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【完結】序芝居  作者: のぼぼん(º∀º)
【結】〜人類最初の殺人〜
153/160

42話『悪魔の野望』


 殺せと吠え猛る。


 魂を、命を奪えと、内なる己が責め立てる。


 その訴えを聞くのは、今が初めてではない。


 ――弟を殺した時も。いや、ずっと前から、それこそ生まれたときから、この声は隙さえあれば誘惑してくる。


 血に、肉に、骨に、魂に、命を委ねろと、内なる己の更なる覚醒を求める。


 もっともっと殺せると、もっともっと壊せると、そう訴える。



 情と共に、かつての己と完全に決別するべきだ。


 愛を信じ、受け入れようと足掻き続けてきた惰弱だった頃の自分。


 あのような弱い男は、もう要らぬ。


 愛は、否、全ての情はいずれ【魔王】となる己には邪魔者でしかないのだ。




(こいつさえ、いなくなれば!)




 ──だから、もう二度とこちらに向けて愛を囁けないように、今、実の妹でもあるこの女の首を絞めてやる。



 



      「そこまでだ」






 その声は吹き荒れる砂風の音も、アワンの呻きも、カインの凶行も、なにもかもをねじ伏せて、砂漠に響いた。











 




 カインの真っ赤な決意を塗り潰すように、鋭く、制止する声が横合いから飛び込んでくる。




「──それ以上はやめるのだ。カイン」



 

 その声と共に、赤い蛇がカインの影の中から滑るように現れた。胴体は血のように鮮やかな赤で、それとお揃いの瞳は冷たく輝いている。その姿──それがサマエルだった。





「……父上」




 予想外のタイミングでの登場にカインは息を呑むが、その殺意が決められた手はまだアワンの首を離さない。




「なぜ、止めるのです。私は今、この身を焦がす感情をこの女にぶつけなければ気が済まないのだ。邪魔しないで頂きたい」




 カインは冷静を装いながら、声にわずかな怒りを滲ませて言った。


 


「カイン。うぬの悪しき感情は美しい。まさに吾輩が求めていたものである。うぬに【悪意】の素質が充分に備わっているのは大いに喜ばしいことだ。吾輩としても最後まで傍観を徹するつもりだったとも」




 サマエルの声は冷たく甘美で、その鱗が妖しい輝きを放つ。



「しかし。悪意に溺れて駒を壊してしまうのはいただけない。いかんせんうぬは少しばかりやりすぎた。今後の我らの計画に支障を来たすのは、吾輩としてもさすがに看過できんのでな」


「駒だと?」




 

 最大級の悪意に支配され、衝動的な行為を咎められた気がして、カインは不快そうに顔をしかめた。


 自分を含め、駒なんてこれからいくらでも生まれてくる。なのに、アワンを駒として固執する意味がわからないのだ。サマエルの意図が読めずカインは苛立ちを隠せず、低く唸る。




「父上よ。この女を生かして何になる。私を駒として使うだけでは足りないのか?私の怒りの矛先を止めてまで、たかが駒の一つを守る価値があるとでも?」


「おお、かわいいカインよ。そんなに己を卑下(ひげ)するものではない。うぬは駒ではなく、吾輩の大事な宿主であり、この上なく愛する息子でもある。それ以上の存在などない。だが、この娘には別の役割を持つ。うぬには理解できないだろうが、人間であるこの者もまた、我々の今後の計画においては必要不可欠な存在だ」



 


 いまだに首を絞められ苦悶(くもん)するアワンを一瞥(いちべつ)し、サマエルは静かに笑った。次には、カインに絡みつくようにして移動する。




「言ったはずだ。今はまだ魔族の数はそう多くはない。これからは天使や人類から少しずつ魔道へ堕落させて増やしていく必要がある。特に人類の繁殖数は魔族の繁栄に大きく関わってくるのだぞ」


「……ですが、父上。そうは言うものの、こんな人間の小娘を一人消し去ったところで、我らの長年となる計画に影響が出るとは思えません」


「どんなに無力で弱い駒でも、この世界を動かす歯車の一部には変わりはない。アベルの場合は、うぬの覚醒のために必要な捨て駒だっただけだ。その他の人間はまだ壊すなのにうぬという奴は、現段階でまだまだ数少ない人間の頭数を無駄に削ってどうするのだ。下手をすれば早々に人類が絶滅してしまうではないか。そうなれば、我らの悲願も同時に幕を閉じることになる」


「…………」




 淡々と、サマエルの開陳(かいちん)を聞いていくうちに、カインの頭が徐々に冷えたのだろう。と同時に、彼の内側で、アワンに対する激しい殺意が徐々に霧散(むさん)していく。




「カインよ。分かるだろう?些細な過失を侮れば、それはいつか大きな失敗につながるのだ。素晴らしい成果を得るには何事も下準備を怠らず、その上でどんな小さなリスクでも減らす工夫もすべきだ。その点に関しては、これまで人間界で農業を従事していたうぬなら共感できるのではないか?」


「……はい。父上のおっしゃる通り。お許しください。私は、軽率(けいそつ)でした。それと、先ほどの数々の無礼、申し訳ありませんでした」




 浅はかで、見通しが甘い自分をカインは内心で叱咤する。危うく愚かな失敗を犯すところだった。


 


「わかってくれるなら良い」




 サマエルは滑るようにカインに近づき、体を巻きつけるようにして低く囁いた。




「うぬの悪意には無限の可能性がある。だが、駒を有効に使えば、その可能性をさらに広げることができる。我々の計画のためにな。機を待て。今は基盤を整える段階だ。くれぐれも早まるな」


「御意」




 そこで、あれほど執念深く絡みついていたカインの手はあっさりとアワンの首から離れた。


 アワンは何度か激しく咳き込み、荒い息を吐きながらなんとか立ち上がった。そして、困惑な表情で一連のやりとりを見つめた。


 


「……蛇?」



 

 呆然と、最初に発した一言が短い単語のそれだった。


 疑問系なのは、これまで見た事のない不気味な色をした蛇が人間の言葉を巧みに扱って、人間と流暢に意思疎通をしているからだ。まさにアワンの知らない、これまでの人生で遭遇したことがない、想像を遥かに超える現実離れした光景だ。


 



「ただの蛇ではない。我が名はサマエル。今はこの通り仮の形態だが、吾輩は正真正銘(しょうしんしょうめい)の悪魔である。まぁ、知っている通り、貴様らが信仰する神が忌み嫌う存在だ」




 赤い蛇──サマエル。悪魔だと言うその存在が、カインの肩に巻き付き、不気味な真っ赤な眼でアワンを見つめている。その目は、底の知れない深淵のようで、彼女の心の奥底まで覗き込むようだった。




「──悪魔……、まさか……そんな?本当に存在していたなんて……!」



 

 アワンは息を整えながらも、震える声で尋ねた。




「なぜ……、助けてくれたのですか?だって、あなたは」




 悪魔なのに。という言葉をアワンはようやく飲み込んだ。最後の言葉は音にはならずとも、邪悪を糾弾する彼女の眼差しがそう訴える。見るからに、彼女は警戒しているようだ。




「助けた?このサマエルが、人間をか?」


 


 さぞおかしそうにサマエルはクククと笑い、その長い体を空中で螺旋(らせん)のように回転させながら答えた。




「勘違いするな。吾輩がカインを止めたのは決して正義感や善意によるものではない。カインと契約を交わした今、奴の親しい存在など皆殺しにしたいところだが、我らの崇高なる計画は、時にうぬのような非力なる存在の手によって進むのだ。だから、まだその時期ではない。うぬは運が良かった。それだけだ。人間の娘よ」


「契約……。貴方が、カイン兄さまと……?」




 サマエルの言葉に、アワンは身を固くしてただ反芻する。『契約』という言葉に引っ掛かりを覚えたようだ。否定も肯定もしないカインだったが、それでも両者の関係を察したアワンに衝撃が走る。

 



「カイン兄さま、どうして契約なんて……どうして、このような邪悪な存在に魂を売るようなことを…?」




 アワンは泣きそうな声で彼に問いかけた。無表情だったカインの顔はすぐに憎悪と冷笑に変わった。




「私が望んだのは神のいない世界。それだけだ」




 冷たく言い放った。




「この世界では、誰も私を認めなかった。父上だけが私を見つけ、私に価値を与えてくださった」


「何を言って……?それよりも、“父上”って……?まさかこの悪魔のことを言っているのですか……?変ですよ、それ。カイン兄さまの、私たちのお父さまはただ一人でしょう?」




 そこで、アワンの視線はカインから外し、今度はサマエルへと投げた。


 ──怒りの臭いがする。


 かぐわしく、芳醇で、純度の高い怒りの臭いがする。それがたまらなく、サマエル を昂らせる。





「──っ、貴方ですね!?カイン兄さまを唆したのは!!!


「アワン!!」



 事実として命を助けられた立場を思えば不敬極まりないアワンの発言。

 それを聞き、すかさずアワンの名で怒号を上げたのはやはりカインだった。




「我が父の計らいで命拾いしたというのに、そのお方に向かってなんたる口の利き方だッ!!貴様という奴はもう一度絞め殺されたいか!」


「カイン」



 実の妹を見る目に残酷な色を宿すカインを、サマエルが短く呼ぶ。すると、カインはすぐに口を閉ざすも、相変わらず凄まじい形相でアワンを睨みつけるのはやめない。


 わなわなと唇を震わせるアワンに、サマエルは白々しく首を傾げた。





「そそのかした?いや、違うな。吾輩はカインの中に長年蓄積された膨大な悪意を引き出しただけだ。アベルを殺したのも、この悪魔に魂を売ったのも奴自身の意志だ。吾輩はその後押ししたまでだな」


「よく言いますね。……どちらにしても、貴方がカイン兄さまをおかしくさせた元凶ではありませんかッ!!」


「クックッ、減らず口を。ななかなか威勢のいい娘ではないか」





 向かい合い、サマエルはアワンの啖呵に陰惨に嗤った。


 黄金の瞳に強い感情を宿した少女。彼女がこちらへ向けている憤怒や憎悪といった悪意の感情を胸一杯に吸い込んで、サマエルは恍惚感を味わう。


 言葉を選ばず言うなら、この一息のために生きていると言っても過言ではない。


 

「だってそうではありませんか!あなたのせいでっ、カイン兄さまは長い間ずっと悩んで、苦しんで……っ、そうよ、アベル兄さまが殺されたのもきっとあなたの差し金に違いありません!許せない……っ!」


「ならば、うぬは吾輩をどうする気だというのだ?我が絶対的な悪意の前にたかが人間に何かできるとでも?それは己を過剰評価しすぎというものだ」




 息を荒らげ、邪悪を糾弾する構えのアワンにサマエルが言い放つ。その冷たい声音に突き刺され、アワンは頬を強張らせた。


 ちなみに、相手の悪意を己の悪意で上から踏み荒らし、塗り潰していることもまた【悪意の蛇】としての生き甲斐なのだ。





「──図に乗るな。人間風情が」



 

 

 途端、見るもの全てをひれ伏させるような凄まじい覇気と、威圧感を伴った眼光がアワンを貫く。





「っ、」





 ──それは、威嚇(いかく)だった。


 目の前の恐怖に突き動かされて、思わず閉口する。アワンは即座に頭を下げた。


 悪魔が神女の意向を問うたあの一瞬、その響きだけで首を刎ねられたような錯覚を得たのだ。


 一瞬だけかち合った赤眼は澱み煮詰まった悪意の炎が揺らめき、怖気のするほど昏かった。 それを今も向けられているのかと思うと、まるで生きた心地がしない。


 疑っていたわけではなかったが、この蛇の正体が、神の戒めで語られる【悪魔】なのは本当なのだろう。こんなにも悍ましいのだから。


 深く頭を下げたまま、アワンはようやく自分が息を止めていることに気付いて、引き攣けを起こしたかのように不自然な呼吸を何度か繰り返す。サマエルはしばらくそんなアワンを冷然で見つめていたが、




「──娘よ」




 不意に呼びかけられた。


 アワンは頭を下げたまま、悪魔の声の調子が変わったのに気づいた。


 畏怖を感じさせたサマエルの声色に、ほんのわずかではあるが、柔らかさが宿り、温かみが芽生えたようにさえ思える。そうした印象を得ながらアワンは頭を上げ、前を向いた。


 そして──、




「名は、アワンと言ったか」


「……はい」




 不吉に彩られる赤き双眸がアワンを上から下まで眺める。その圧迫感に思わず気圧されてながらも、今度は素直に返事をする。


 心までこの悪魔に懐柔した訳ではない。ただここで下手に反抗的な態度をするよりも、今はこの悪魔に従順でいた方が賢明だと理性が嘆き、本能が訴えていた。




「ほう……悪くない。人間といえど、己の卑小さを自覚し、すぐに立場を弁えられる奴は元より嫌いではないのでな」




 そんなアワンの利口な一面を察知して、サマエルは満足そうに目を細める。




「アワンとやら。うぬは、カインを愛しているか?」


「……はい。愛しております」


「して、どれほど愛しているのだ?」


「……質問の意図が、よくわかりません」


「うぬが我々に着いてくるとなれば、必要な確認事項だ。我々の目的はすでに知っているだろう?それで、うぬの答えはどうだ。カインを本当に愛しているのならば誓えるか?これからの生を我らの悲願のためにすべて捧げ、決して裏切りはしないと」


「……っ、…………はい。誓います」


「誠か?これは神ではなく、我ら魔族の頂点に君臨されしお方──魔帝サタン様との契約だ。それを承諾するということが何を意味するのか、わかるか?」




 息を、抜くように、アワンは呼吸する。次のサマエルの言葉を受け、一瞬、確かに自分の中の全ての時が止まっていた。




「二度と輪廻転生が許されない。──それが代償だ」


「!!」



 サマエルの断言、そしてそれは絶望的な事実の提示でもある。


 衝撃で思わず沈黙するアワンに、サマエルの瞳が細められる。ただでさえ絶対零度と思われた視線の冷たさがさらに低下し、暑い砂漠にいるのに、切れ味の鋭い吹雪に晒される錯覚がアワンを襲った。


 


「神を裏切れば、当然神の秩序からは外される。輪廻転生の輪を抜けるという事は、もう二度と生まれ変わる事はないという事だ。そうすれば、貴様は今生に限らず、死してもなお、その魂は魔界に縛られることになる」


「そんな……、」


「悪魔に魂を囚われた者には、二度と人としての生は訪れることはない」





 それはアワンにとってはあまりにも不条理で、唾棄すべき運命だった。


 アワンの己の内側に強烈な拒絶感を覚える。割り切ったつもりでも、脳ではなく、魂が悪魔の契約を拒絶している。警鐘を鳴らしている。

 

 震える膝、それを必死に抑え込みながら、アワンは静かに、遅すぎる理解を得る。




  ──自分は、試されているのか。




 これは決してハッタリでも戯れでもない、本物の覚悟が問われる場面であるのだと。


 そのことを感じ取り、アワンは自然と背筋を正していた。


 


(──私は……、)




 いつしか目の前でカインに纏うサマエル に真っ直ぐ向かい合う。そのアワンを見据え、サマエルの眼光が威圧感を増した。

 



「さあさ、心して答えるがいい、アワンとやら。──うぬは悪魔に身も心も捧げられるか?愛を知らぬカインのために、生涯うぬを決して愛することはない男のためだけに」




 問いかけは真っ直ぐ、躊躇うことも嘘偽りを述べることも許されない。ここに虚実を織り交ぜて答えれば、きっと命はない。


 先ほどは確かにアワンを殺さないとは明言されたものの、それは単に無闇な殺生をしないだけであって、きちんと理由さえあればこの悪魔はすぐにでも前言撤回も(いと)わず、簡単にアワンの命を取り上げるだろう。そうアワンに確信させるだけの威圧感が、サマエルという悪魔の声には込められていた。


 アワンは手を握り締めた。





(そんなの、考えるまでもないでしょう)




 それでも思い出すのは、いつも見つめていたカインの横顔。カインの背中。家族を前にしてどこか悲しげに佇む、異端であることに傷ついた彼の姿。



 そして、激励するかのようにこちらに向かって微笑むアベルの幻影。




 ──もう後悔しないって、決めたのだから。





「ええ。私の意思は変わりません」




 アワンの胸の中にある希望がまた一つ、静かに消えていくのを感じた。


 ああ、もう後戻りはできない。これで自分も同罪だ。神に仇をなす罪深き人間。それをちゃんと自分の中で噛み砕いて、理解して、……アワンはやっと震えた息を吐いた。




「カイン兄さまとどこまでも一緒にいられるのなら、本望です」




 背筋を伸ばして顔を上げたアワンの顔は、あまりにも美しかった。凛としていて、覚悟の決まった目が静かに瞬きすれば、ゆっくりと微笑む。

 




「私は決めたんです。私はカイン兄さまをお守りしたい。全てを犠牲にしてでも、誰にも縋らずに、()()()私一人で!」




 彼を理解しようとする人がいないなら。彼自身が孤独の中に身を置くことを選ぶなら。私だけでもずっと彼の味方でいよう。


 そう言うアワンの眼差しには、痛ましいほどの悲しみと諦め、そして決して断ち切ることのできない深い愛があった。




「彼がどんなに深い闇に堕ちても、私は彼を諦めない!貴方が彼の何であろうと関係ない!!何を企んでいようとも、私がこの身を魔に染めもカイン兄さまを守ります!」




 堕ちていく速さを緩めるぐらいは出来る。いつか誰かが救えるように、カインという男の心を守り続けること。 一緒に傷ついて、一緒に堕ちて、一緒に苦しんで。せめて孤独という闇に冒されてしまわれないようにと、アワンはカインのそばにいることを決意する。


 そしていつか、神に許される日が訪れるように。自分がいなくなっても彼に居場所ができるように。──その果てに、愛しい人への救いがあると信じて。




 

「クク、なかなか涙ぐましい献身ぶりだ。だからこそ、哀れでならない。カインは誰かにかける情なんか持ち合わせてないし、感謝どころか振り返りもしない。【悪意の蛇】の宿主に選ばれたこやつはうぬの一途な愛を踏み(にじ)ることしか知らない」



「構いません。それは、最初からわかっていたことですから。私は見返りが欲しくて彼を愛している訳ではないのですから。私はただ、彼に心から笑えるようになってほしいだけ。たとえ、その笑顔が私に向けられなくても」


「忠告するぞ。うぬの愛が強ければ強いほど、それはうぬ自身を蝕む。それでも、うぬはこの闇に足を踏み入れる覚悟があるのか?」


「はい。たとえこの愛が私を傷つけ、壊すとしても、私は彼を救うために闇を進みましょう」




 どこまで、カインを一途に愛すアワンの思いが、悪魔であるサマエルにさえも嫌というほどに伝わった。肝心な張本人は先程からずっと蚊帳(かや)の外で、まるで他人事のようにずっと上の空だというのに。





「フム。なるほど。──これが“無償の愛”というやつか」






 迫る悪魔の圧力に臆さない精神も。


 悪魔と契約を交わす魂胆も。


 あえて祝福されない運命を選ぶ動機も。 その見返りを求めない自己犠牲も。



 ──全てはそこに集約する。


 



(これは、……思ったよりは使えそうだ)





「カインよ。随分と“いい女”を妹に持っていたんだな。母親とよく似ている」




 健気に男を思うアワンの姿に、思い出の中で禁断の果実を口づける女の姿が重ねられる。


 かつて自分が陥れた──愛おしいとすら思える愚かな人類の母なる女。


 


(もっとも、男の愛し方はまるで正反対だがな)




 少なくともサマエルの記憶の中で、楽園にいた頃のエバがアダムに抱く愛情はもっと強欲で、独占的だった。同じ女でも、母と娘が抱える愛の形がここまで大違いだと、逆に笑えてくる。




 まぁ良い。今はそんなことよりも、

 




     「──合格だ」



    


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