄の目にはアベルの存在など映っていないのだ。



 ──きっと、これからもずっと。

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