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【完結】序芝居  作者: のぼぼん(º∀º)
【結】〜人類最初の殺人〜
150/160

39話『七倍の復讐。カインの刻印』



 『これうまいから、食ってみろよ』





 そこにいたのは、幼い頃の自分──いまだ『悪意』を知らぬ、過ぎし日のカインだ。





『おいしいっ!こんなおいしいもの、生まれてはじめてだよっ』


   


 そして、まだ「後悔」を知らない──幼きアベルだった。





 『カインにいちゃんは、すごいや!』





 残像の中で弟は笑う。


 これは(とが)だ。


 輪廻しても続く──咎めだ。


















「─────………」



 それは驚くほど心地よい目覚めだった。引きずる眠気も気怠い睡魔もなく、目を開けたと同時に意識が覚醒する。



(あれから、眠ったのか……)




 久々に、夢というものを見た。


 まるで過去の追体験。埋もれていた遠い記憶をなぞるように繰り広げられた夢の光景。


 日常が悪意に侵食されていない──まだ兄弟仲が狂っていない頃。兄弟喧嘩した次の日、父母に内緒で家の裏に栽培したミニ菜園に連れ出して、その泣き腫らした顔に良くできた作物を渡した。


 アベルは嬉しそうにそれを頬張って機嫌を直した。そうしてまた仲の良い常の兄弟に戻るのだ。



 思えば、カインが本格的に農家を目指そうと思ったきっかけは、与えた作物を美味しいと言ってくれた弟の純粋無垢な笑顔だったのかもしれない。


 その一方で、前途多難(ぜんとたなん)とも言える──『土を耕す者』としての道に進むと決断した理由も、カインは思い出していた。


 家族みんなが餓死しないように、カインの作った作物でいつまでもお腹いっぱいに笑顔で過ごせるようにするためだ。




(なぜ、今更このような記憶を、)




 それを今まで忘れていたのは、無意識に忘れたものなのか。それとも、カインの中に巣食う『悪意』の餌食となり、作為的に消されてしまったせいなのか。


 そして、今になって思い出したのは、過去と決着できた証明なのか、それとも、己の甘さと弱さのせいなのか。


 尽きぬ自問自答を重ねても、はっきりとした答えが出たことはない。例えどんな答えが出たとしても自分は素直に受け入れないだろうし、答えが出たとしても、それは考える度に違うものになっていただろう。




(フン。考えたところで現実は変わらない。私の真実も揺るぎはしないの)




 そうなのだ。今となっては、アベルの命とともに弾けて消えた泡沫(うたかた)の夢なのだ。弟の死を加担した農具で作られた野菜果物なんて家族を笑顔にさせれるわけがない。


 きれいで理想的だったその夢を、カインが粉々に砕いたのだ。


 なのに、その夢のかけらが、心に突き刺さって抜けない。蘇った幼い記憶の光景が勝手にカインの目に焼き付いて離れない。



 その耐え難い懐古が破られたのは日を跨いでしばらくしてから。明け方の事だった。







      〈カイン〉





 追憶の世界が崩壊した。一気に意識が浮上していく感覚に身を任せた。



 カインは、(つい)にか、と息を吐いた。



 見上げれば、あれだけ降り続いていた雨が嘘のように止んでいた。


 灰色の雲の隙間から太陽がゆっくりと現れ、光を差し込んでくる。その光が、一直線に地上を目指し、カインを照らしていた。




   〈カインよ。応えたまえ〉




 それに伴い、威厳(いげん)と圧力を伴う声が、空から地上へと降り注いでいる。


 神が君臨(くんりん)されたのだ。 カインの罪を暴くために





「神よ。……私はここにおります」




 ずっと、この時を待っていた。


 神から隠し通せるとは思っていないし、カインはそもそも端から逃げるつもりもない。カインは最後に断ち切るべきなのは、神への信仰心なのだから。



 



   〈汝の弟、アベルはどこだ〉





 神が己に語りかけている。


 お気に入りの人間を殺した犯人を探している。


 


     ──白々しい。




 沸々と、濁りに濁った感情が沸き立ち、カインは強い激情のままに上を見上げた。




(私の弟が、どこだと──?)




 全知全能の神が、己が愛する信徒の居場所を把握していないはずがないでしょうに。


 それでも、神はわざわざカインに問うた。知っていて、空っとぼけて、カインから自供(じきょう)を引き出すために、こんな迂遠(うえん)な手口で追い詰めようとしているのだ。




「知りませんよ。私は弟の番人でしょうか」




 もう神に好かれることは無いのだと思えば、不遜(ふそん)な台詞を吐けた。




「神よ。私が作った作物の場所を、私は良く知っている。あなたも、あなたが創ったものの在り処は良くご存知のはずではないですか?」




 心にわだかまった感情の溜飲(りゅういん)が少し下がる。心臓はバクバクと高鳴り高揚して、ふとずっとこうしてみたかったのだと気がついた。


 好かれるように自分を殺して真面目に従順に生きるのはもうまっぴらごめんだ。


 疑問を持たないで盲信するよりも、一つ一つ己の自由の意思で考えて答えを出したい。──それが結局、この世界で最も愚かな行為であったとしても。





〈ああ なんということをしたのか〉




 (まばゆ)い聖なる光が次第に鋭さを増していき、それがひどくカインの目の奥を突き刺していた。





 〈汝が流す弟の血の声が

  土の中より我に叫んでいる〉



 〈今、汝は呪われる者となった〉


 





 

 それはそうだ、とカインは乾いた笑みを浮かべた。


 理不尽に殺されて、それを許すものが何処にいるだろう。自らが何も罪を犯していなければ尚更(なおさら)だ。きっと弟は死してなお、カインを糾弾(きゅうだん)し、神に訴えているのだろう。己の無念と怒りを晴らしてほしいゆえに。





 〈汝より(ほおむ)られし弟の血を

  飲み込んだこの地もまた呪われる〉




  〈土を耕しても

    この大地はもはや汝ために

     実を結ぶことはなかろう〉





 その報復として、神を介してカインの大事な役目を取り上げるのも当然な帰結だ。


 脳裏に凄まじい勢いで蘇るのは、アベルの末路。




『……お父さん、…お母さん、……アワン、……アズラ……』




 自分があの瞬間にした事を鮮明に覚えている。死に瀕しながらも家族の名前を呟くアベルの虚な声も、それらすべてを無感動で見届けた自分のことも。




   『───カイン兄さん』




 そして、最後に呟やかれた自分の名前が、何を意味していたのかも。




(もう終わったことだ)




 アベルの命を咀嚼(ししゃく)しては痛感する。兄の作った作物を頬張って笑った、優しく可愛かった弟はもういない。自分が殺したのだから。





「神よ……。無理です。私には…負いきれない」




 空を仰ぐ。絞り出すように、声が。


 カインの口から漏れたその縋るような自嘲は、遅すぎた懺悔なのか。はたまた悲観からの諦めなのか。この時は彼自身ですらわからなかった。


 だが、少なくとも、彼は今自暴自棄な状態に陥っているのは確かだ。今こうして神の前に立つのは「人間」として生きる意味を失い、道に迷った子どものような顔をした弱い男なのだ。




「弟を殺した…罪のない弟を…とても償いきれない…。償うとすれば、与えられたこの命を今ここであなたにお返しすることでしか」



 かと言って、赦しを()うなんて無様な真似なんてしない。


 神が忌み嫌う自分が、神が愛した罪のない人間を殺し、その未来を奪った──すでに神への意趣(いしゅ)返しを成し遂げたカインはもう思い残すことはない。もうとっくに死を受け入れる心の覚悟はできている。


 くだらない、つまらない、なにもかもが虚構でしかない、「人間」としての人生を見限った結果でもあるかもしれない。


 最期は無抵抗に、そして、そんな自分の人生を神罰で終止符を打ってもらうのも悪くはない。そうとすら思える。





 〈ならん。断じてならん〉



  



 だが、神はそんなカインの思惑を見抜いたのか、決してカインに死という名の逃避を与えない。





〈これより汝は 地上をさまよい

       さすらう者となる〉




「……お言葉ですが、何処へ行ってもいつか私は殺されてしまうでしょう。人を殺した人間であれば、当然です。なればいっそ…」





〈否。そうはならない。汝を殺す者は、だれであれ七倍の復讐を受けるであろう〉



「どういう、」





 問いかけの続きは破裂音に中断。


 バッと噴き出す鮮血がカインの右顔面を真っ赤に染めた。直後、激痛の猛攻が襲う。


 ──意識を支配したのは、右目の中心を発端とした激しい『熱』だった。




「ぐっ、ぅぅぅぅ! 熱ッ」



 苦鳴が上がり、くの字に折れた姿勢でカインは悶絶する。灼熱は際限なくカインの右目を焼く。





 ──熱い、熱い熱い熱い熱い熱い!




 とうとう地面をのたうち回り、隻眼に涙を浮かべながら、ゆっくりとカインの思考が理解に行き届いていく。


 自分の身になにが起こったのか。ようやく認識した。




 ──右目の眼球を、潰されたのだ。






「なに、……をっ!!」




 ひび割れて眼球の中の水と血液が混じり合って止めどなく溢れ出す。




 〈カインよ 汝に()()()を与えん〉





 その宣告に呼応するように、突如流血が変質して、カインの右頬を侵蝕するように這い暴れ回る。次元の違う戦慄がカインを凌辱する。やがて、十字を模した赤い紋様へと形成されたことで、ようやく落ち着いた。



 


  〈汝をあらゆる危害から

        救う加護となろう〉




 特徴的な赤い刻印が彫られた右の頬を、痛々しく赤い雫が滴り落ちていく。



 これはきっと、神の裁きであり、そして、慈悲でもあるのかもしれない。




 〈さあ 罪の子よ この地を去れ 

  エデンの東 ノドの地へ向かえ〉




 神はそう言い残して気配を消した。


 カインが幾度呼びかけても、それに応える声はもう訪れなかった。

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