14話『公私混同の顛末』★
「──まさかとは思いますが、副司令は天使長を庇っておられるのですか?」
全く予想もしていなかったウリエルからの不信の矛先に肺腑を抉られたのだろう、ミカエルは驚いたように言葉を詰まらせる。
当然そんな僅かな動揺を目敏いウリエルが見逃すはずもなく、より硬度を増した声音で、畳み掛けるようにウリエルが言葉を継いだ。
「今日貴方のこれまでの言動はすべて兄弟の情からくるものだと、──なかなかご決断できずにいるのは己の兄なる存在を匿うためなのですか?」
ウリエルの直球な問い掛けに、ミカエルは二の句が継げなかった。
それは図星を突かれた、だなんてことではなく、まったく意図していないところから殴りつけられたような驚愕からだった。
ミカエルは、呆然とウリエルを見返した。剣呑な視線を投げてくるその瞳には、ミカエルの姿が頼りなく映る。
「ウリエル、私としては決してそのようなつもりなど、」
「ミカエル副司令。自覚ないようですのではっきり申し上げますが!私からすれば、今回の件に関しまして貴方が一番私情に囚われているように見受けられますぜ!」
「それは──」
何かを言いかけたミカエルの声音は尻すぼみになり、居た堪れなくなったのか、あっという間に途切れる。
けれどそれは口を閉じたウリエルも同じだった。互いの間に流れる重い沈黙が明白に物語っている。
だがその沈黙が少しでもウリエルの頭を冷やすのに充分だった。声の硬さは依然として失われないが、先程よりは激情の波が引いたようだ。
「.............。何故、そこまでしてルシフェル天使長を擁護なさるんです。ミカエル副司令、本当はわかっていらっしゃるのでしょう?」
言葉が、出ない。
安易に頷くことも、ましてや衝動的に否定することもできるはずがない。
ウリエルの言葉は正しく、逃げようとするミカエルの弱さを見抜いていた。直視すべき問題の答えを恐れて、遠回りしようとするその弱さを。
少なくとも、先程の各々を見定めるかのようなあの視線を配ったあの時には──いや、もしかすると、ウリエルは最初から誰しも気づかなかったミカエルの深層心理に澱む迷いにいち早く気づいていたかもしれない。
「............敵わないな。ウリエル。やはり君の目を掻い潜ることなんて厳しい話だ。いつだってその鋭い洞察力には恐れ入る」
粗野で短慮な一面が目立つ分、ウリエルという人物を知る者は、彼を猪突猛進型と評価してしまうことが多い。それは普段の彼の言動や態度、風貌など色々な要因が絡んでのものであるが、事実としてそれは誤りである。
その裏腹にウリエルという熾天使は意外と冷静で強かで、実に周りをよく見ていて、こうした並外れた慧眼の持ち主だと舌を巻かざるを得ない。
「否定されないのですね。ご自身が公私混同されていることを認める、というわけですか?」
「事実ではあるのだから否定しようがない」
「相変わらず妙に潔い方だ。貴方は」
「断罪天使である君に愚劣な言い訳をして、墓穴を掘るほど私も無謀ではないのだ」
「それは賢明な選択ですぜ。であれば、ルシフェル天使長の謀反疑惑も認めになるという事で?」
低い声で、恫喝に近い威圧感をぶつけてくるウリエル。肌に粟立つような感覚を味わいながら、ミカエルは小さく首を横に振った。
「............すまない。ウリエル。それとこれは話が別だ」
「なに?」
「私は、ルシフェルを信じる」
ウリエルから覇気が一瞬だけ失われる。その刹那に浮かんだ表情がどんなものだったのか、残念ながら上級天使の掟によって装着されている覆面のせいでわからない。
「──まだ意地を張るおつもりなのですか」
「意地ではない。事態の全貌を掴まない限り、私はルシフェルを信じると決めているのだ。たとえ............、それを感情論として君に罵られても、だ」
互いに顔を見合わせ、二人の視線が交錯する。
結論をぶつけ合い、譲れないことを確認した両者。やがて、
「はぁ、本当に困った方ですぜ」
吐息に失望の色を乗せて、ウリエルはミカエルの無理解に落胆を示す。そこでミカエルは自分が致命的な失態を犯したと思った。
「............ミカエル副司令。私はこれでも、貴方のことを尊敬しています。だから、あなたの意志も、判断も尊重していきたいとも思っております。──だが!」
腕を上から下へ振り下ろし、ウリエルはミカエルの前に一歩、強く踏み込む。
その激しい挙動──暴力的な威圧感に動じずに、ミカエルは固く唇を引き結んでいた。
しかし、その頑なな態度は今のウリエルにとっては逆効果でしかない。焦燥感で焼かれていた彼の心がさらに燃え上がる。止まらない。
「天界の安寧が危機に見舞われるこの状況で貴方の私情を挟むとなれば話は別!!こういう状況ではそういう過度な情を重んじるのは慎んで頂きたい!つまらん感情論に傾くのであらば、貴方とて天使長同様に上官として失格だッ!!!」
一片の隙も無い痛烈な批判が、鋭い槍となって、容赦なくミカエルの胸に突き刺さった。
「万一!貴方のっ、............アンタのその生温いご判断が天界の崩壊を招いてしまった暁には、俺はアンタを決して許しはしねぇ!絶対にだッ!!」
激昂し、怒りに任せて内側に渦巻く感情を吐き出すウリエル。
ついにはウリエルが唯一、純粋に尊敬するミカエルにでさえ己の生来の粗暴さを向けてしまうことを加味すると、余程彼は切羽詰まっているのに違いない。
息を荒げて肩を揺らしながら、正面にいるミカエルをただ睨みつけ続ける。
「ちょっとウリエルっ!!口が過ぎるわよ!」
「引っ込んでいろ!ガブリエル!俺は今副司令と話しているんだ!!」
と、ここまで会話に参加していなかったガブリエルが透かさず話に割り込んできてウリエルを叱責した。が、それも呆気なく一刀両断されてしまう。
それでも、巨体なウリエルの鬼気迫る形相にも関わらず、ガブリエルは強かに対峙する。
「いいえ。これ以上黙って見ている訳にはいかないもの。今は形式上は議会中なのでしょう?ならここにいる全員に違わず発言権があるはずよ。貴方、少々熱くなり過ぎてよ。少しは水でも被って頭を冷やしたらいかが?」
「何が言いたいッ!?」
「ミカエル副司令のお気持ちも考えて差し上げなさい、ということですわ」
「チッ!!俺なりの配慮で今までずっと静観していたんだ。その結果がこの有り様じゃねぇかッ!?」
地団駄を踏み、ウリエルは思いっきり声を荒げた、
劇的な精神の高ぶりに反応したのか、瞬く間に灼熱の炎が渦となってウリエルの体の取り巻く。自身が司る炎を見境なく散らして浮かべ周囲を睨みつけた。
「副司令官も!貴様らも!どいつもこいつも!根本的に今の天界が陥る事の重大さをまるでわかっていないッッ!!!」
もうこうなってしまっては、いよいよ誰も猛り立つウリエルを止められないのだ。
そう思いきや、
「もういい加減にしてよっ!!?」
それは金切り声で、広間に篭り始める様々な激情を断ち切るには充分な怒声──凄まじい感情の奔流だった。
「さっきから大人しく聞いていればさぁ〜もうなんなのぉ〜っ!!」
殺戮化する空気など歯牙にも掛けずにハニエルは席から立ち上がり、無遠慮にずかずかと床を踏み付けながら、ミカエルとウリエルの間に割って入ってくる。
「とりあえずウリエルちゃんはしつこすぎぃっ!!!」
そしてその真ん丸な愛らしい目を珍しく鋭く尖らせてウリエルを睨みつけた。一気に感情が暴発したせいか、彼女の顔は目に見えて紅潮して頬が燃えている。
「ずっとあたしなりに我慢に我慢を重ねてなるべく口を挟まずに見守っていたけどもう限界っ!!ウリエルちゃん!!どうしてそこまでルシフェル様を敵視するの!?こんなのっておかしいよ!」
やはり今までウリエルからルシフェルへの弾劾は一番にハニエルの顰蹙を買っていたのだ。
ただでさえ最近の議会では憧れのルシフェルに会えないことに不満を募らせていたのだ。その上、ウリエルからのルシフェルに対する執拗なまでの糾弾は紛れもなくハニエルの起爆剤となっていた。
ここで遂に、堪忍袋も切れてしまったのも至極当然の話だ。
むしろ直情型なハニエルにしてはよく理性的に耐えた方だ。それが少し意外だったのか、固唾を呑み、その場の全員の注視が一斉にハニエルへと向けられる。
それら困惑な視線を全身に浴びながら、ハニエルはウリエルを睨みつける視線をさらに鋭くさせ、
「みんながちゃんと落ち着いて話し合っているのに、ウリエルちゃん一人だけルシフェル様を処罰しようの一点張り!どれだけみんなを困らせるの!」
「あぁん?なんだ!新米の分際で、何か文句でもあんのかッ!?」
ウリエルは殺気立っていた。
目に一筋殺気立った光があるのは、胸の中に憤怒の炎が燃え滾っている証拠である。その炎を放ったのは次から次へと話を遮る邪魔者たち。
一般の天使ならここで一目散に逃げているだろう、何を言おうと断罪の天使威圧感なら十二分あるだろう。
「ええ!そうよ!文句しかないわよ!」
だが残念ながら、ハニエルは怖いもの知らずと言ってもいいし、身の程を知らないと言ってもいい、そういう怖い顔を出されても、別に恐れることはない。彼女とてだてに七大天使を名乗っていないのだから。
「ルシフェル様はあたし達の仲間で、掛け替えのない天界のリーダーなんだよ?それをウリエルちゃんは危険だの、裏切り者だの!よくそんなこと平気に言えるよね!ほんとルシフェル様かわいそうだよぉっ!」
「チッ!ギャアギャアと煩い奴だぜ!おい、新人。貴様は聞いてりゃ“かわいそう”だの、“仲間外れ“などと!天界を脅かす危険分子に甘ったれたこと吐かすんじゃねぇぜ!」
「だーかーらぁー!天使長のルシフェル様がそんなことするはずないでしょう!?ルシフェル様が今までどれだけ天界のために貢献してきたと思ってるの!?」
「それとこれとは完全に別の話だろう!過去の栄光が今後の潔白を保証するものではない!そもそも論点が違うというに!」
「ふーんだ!もっともらしいこと言ってるけどさー、ウリエルちゃんだって所詮は状況証拠と報告情報を適当に整理して、あとは先入観と悪印象で濡れ衣でもいいや〜っていう思い切りでルシフェル様を疑っているだけじゃないのぉ〜?」
「なんだと?このウリエルがそんな卑劣極まりないな事をする訳なかろう!素人が好き勝手言いやがって!喧嘩を売ってんのか!」
「だってだって!ウリエルちゃんってば初めこそ口ではルシフェル様に感謝はしているって言いつつも、とことんルシフェル様に疑惑を掛けようと必死だもん!もうそれが狙いだとしか思えないじゃない!ほんと......っ信じられないっ!」
負けじと反論するも、ハニエルの幼い反論はウリエルの正論によって遮られてしまう。
「チッ!信じられんのは貴様の脳内お花畑具合だッ!言っておくが俺たちは仲良しごっこしてんじゃねぇんだ!【七大天使】はな、神の秩序と天界の平和のために存在するんだ!たとえ相手が誰であろうとそれを脅かす可能性が浮上すれば、昨日の味方も今日の敵なんて状況はいくらでもあり得るんだよ!そんな覚悟もなしで馴れ合いでここに立つのなら今すぐ帰れ!ガキ!」
「むぅ!なによなによぉ〜〜!!そんな言い方ってないでしょーっ!ウリエルちゃんの意地悪っ!」
「貴様がいつまでも遊び気分の新米だからだッ!!それと前々から思ったが“ウリエルちゃん”という気色悪い呼び名をやめろ!聞いてて虫唾が走るわ!」
「む、虫......!?ほらぁ〜!どうしてそんなきつい言葉ばかり言うのかなぁ!そんなんだからウリエルちゃんは他の天使たちからも怖がられるんだよぉ〜!」
「大きなお世話だッ!だいたい前から言おうとは思ってたんだが、貴様こそ天界の掟を守ったらどうだ?上位三隊に属する天使は【覆面】をすることが決まりだ。貴様くらいだぞ、平然と素顔晒しがやって、それでは他の天使に示しがつかんだろうがッ、恥を知れぃ!!」
「恥を知る必要ないもんっ!ハニエルの可愛いお顔はみんなに披露しておかないと損じゃん!」
「──ッ!片腹痛いわ!!なぜ名誉ある【七大天使】に貴様みたいな型破り女天使が神に選ばれたのか、実に理解できん!」
「ふふんっ♪そりゃ実力以外にないでしょう〜!べ〜っだ!」
「ハンっ!どうだかな。実は不正を働いたとかじゃないだろうな?」
「な、なんですってー!?」
徐々に二人の紛糾が怒涛の如くヒートアップしていく。途中からは論理的さの欠片もない、ただの感情論のぶつけ合いに成り下がる。
癇癪を起した子どもが互いに目につくところに罵声を浴びせかけるように、ウリエルとハニエルは互いの感情を声高に主張する。
後半に至っては議題の論点そのものがズレて、周囲の七大天使も置いてけぼりを喰らっている。そして、
「んもうっ!久々にあったまに来たぁ〜!!」
そう言って頬を大きく膨らませてぷんぷんと怒るハニエルは両手を広げ、土の翼を展開すれば、聖力で周囲に土の杭を具現化させる──と思いきや、その杭からは芽が生えてきて瞬く間に美しい荊を帯びた花の杭へと変化した。
その光景を見ると、ウリエルは鼻で嘲笑う。
「フン!全くもって論外だな!元素相性を一から勉強したらどうだ?貴様の大地の恩恵より生まれる植物の力なんぞ、この俺の炎の前では灰燼に帰すのみ!いわば無力に等しい!そんな基礎も知らんでよく七大天使を務められたものぜよ!」
そう高らかに言い放つウリエルは目を細めた、その目の底に灯る輝きには皮肉めいたものを感じさせる。
その時にハニエルが感じた屈辱は筆舌に尽くし難いものだった。若干涙目になりながら悔しさを噛み殺した彼女はウリエルの方をキッと見ると、上目遣いになりながら、
「ふーん?じゃあさ〜!試してみよっか?あたしの【地】の力が本当にウリエルちゃんの【炎】に無力かどうか!」
「フン!上等だぜッ!二度とその生意気な減らず口を叩けなくしてやるぜよ!!」
ハニエルの挑発に乗ったかのようにウリエルも向こうを張って意気揚々(いきようよう)と両手を振るい、炎の翼を展開すれば、双方の掌に彼の専属武器を現せた。
自慢げに掲げられたそれは──焔を模した刀身に、燃え盛る炎を纏う双刀──【烈火刀】であった。
「今更降参しても遅いぜ?せっかくの持て囃すその愛嬌顔が黒焦げになっても泣きべそをかくなよ?」
「そっちこそ!その逞しい身体がズタボロに切り裂かれても知らないんだからねっ!」
静かに殺意を燃え上がらせるウリエルに、ハニエルの方も応じる覚悟は固まった。双方とも迎撃態勢を取っており、切っ掛けひとつで火蓋は切られる。そんな爆発寸前の二人の対峙に、
「ちょっと!こんなところで闘うなんて正気ですの!?お二人方!直ちにおやめなさいっ!」
激しい論争からまさかの一騎打ちの展開にガブリエルは愕然とするものの、慌てて仲裁に入ろうと駆け出す──が、それを阻止するかのように、後ろから誰かに腕を掴まれた。
振り向くと、それは意外な相手だった。




