3話『新種の野菜とカリスマ』
───数時間後。
それから二人は荒らされた畑の処分という単調な作業が黙々と行われ、きちんと終えることができた。
「お......終わったぁぁぁ!!!」
慣れない作業に普段使わない部分の筋肉や足腰を使い、アベルはドッと疲れ果てて、脇の斜面に崩れ落ちた。
汗だくになって肩で息をしながら大の字に寝転がるアベルを見て、カインは情けない、と呆れて呟いた。
「カイン兄さんはすごいね。全然疲れていない」
「これしきのことでくたばっては、農業は務まらんだろう」
「いつもこうやって後片付けしてるの?」
「お前の羊に畑が荒らされる度に、な」
「ごめんなさい.......」
自分が日頃どれだけ兄の大事な畑を台無しにしてきたのか改めて痛感したアベルは反省した表情を見せた。
「まぁ、でも」
「......おっ!?」
カインは畑の横に止まってある台車に積んでいた収穫物の中から気まぐれに一つを取ると、それをぶっきらぼうに空中へ放り投げアベルの手へと渡る。
「本来オレが一人で処分する時間より大幅に短縮された。お前が手伝ったおかげであるのは事実だ。──それはオレなりの礼だ」
「これ、は......?」
「トマトだ」
「とまと?」
見ればそれは真っ赤に熟していて、美味しそうだ。果物に見えるけど、これも野菜なのだろうか?
「最近開発した新品種だ」
「新品種?」
「オレが独自で開発した野菜だ」
「え、すごい......!」
カインの《神の豊穣》は、よくこうしてそれまでまだこの世界で存在しない未知なる野菜を生み出すことができる。
とはいえ、初めはただの偶然の産物だった。
作物の種のレパートリーが少ないことを悩んだカインが、「こういう野菜あればいい」と想像を膨らませながら土を耕したところ、後日本当に畑の土から収穫したことで実現できたのだ。もはや神の創造に近い御業である。
「へぇ〜新しい野菜を生み出すなんてすごいや!どうりで最近家の食卓で見ないわけだね」
そして今ではその《神の豊穣》を駆使して、カインは種蒔き終えた畑の土に手を当て、新製造したい野菜のイメージを念じることで、その通りに新種の「何らかの作物」が土から生えてくるのは日常茶飯事のことなのだ。
「で、でも、初めて食べるからちょっと緊張するね......」
「毒を食えじゃあるまいし、いいからさっさと食べてみろ」
とはいえ、初めて見る未知なる食べ物は、不思議に思うと同時にほんの少し勇気がいるものだが、強く促されるアベルは恐る恐る大きく口を開けてトマトに齧り付いた。
「む!?」
しかし、違和感は一瞬で解消されることとなった。
シャクッと音を立てて、口の端から真っ赤な果汁を垂らしながら、ニ、三度咀嚼すると......、
「お、お、おいし─────ッッ!?」
想像以上の反応が返ってきてカインは僅かに面を食らったが、すぐにいつもの仏頂面に戻り、「当たり前だろう」と返した。
そんなカインを横目に、アベルは艶々とした真っ赤なトマトに今度は大口でかぶりつく。
歯が分厚い皮を突き抜け、驚くほどの水分と控えめな酸味。そして思った以上の甘さ。
(野菜なのにどうしてこんなに甘いんだろう!)
アベルは不思議でたまらなかった。驚きつつも夢中でかぶりつき、あっさりと完食してしまった。
「はぁ〜本当においしかった......!」
「それだけ腹壊さずバカみたいに喜ぶんだから、今度の食卓に提供しても問題なさそうだな」
「......え、なんだかそれってぼくを毒味させたみたいにも聞こえるんだけど......」
「オレが開発した新しい野菜を最初に口にできるんだ。むしろ光栄なことだろ」
「すごい自信家だね、でも確かにこのトマトもそうだけど、カイン兄さんの育てた野菜はどれも絶品だしね!」
興奮気味に熱弁を振るい、トマトの味わいに感動するアベル。
キラキラとした眼差しで絶賛されるのは、普通なら悪い気はしないはずなのに、カインは嬉しいというよりも気が抜ける思いだった。
そんな戸惑う彼の様子を気に留めず、アベルはさらに顔中に飛び散ったトマトの汁を腕で拭いながら、ニコニコとこう締めくくった。
「あはは!改めて思うけど、カイン兄さんのカリスマは本当に素晴らしいよねっ!」
「なんだよ。急に」
「だって、ここら一帯の地は全部兄さんが耕したんでしょう?しかも、季節によって丁寧に畑が分けられているし」
「季節によって実る作物が違うからな。こっちが夏用の畑で、あっちは秋の収穫用…といった段取りにすれば、滞りなく神に一年中捧げ物ができるってものだ」
カインの説明に、アベルは内心舌を巻いた。我が兄ながら随分と見上げた心掛けだ。きっと我が神もお喜びになるに違いない。
「うん。やっぱり、すごいや。そこまで考えられるなんて、しかもカリスマでここまで実践できているあたりさすがだよ」
「......さっきからなに他人事みたいに言ってんだ。神の力は素晴らしいことは否定しないが、カリスマを授かったのはお前だって例外ではないだろ」
それまで呆れたようなカインだったが、不意にアベルの顔を真っ直ぐと射抜く。
「え?」
「だから、お前には《神の遊牧》があるじゃないか。それだってすごい能力には変わりないだろう」
低い声は地を這いずるようだ。そのセリフにアベルは僅かな動揺を示した後、きゅっと口元を引き締めた。
「あはは......なんだか、意外。カイン兄さんがボクのカリスマを褒めてくれるなんて、」
カインがアベルのカリスマ能力に一目置いていたとは思わなかった。彼が他人に興味を持つようなタイプではないと弟ながら重々承知しているだからだ。
「でも、ボクのカリスマなんて兄さんと比べたら大したことないよ」
「大したことのないカリスマなんて存在しないだろ。カリスマはいわば神の力。未知数なんだよ。それをいかに偉大な力を発揮できるかは、使い手次第。───ようは、頭の使い所だ」
カインは己の頭を人差し指でトントンと叩く。
「どんな素晴らしい神の力でも、使い手がそれを上手く活かす気がないのなら、所詮は宝の持ち腐れ」
「えっと......?」
カインの意図が見えず、アベルは眉尻を下げ困ったように彼を見つめた。
「要するに、だ。お前の《神の遊牧》にだって、同じようにまだ知らぬ意外な使い方もあるかもしれない、それが思わぬところでも役に立つ可能性だってあるということだ」
「ん〜?それはどうかな......?《神の遊牧》は動物たちの場所の把握、そして動物を自由に操れるけどさぁ、でもそれもやっぱり馬とか羊、山羊、豚、とか家畜にできる動物に限られちゃうから......」
家畜以外の動物にはまったく効果を発しないカリスマは果たしてすごいといえるのだろうか。仮にこれで猛獣とかも使役できるのなら、アベルは自身のカリスマ能力をもっと少し誇れるのだが。
「だから、それをいかに有効活用するかで、さらなるカリスマの能力昇華できるかもしれないだろ。そうすればカリスマ能力の使い道ももっと増えるはずだ」
「う〜ん。そう簡単に言うけど......ぼくってカイン兄さんと違って、頭の回転良くないだから多分難しいだろうなぁ」
「フン。よく言うわ、言い訳ばかりで怠惰そのものだな」
憮然と吐き捨てるカインに、それまで苦笑するように返答していたアベルはそこで目を瞬く。
カインは鋭くした目でアベルを睨みあげた。柔和だったアベルの横顔も、さすがに僅かに硬直してしまう。
同じように見返したアベルは、カインを怒りではなく戸惑いを浮かべた瞳で見つめる。どうして「怠惰」という言葉を投げかけられたか、わかっていない顔つきだった。
「・・・・・・お前の場合は機転が利かないのではく、やる気ないの間違いだろうが」
「そ、そんなことないよ......?ぼくなりに頑張ってもっとほかの使い道あるんじゃないかって捻り出そうとはしてるけど、やっぱりこの能力で牧畜以外の斬新な使い道なんて思いつかないし......自分の持っているカリスマ能力だって有効活用どころか、普段使いこなすのさえも怪しいし......現に今日だって能力の持続効果できなくて迷惑かけるし」
言葉だけ聞けば、ひたすらに悔やみ、馬鹿みたいに落ち込んでいるようにも思えた。しかしアベルの瞳は輝きで照らされ、その表情も次第に明るくなる。
「だから、そんなぼくなんかよりもカイン兄さんはすごいよっ!なんでも完璧にやれるし、頭もいいし、農業という仕事を選べるのがその証拠だもん!!」
本心なのか、建前なのか、そんなことはわからない。
ただ、カイン自身の感覚として、過度な卑屈とも言えるアベルからの賞賛は、違和感でしかない。
お愛想の笑みを向けられて、
──カインにはそれが少し、歪に感じられた。




