24話『束の間の親交』★
「とってもきれい......」
その時柔らかくうっとりした甘い感嘆がすぐ近くからアダムの耳を擽る。声の主を辿れば、それはエバだった。
きらきらと輝きそのつぶらな瞳には強い興味と感動が漲っていて、まるで優れた芸術に陶酔している表情になっていた。
どうやら我知らずにエバはルシフェルへの賛称を口から漏れてしまったようだ。
「あ.......ちょっと、エバ!」
焦ったアダムの呼びかけが聞こえない程に、エバは我知らずに小さく一歩前へ歩み出て、孤高に聳えるルシフェルを見上た。 その立ち姿すらも、あまりに洗練された完璧なものだった。エバはその美しすぎる天使に優しく語りかけた。
「はじめまして。わたしはエバ。あなた、天使の中で一番きれいね。」
「......」
相手がアダムなら間違いなくイチコロであろう、その小さな顔一杯に愛嬌溢れた人懐っこい笑顔だった。
それなのに、その極上の華やかな笑顔を向けられたルシフェルは微動だに揺るがず黙殺した。それどころかますます彼の雰囲気が険しくなるのを察せる。忌々しげにアダムとエバを睨みつけた。
初対面だというのに、まるで人であるアダムたちを不倶戴天の仇とでも狙う目の前の最高潮の美しい天使に、アダムも今度は萎縮を通り越して不思議とすら思う。
果てしなく重苦しい空気に耐えきれなくて、アダムは口を開こうとした瞬間に、
「でしょ〜でしょ〜!?人にもルシフェル様の魅力が分かるなんて、やるじゃないっ!」
やたらと威勢のいい甲高い声が飛び込み、アダムとエバは大いに驚く。
他の七大天使たちはどこかやれやれな様子だった。アダムは周囲のそんな反応を尻目に、元気よく目の前に駆け寄る天使を見る。
この中でも一番小柄な愛らしい天使──ハニエルは興奮気味につらつらと早口に喋る。
「ルシフェル様は私たち天使の中でも一番綺麗で、神様に一番愛されてるすごいお方なんだよぉ!【曙の明星】と呼ばれるくらいなんだから!こうして直接その栄光をお目にかかれることくらいありがたいことなのよ!」
「あ、ああ。それはすごいな。」
胸を張ってドヤ顔をする彼女の注釈にアダムはたじろぎつつも相槌をした。若干反応に困るも何にせよ、今のアダムにとって正直ありがたかった。
この気まずい場を抜け出すことができれば、どんな干渉でもよかったのが掛け値ないアダムの切実な本心だったからだ。
「へぇ〜!にしても、あなたたちが【人】なんだねっ!どんな被造物かと思ってたけど、審美眼も含めて、案外わたしたち天使とそう変わらないのね〜♪」
大きな丸い瞳は、表現力に富んだ少女の表情をさらに魅力的に掻き立てる。誰もがその少女のような天使の挙動に微笑みを浮かべてしまうような、親しみのある可愛げだった。
「ふふん♪わたし気に入っちゃったかも!“女”のヒトがエバちゃんだったね!“男”の方は名前、なんていうのかな?」
きゃっきゃと楽しそうにハニエルからの問い掛けて、ようやくアダムは自分だけまだ名乗っていないことに気づいた。
「あぁ......わたしの名はアダムだ」
「アダムちゃんね!さっきも名乗ったけどあたしはハニエルだよぉ!どうぞよろしく!」
ハニエルのリアクションを皮切りとして、それまで静かに傍観していた他の天使たちも次々と寄って、アダムとエバを囲って各々の反応をし始める。
「“Adam”......ふむ。まさに“土から創造されし人“そのものを示す名。そして、その人から生まれ落ちた“生命”──“Eva”。うむ。実に良い名だ。」
「え?ああ。どうも」
顎に手を当てて、ラファエルは考え込むような姿勢で人の名に率直な感想を述べる。
それに対してアダムもまさかここで自分たちの名前を褒められるとは想定していなかったため、月並みの返事しかできなかった。
一方で、エバは嬉しそうにニコニコしていた。
「それにしても、こうして見ますと人の容貌とは、下級天使たちとはそう変わらないですのね」
「天使の証である輪と翼を持たぬという点を除けばな......」
初めて見る人の姿に強い既視感を覚えたガブリエルとウリエルはどこか拍子抜けな様子だった。
そんな二人にラミエルとラファエルも続いて、
「まっ!親しみやすくていいんじゃない?ボクとしては未だかつて見ないえげつなーいヘンテコな怪物だと想像してたからよかったよ♪」
「ラミエル。えげつないのは君のその発言なのだよ」
無遠慮な視線の波に晒されて多少戸惑うものの、ルシフェル以外のその他の天使たちは好意的であることにアダムはひとまず安堵した──未だに側から突き刺さる一つの鋭い視線を全身に感じながら。
「アダム。エバ。」
優しい穏やかな声が自分たちの名前を呼ぶ。
見れば、先程唯一丁寧な挨拶をしてくれた光の天使ミカエルがアダムたちと目線を合わせるように、静かに屈んだ。
アダムは改めてそんなミカエルをじっと注視した。ルシフェルの圧倒的なカリスマのインパクトに一瞬霞んでしまいそうだが、よく見ればミカエルも存分に美しく、【光】を司るだけあって、聖なる神々しさを感じさせられる。
奇しくもアダムは初対面の時から、ミカエルの穏やかな雰囲気に惹かれていた。彼にならなんでも話せる気がする──そんな錯覚に陥るほどミカエルには奇妙な信頼を寄せていた。
「騒がしくてすまない。こう見えて皆一同彼らなりに君たち人を歓迎しているのだ。気を悪くしないでくれ」
「ミカエル......だったな?あぁ。わかっているとも。わたしたち人こそ今日君たち天使に会えて嬉しいよ。」
アダムは短くそう応えて、そこで初めて肩の力を抜いて表情を緩めた。ミカエルの友好的な態度と親身に内心感謝した。
「それは無上の光栄だ。アダム、そしてエバ。人と我ら天使。お互いに神より創造されし者同士、友好関係を築けばいいと私は思っている」
「......ああ!もちろんだ!」
どこか優しい目で手を差し伸べるミカエルにアダムは思わず笑みを浮かべ応じた。
と、そんなやり取りを二人が交わしていたときだ。
「あー!やっと笑ってくれたぁ!」
元気をいっぱいに詰め込んだ甲高い声。
声のした方へ顔を向けると、アダムは先程自分たちの名前を尋ねた人懐っこい天使──ハニエルがこちらの顔を覗き見混んでいるのに気づく。
ハニエルは言葉を交わすアダムの顔を見やり、愛らしい顔の眉間に皺を寄せる。
「エバちゃんと違って、アダムちゃんずっと顔こわばってたから、緊張でもしてるのかなって心配してたんだよ?それともわたしたち天使のことが怖がってたりして?ほら!天使って上位に昇格すればするほど人外な見た目になっちゃうからさ〜」
まさかのハニエルの指摘にアダムは言葉に詰まる。
「あ、いやぁ、その、だな」
アダムの顔が先程から強張る原因はどちらかと言うとルシフェルにあるのだ──なんてことを言える訳がない。言ってはいけないことくらいアダムでも直感的に察した。
「ハニエル。アダムが困ってますわ。それにいきなり未知なる者に囲まれたら誰だって戸惑ってしまうものよ」
そこでやんわりと助け舟を出してくれたのは、ガブリエルだった。鎮火する水の如く相手を優しく静める音調は、ハニエルを制するには充分だった。
現にハニエルは「そっか。そうだよね」と相槌打ちながら素直にアダムに謝罪した。
「ごめんね〜!困らせちゃったお詫びにこれあげるっ!えーいっ⭐︎」
「まぁ!きれい!」「なんと...!」
ハニエルは何もないところから見事な彩りどりの大きな花束がぽっと落とされ、ふわりとエバとアダムの両手一杯に収まった。
大いに喜ぶエバに対して、アダムは腕にある花束を見て奇妙な現象に呆気に囚われていた。
「うっふふ〜♪びっくりした?わたしって【地】を司る守護天使だから、大地に育てられたすべての植物を操ることができるのよ!あたしたち七大天使はね、みーんな大自然の加護を授かっているの!」
「「大自然の加護?」」
指を一つ立てたハニエルに、アダムとエバが揃って同じように首を傾げる。
仕草がユニゾンする二人に、ハニエルは気を良くしたのか唇を綻ばせると、
「そう!他のみんなはね!ウリエルちゃんは赤き炎、ガブリエルちゃんは澄んだ水!ラファエル先生は緑の風!ラミエルちゃんは青い稲妻!副司令官のミカエルちゃんは輝き聖なる光!」
饒舌に話されるのは耳に慣れない──おそらくこの天使たちの特別な能力の羅列。
流し込まれる情報の大きさに声が出ないアダムたちの前で、なおもハニエルは笑い、
「そしてそして〜!最後っ!あたしたちみんなのリーダー、ルシフェル総司令官兼天使長様は天使の誰でも手に負えない昏き闇を操ることができるんだ──!きゃー!素敵〜!」
得意げに七大天使の能力を語っていくハニエルは、特に最後あたりには明らかに興奮気味に語っていて、しまいには黄色い声をあげていた。
やはりこの小柄の愛らしい天使はこの場で一番美しい闇の天使にご執心らしい。初対面だけれどアダムにはそれを察した。それだけ彼女はわかりやすいのだ。
すると、そこでエバは楽しそうなハニエルの話にくすくすと笑いながら、
「うふふ、おもしろいわ〜ここにいる天使のみんなはすごいのね!私たちヒトはそんなことできないもの。ハニエルは植物を自由に操れるなんてびっくりだわ」
「えっへん!棘とかも操れちゃったりして、敵をばんばんやっつけちゃうんだから!」
「てき?“てき”ってなぁに?」
「ん?敵っていうのはねぇ、えーとぉ......、そうそう!神様に逆らったり、あたしたちの住む天界に攻撃してくる.......とか?そんな感じの悪い奴ら!」
突飛な疑問に一瞬虚を突かれたハニエルは律儀にも彼女なりに噛み砕いて、理解している内容を口にする。それでも要領を得た答えにならないのは、彼女の中ですらそれらが曖昧だからなのだろう。
「じ、実はね!私たちの敵の正体って、まだ判明していないの!だってついここ最近急に現れた謎の」
「──そこまでだ」
その声は、ハニエルの言葉の続きも、その場の穏やかな喧騒も、なにもかもをねじ伏せて草原に響いた。




