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【完結】序芝居  作者: のぼぼん(º∀º)
【転】〜カインとアベル〜
72/160

9話『兄弟の確執』★

 足が───動かない。




 視線を───外せない。




 呼吸が───出来ない。





 酷く───・・・悲しい・・・。



















 ──やってしまった。



 やってしまった。やってしまった。



 カイン兄さんはとにかく、人から触れられるのがひどく嫌っているのを知っていたのに。


 今日の帰り道、カインの方から珍しく──粗暴とはいえ──手を引いてくれたから、てっきりもう大丈夫なのだと油断していた、調子を乗っていたのだ。



「アベル。こっちへいらっしゃい。ほっぺが赤くなってるわ」



 そんな放心状態でアベルはエバに端に連れていかれ、頬に冷たい布をやさしく充てがわれた。


 頬に僅かな冷やしを感じる一方で、アベルは内心激しく後悔に苛まれていた。


 


「カイン。弟を叩くなんて、お前というやつは、......」


「コイツが勝手にオレに触れようとしたからだろ!?」




 金切り声で、屋内を揺るがすような怒声を、張り上げていた。




「何度も何度も何度も、何度も!!!オレに触れるなってあれほど言ったのに!!吐き気がするからやめろと強く怒ったのに!!なのに、こいつは今、また気安くオレに触ろうとした!本当なんなんだ!こいつはぁァア!!!」



 もう、滅茶苦茶だった。


 感情が(せき)を破って溢れ出すのをやめられない。こんな時の理性というものなんて、何にも働いてはくれない。



「ずっとずっと我慢してきた......!!もう限界だから言わせてもらうが、オレは別に愚弟(こいつ)のことなんてどうだっていいんだよ!いつまでもガキの仲良しごっこなんてしてられねーんだよッ!!気持ち悪いんだよ!!」



 服袖を掴む指先が戦慄(わなな)き、爪の食い込むカインの掌に血がにじみ始める。

 叫ぶ声は所々が裏返り、聞き苦しさに拍車をかけて響き渡った。



 再び沈黙が訪れる。


 怒涛に捲し立てたせいで、カインのぜぇぜぇと肩で息する音だけがその場に響く。


 いや、その場の沈黙を埋めたのは彼の息の音だけではない。



「......ぅくっ......ぅ」




 嗚咽がカインの耳に刺さる。


 誰かが、泣いていた。



 ──見れば、嗚咽音の先にはアベルがいた。


 吐き捨てられカインの拒絶の言葉にアベルの感情は乱されて、涙湛えたその見開かれた瞳の中で、大きな目はゆらゆらと揺れた。


  


「ぼ、ぼくは......っ、ただ、昔のカイン兄さんに戻って、欲しくて......ぅっ」

 



 大好きだった。


 アベルはかつて優しかった兄が大好きだった。


 だけど、今目の前に居るカインはアベルの好きだった兄の欠片なんて何一つなくて。

 酷くアベルを詰っては、昔の優しい思い出を消し去っていく。 消し去る思い出を埋めるかのように涙ばかりが彼のバランスを補う。




「なんだよ......」



 カインはさめざめと鳴く弟の嗚咽を聞くうちに、煮え立っていた興奮が冷めていくのが分かった。 




「なんなんだよ......どいつもこいつも昔のオレに拘りやがって......」




 今のカインを否定することにそう悪態ついて、己の拳を強く握りしめた。




「あの頃のオレの方が“異常”だったんだ......“アレ”はオレじゃ無い。......そうだ。きっとそうなんだ。どうかしてたんだよ、クソが...」




 うわ言のようにカインが呪いの言葉を吐く度、アベルの視界がぼやけていく。


 涙と悲しみが視界をぼやけさせて、カインの輪郭が朧気になる。自分よりも大柄な兄のシルエットがもう誰なのかもわからない。





「ぅ......、カイン、兄さんは......まだボクのこと()()()()んだね......ひっく...っ、」





 そう問うたアベルの顔には傷ついた色しか浮かばれていない。

 



(許せない......?)




 今日の畑荒らしのことかと思ったが、アベルのどこか虚空を見つめる眼を見ると、直感的に違うと思った




(こいつは、何が言いたいんだ?)




 頭痛がひどくなった気がした。


 それから逃避するするようにカインはぷいと、視線をあさっての方向へ向けた。これ以上アベルを見ていたくない。




「......、とにかく、兄弟同士の馴れ合いとかそういうのはオレに求めんな」


「にい、さん......」




 カインから先ほどの恐ろしい剣幕はなくなっていく。アベルは密かに肩の力を抜いたが、今度はカインが苦虫を噛み潰したような顔をしていて、明らかに様子がおかしい。いくらアベルでも、こんな兄を見るのは初めてだった。




「オレは、どうあがいたって、良い兄になんかなってやれねぇんだ......」




 その掠れた声は、なぜか泣いてるようにしか聞こえなかった。


 カインは泣いていない。


 泣いているのはアベルなのに。




「お、おい!カイン......!?」


「待ちなさい。......カイン!」




 父の物言いたげな瞳。

 母の物言いたげな瞳。


 それらを背に感じながら、カインはわざと無視した。




「明日も早いだろ。農業に差し支えないようにさっさと寝るんだよ」




 視線を合わせることなく、カインはそう吐き捨てながら身を翻し背を向けながらツカツカと速足に出て行く。


 消えた長男の背をいつまでも見つめるように立ち尽くすアダムは、引き留めようと宙を切ったその手にギュッと拳を作れば、深い溜息を吐いて顔を覆った。




「こりゃ......思ったよりも重症だな」




 一筋縄では行かなそうだ、と苦虫を噛み潰した顔のアダム。困ったように俯くエバ。


 いつの頃からか、カインとアベルという兄弟の間にどれほどの確執があったのかはわからない。


 それは時間が経過しても決して薄れない、それどころか時を経て溝を深くするほど根深い問題だったのだと、改めて痛感させられた。




「......ごめん、なさい」




 吐かれる息と共にこぼれた言葉に、アダムとエバはハッとしてアベルへ目をやった。


 両親の視線を受けてもアベルは誰にも視線を向けず、落ち込むように続けた。




「──どうしてアベルが謝るの?傷つけられているのはあなたなのに?」


「お父さんも、お母さんも、ぼくと兄さんが仲悪いの気にして、それをなんとかしてくれようとしてくれたのに......またぼくは兄さんを怒らせちゃった......」




 アベルは痛みを堪えた顔を向けてくる。その、辛そうな表情。




「兄さんにあんな言葉を言わせてしまった。ぼくが余計なことしなければ、......ぼくなんかのせいでっ、せっかくの家族団欒(だんらん)が台無しになっちゃった......っ」


「お前は何にも悪くないぞ?さっきのはお父さんが加減を知らなくてカインを無駄に怒らせたのだ。そのとばっちりがお前に行っただけさ」


「ええ。そうよ。アベル、あなたもカインの言ったこと、あまり()に受けないでね」


「う、ん......」




 両親から慰めの言葉を掛けられても、当然アベルの表情は晴れることなく、居た堪れなくなって、目を伏せる。




「にしてもあれだけ感情的なカインをワシは初めて見たぞ。親として、あいつがあんな風に怒るの初めて見た。あいつはいつもあんまり多くは語らんし、正直いつも何考えてるか分からんかったが、アベルのことになると、カインはああも口を荒げるし、」




 アダムはそこで一旦言葉を止めた、そして続けた。




「その......なんというか、人間らしくなるのだな」


「あの子は、アベル以外の家族にはいつも淡々としているものね」




 そんな両親の評価を聞いて、やっぱり自分は兄に嫌われていたんだ──と考え始め、アベルの眉が八の字に下がる。


 カインが露骨に憎悪という感情をぶっつけるのは自分だけ──そんな兄との一朝一夕では埋められない隔たりを改めて痛感させられた。


 あんな嫌悪感を込めた呪いの言葉を浴びせられたけど、


 あんな激しい拒絶を含めた目線で刺されたけど、



 ──それでも、




「お父さん。お母さん。ぼくは、カイン兄さんと仲直りしたい。今すぐじゃなくても、またあの頃のボクたちに戻りたい」


「アベルはやさしい子ね。そんなあなたならきっと大丈夫。あなたがその気持ちを忘れない限り、いつかきっとカインにあなたのやさしさが届く日が来るはずよ」




 エバは優しく微笑んで、アベルの頬にそっと手を添えた。


 まだまだ自分より背の低い、痩せ細った次男。あどけない顔をして、純真無垢な心を持って、だからこそ傷つきやすい。




「さあ、残りのご飯を食べたら、あなたももう寝なさい。あなただって今日は疲れてるはずだし、明日も早いでしょう?」


「うん......」


 


 そう促されたアベルは残りの夕餉をゆっくり手をつけた。



 あんなにほっぺが落ちそうなくらいに美味しかった母の料理もまるで幻であったかのように、心の落ち込みがそれを味気なくさせた。






      ◇◆◇◆◇






 すべてを平らげた後、母に申し訳ないと思いながらもアベルは両親よりも先に隣の寝床となる住居へ移動した。


 中に入れば、真っ暗な住居の奥で並んで寝静まっているアワンとアズラの影が微かに視界に映る。


 天井から吊るされる麻と組み合わせできた大きな布が彼女たちの寝床の空間を仕切っているため、確かな様子は確認できない。



 だが、穏やかな寝息が聞こえてくるのでおそらく熟睡しているのだろう。




 (起こしちゃったらかわいそうだからね......)




 夢の中にいる妹たちを起こさぬように、アベルはそぉっと寝所へ入り、戸口の一番近い場所の端で寝ることにした。


 土間の上にはありったけの藁が敷き詰められ、その上には直接動物の毛皮が敷かれている。

挿絵(By みてみん)

 そうした寝床に雑魚寝で眠る。これが当たり前の生活。家族全員で寝るにはとても狭い寝所の住居なのだ。



 

 (ううん。違う。家族“全員”じゃない)




 妹の二人はここで寝てはいるけど、アベルよりも先に眠りにつくはずのカインがここにはいない。


 でも、それはいつものこと。


 随分昔にカインは誰かと同じ空間で寝ることが億劫で、この家屋から少し離れた開けた土地を拠点に自分だけの小さな寝床を作ってそこで寝ているのだ。


 寝床といっても、鹿の皮を使った小さなテントのような簡単な住居である。


 家屋では周りに石や木の枝を積み上げてそれなりの防壁を築いているから滅多にある話ではないが、もし猛獣などの外敵に襲われたら、一家総出ならすぐに対処できても、単独ではきっと無事では済まされない。


 そのため最初こそは父も母もそのことに反対して説得したのだが、決して聞く耳を持たないカインにいつしか諦めるように黙認するようになった。




(せっかく今日カイン兄さんといい感じに打ち解けたのになぁ.....)




 ほんの少しだけど、と内心一言付け足しながら、仰向けに倒れ込んだ。


 帰り道のあの約束事みたいな期待させるような事を言っておいて、あの場であっさりと簡単に突き放す。しかも未だかつてない強い、強い拒絶だった。




(なんで、こんなことになるんだろう)




 どうして、と反芻してアベルはぎゅっと目を閉じた。


 少し冷静に考えれば、あの状況でもっと上手く立ち回れたかもしれないものの、アベルはそう言った(いさか)の経験は──苦手としているため──それほど深くない。


 きっとあの場で自分は傍観者でいるべきだったのだ。


 アベルさえ何も口を出せず大人しく見守る事を徹すれば、カインの激昂を助長することもなかっただろう。


 もしかすると、あの場で父と母だけに任せれば── ほんの少しだけカインと距離を縮められた今日なら──もしかしたら今頃は長年不和だったカインと和解していたのかもしれない。



(確かにそれが無難だったかも)



 それを理解できるほどアベルは賢明だった。しかし、それを実践できるほどアベルは狡猾ではないし、あの錯乱状態に近いカインを黙って見ているほど、アベルは冷徹ではない。


 ──どのみちあの場でカインとの溝を深まるのは避けられない。


 そういう結論が出てしまっては、アベルはまた落ち込んでしまった。一つ寝返りを打つと、髪をぐしゃりとかき上げた。




(なんで、こんなに傷ついているんだろ......)



 兄に冷たい言葉で拒絶されるのなんて初めてではないし、情の無い台詞を面と向かって吐かれたのも初めてではない。


 今では、そういう関係だった。


 一方的に邪険にされでも、兄弟で。



(わかってた、のに……)



 冷たくされるのは初めてじゃない。なのに今日に限って涙が出そうになるのは、きっと少しでも兄のかつてのようなやさしい部分に触れてしまったから。


 無理やりにでもそう思って、アベルは泣き崩れるように膝の上に身を折ると、重ねた腕に額を押し当てて、目を閉じた。だが、すぐには寝れそうにない。


 自分の寝床に駆け込んでからもアベルは自分を落ち着かせるのに四苦八苦していた。



 いまは夜の静寂だけがアベルの慰めだった。……こうしてやり場のない感情に身悶える時こそ。




(はぁ......なんだか、ぼくって、全部裏目に出ちゃうんだろう)




 アベルがどんなに努力しても、兄との謎の確執は消えず、関係が一向に悪化していくだけ。


 それでも、どこか兄を見限ることができない自分がいる──異常なのはカインではなく、実は自分の方ではないかと思うくらいに。


 胸が未だに痛いのは、まだ兄に対しての情があるからだ。



(もう、無理なのかなぁ......)



 自分たち兄弟がかつてのように仲直りすることは。いや、そもそも自分たち兄弟は、初めから仲良しなんかじゃなかったのだ。



「.........、いやいやっ!そんなわけないよ…...!」




 思わず否定が口から漏れる。

 

 一瞬だけ頭を過ぎた考えを打ち消して、アベルは雑念で支離滅裂になりかけている自分をどうにかするため、寝床の敷き布に顔を押しつけて、半ば意地でそのまま身を預け眠りにつこうとする。


 そうやってずっと目を閉じると、ようやく今日の疲れが一気に襲ってきて、やがてアベルは引きずり込まれるように眠りに落ちた。

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